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車の練習しなきゃなって思いながら今日も街を歩く 日々風呂日記#23

ぼくは歩くのが好きだ。

歩くうちに変わる景色を、その身体の消費カロリー分だけ1:1で感じている感じがいい。

逆に、車とか自転車の、自分の消費カロリー以上のスピードで移動できるあのなんとも言えないズルしてる感が少し苦手だ。

でも、そんなぼくも必要に駆られて、昨年緊急事態が解除された少しの合間に、合宿で免許取った。

合宿免許はやめた方がいい。あれはきつい。大抵山場とかにあるから逃げ場もない。まぁぼくの個人的感想だけれど。

でも取って以来全然乗ってない。

乗らなきゃ乗り方忘れぞ。と思いながらも、今日も歩いて街を見ている。

車の風景

現代の街は車の風景だ。

当たり前すぎてわからなくなりがちだけれど、車移動が最優先された街が、今の街だ。

車の風景と歩きの風景

そんな中でも象徴的なのは、高速道路などの高架だ。これは早いスピードで移動する欲望を飛び越えて、それこそ距離を飛び越えようとする飛び道具だ。

そこには、最短最速で移動したいという欲望が、そのまま立ち現れているとても現代的な象徴性がある。

そんな風景をぼくは、人間はこんなところも移動できるんだぞ!と言っているようで、なんだかとても愛らしく思ったりも実はするのだけれど、

でも大方は、やっぱりない方が景色は広いだろなぁと思う。

それはよく歩くから、歩きの空間からそれをよく見ているからかもしれない。

ハイライン

そんな高架の景色だけれど、それを転用した事例が世界にはある。

NYのハイラインだ。

詳細は書かないけれど、廃れた高架線路を公園にコンバージョン(用途変更。ちなみに、リノベーションは改装)したものだ。

それは、高架という近代の象徴的な空間の、その象徴性と衰退を逆手にとって、新しいエコロジーの時代の象徴に転用したものだ。

これは、色々議論はあるけれど、美しい。

まだ行ったことはないのだけれど。

移動のための欲望空間から

これだけ街を象徴している高架空間だ。

その象徴性を転用して、新しい街の移動空間なんて、できないだろうか。といつも考える。

移動のための欲望だけが純粋に立ち現れた高架から、何かその街を象徴する風景となるような、風景のための高架へ。

それは新しい街のあり方や移動のあり方を象徴する新しい街の風景になるかも知れない。

そんな妄想を膨らませながら、今日も相変わらずとぼとぼ歩いていた。

今日ののぼせ具合

今日ののぼせ具合は90%

明日から仕事だ。頑張りたい。

それでは今日はこの辺で。

おやすみなさい。

日本のタクシーはなんだか好きだ。

外観もだし、あの乗った時の独特の低さから見る街は、また違って見えて面白い。


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