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ヒビフロ

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日々風呂日記のアーカイブです。毎日22時あたり、お風呂に浸かりながらの更新を目指してます。写真と文章からなる、ぼくなりの風景のキャプションみたいものです。
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反復すること、続けることの価値 日々風呂日記#38

反復すること、続けることの価値 日々風呂日記#38

昨日職場に携帯を置き忘れて帰ってしまった。

その為更新が出来ず、noteを始めてからは続いていた
毎日の更新が途絶えてしまった。

でも、正直何も変わらなかった。

今日はそんなことを書いてみようと思う。

継続

今書いた様に、連続投稿が一日途絶えてしまった。
でも、正直何も変わらなかった。

継続すると決めたことが出来なかった絶望も
悔しさもなんだか何もなくて、
ただ途絶えたという事実だけを

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都市という海を漂いながら人を愛する 日々風呂日記#24

都市という海を漂いながら人を愛する 日々風呂日記#24

ぼくは都市が好きだと思う。

その煌びやかさとか、新しさとか、そういうところに惹かれるのもあるけれど、それ以上に、あのどこにも属することなくただ漂うしかないあの空間が、心地いい。

カフェでお茶をしてても、仕事をしててオフィスに自分のデスクがあったって、どことなくそこに属することはできないような気持ちに、ぼくはなる。

それは一見とても悲しいようだけれど、逆にそれはぼくという1人の人間を過不足なく

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サスティナビリティの行方 日々風呂日記#31

サスティナビリティの行方 日々風呂日記#31

とことん落ちているようなタイトルにしたり
意味ありげなタイトルにしたり
おかしなやつだ。と我ながら思う

でもその振れ幅が紛れもないぼくで
個性であると信じたい

そんなぼくだけれど
ぼく1人でありたいと思うのと同じくらいに
人と同じ所を持っていたいとも思う

大事なのは全く同じ。ではなく
同じところがある。ということ

ぼくはそれをそのままだけれど共感と呼んでいる
ぼくは共感のパイを最大化したい

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極私的萌え 日々風呂日記#34

極私的萌え 日々風呂日記#34

"ツマミ"って萌える。

今日はそんな話

好きみんなそれぞれ好きなものってあるはずだ

別にそれが特別に他に変えがたく好きだっていうものでなくても。

それに、これ!ジャストこれ!ってなくても
あーなんとなーくこういうの好きだなっていうもの

あーなんとなーくこの絵柄好き とか
あーなんとなーくこの音楽好き とか

じゃあその好き。ってなんだろうか
ぼくはそういうどうしても立ち上がってきてしまう

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解像度ってなんだろうか 日々風呂日記#32

解像度ってなんだろうか 日々風呂日記#32

友人からminolta SR-1という古いカメラをもらった

ぼくが生まれる前に作られたものだ

このカメラでまだ写真は撮ってはいない
でも、撮る前からわかることがある

それは今のカメラみたいに超高解像度では
このカメラではきっと撮れないということ

でも、それでいい
それがいい

もちろんそれはノスタルジックな良さではない

そこにぼくなりの"解像度"についての思いがある

解像度

解像度っ

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世界の終わりに日常を 日々風呂日記#33

世界の終わりに日常を 日々風呂日記#33

写真を撮って載せ始めてしばらく経つ

なんだかどこかでみたような手法かもしれないし
なぜぼくがその形式を取ることにしたのかなんて
知りたい人なんていないだろう

でも今日はそんな話をしたい

日々の日常の隙間で写真を撮り続けること。

世界の終わり

世界の終わりなんて本当にくるだろうか
その終わりが来た時にはどうしたって
僕らには何もできないだろうか

偉い人の予言は
いつまで経っても世界の終わ

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大きさってなんだろうか 日々風呂日記#27

大きさってなんだろうか 日々風呂日記#27

大きいってなんだろう。
小さいってなんだろう。
大きさってなんだろう。

そんなこといつも考えているわけじゃないけれど
ぼくたちは常に大きさみたいなものを感じている。

大きなビルや小さな住宅
大きな樹木や小さな草花

当たり前だけれどみんなそれぞれ大きさがある
でもそれは絶対的なものではなくて
あくまで相対的なもので

それをスケールと呼ぶんだ、と以前書いた。
今日もぼくたちはスケールに埋もれて

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意味なんて多分ないんだと思うけれど 日々風呂日記#30

意味なんて多分ないんだと思うけれど 日々風呂日記#30

ここのところいつも以上に内省的な文章がつづいて
いよいよこうして外に向けて書く必要が
あまりないのかな、なんて思っているけれど

それでもやるとやらないが等価なら
もうしばらく続けてみようかな
そんな風に思う

意味なんて多分ないんだと思うけれど。
今日はそんな話かもしれない

意味
昨日もなんだか乱暴に書いていたけれど
意味を探すことに意味はあるのか
ぼくはよくわからなくなる

意味なんてなくて

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光の射す方へ 日々風呂日記#28

光の射す方へ 日々風呂日記#28

眠い。

ぼくは基本的にいつも24時には寝て4時に起きる

別に早起きしてるから意識が高いとか
惰眠を貪るのは悪だ、なんていうつもりは全くない

ただいくら寝ても結局眠いんだから
それなら早起きして眠いほうがいい
なんて思っているのと

ただそれ以上に
眠いと思考は確かに停止しそうになるけれど
その方が余計なことを考えることも停止して
ただ淡々とやるべき事をするモードにはいれる

ただそれだけ。

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憧れはいつもグレーで眩しい 日々風呂日記#20

憧れはいつもグレーで眩しい 日々風呂日記#20

眩しい。

曇りは1番眩しいと思う。

真夏のカンカン照りの真昼より、そのグレーな曇りの空の方が目がしょぼついてしまう。

昨日の日記で曇りが好きだ、なんて言った舌の根も乾かぬうちに文句だ。困ったもんだ。

今日もバタバタと作業している間の時間に、少し休憩がてら近くの駅前広場のようなところで本を読もうと散歩に出た。

マスクをして、誰もいない日中の広場だから、今の時期でも少しくらい許されて欲しい。

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センロ・スケープ 時間というレールの上で走るぼくらへ 日々風呂日記#21

センロ・スケープ 時間というレールの上で走るぼくらへ 日々風呂日記#21

路面電車の走る風景はランドスケープだ。とぼくは思う。

当たり前か。風景だもの。

いやでも、少し違う。

路面電車が走る街路面電車が走っている都市が今どれくらいあるか、正直わからない。

昨今はLRT(ライトレールトランジット (Light rail transit))などの環境配慮や社会福祉の面からの普及の事例もありそうだから、余計にわからない。相変わらずの勉強不足が、我ながら腹立たしい。

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「グラデーションの美しさ」はどこにあるだろうか 日々風呂日記#22

「グラデーションの美しさ」はどこにあるだろうか 日々風呂日記#22

最近空ばかり撮っている。

今は上を向いていたいのかもしれない。

晴れた日には夕方になると、とても綺麗な夕日のグラデーションが広がる。

この景色は好きだ。

でもそれはなんでだろう。

多様性昨今は多様性の時代だ。なんて言われたりする。

昔はおおよそのことが二項対立的にカテゴライズされていたけれど、その対立的な二項はどんどん崩れて、多様な価値観がそれぞれ存在している。

人間⇔神
男性⇔女性

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車の練習しなきゃなって思いながら今日も街を歩く 日々風呂日記#23

車の練習しなきゃなって思いながら今日も街を歩く 日々風呂日記#23

ぼくは歩くのが好きだ。

歩くうちに変わる景色を、その身体の消費カロリー分だけ1:1で感じている感じがいい。

逆に、車とか自転車の、自分の消費カロリー以上のスピードで移動できるあのなんとも言えないズルしてる感が少し苦手だ。

でも、そんなぼくも必要に駆られて、昨年緊急事態が解除された少しの合間に、合宿で免許取った。

合宿免許はやめた方がいい。あれはきつい。大抵山場とかにあるから逃げ場もない。ま

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