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2022年10月の記事一覧
天国へは「行けるうちに」-この世で地獄絵図描いている場合じゃない-
「死んだら天国も地獄もない」
というのは、
私の「個人的見解」ではあるのだけれど。
いや、それにしたって、
「天国」とか「地獄」とか、
誰かによって描かれているもの見ると、
あるいは、
自分でこれまで
思い浮かべられたものを振り返ると、
いかにも、
「人による、人らしい想像」
という感じが、
私はしてしまって。
「ここじゃない別の世界なのに
ここの世界を基準に描いてもなあ」
とか、
「とっても
今日という日すら未来の一部
「千里の道も一歩から」
じゃないけれど。
「宝くじの一等が当たった」
とか
「竹下通りを歩いていたらスカウトされた」
とか
(ちょっと例えが古いしおかしいが、笑)
そういう
「運命が大きく一瞬で変わりました」
なんてことは、
そうそうないのだと思うので。
もし、未来を明るくしたいなら、
まず、
「自分に与えられた今日」を
明るくしたほうがいいのだろう、
なんてことを最近頓に思うのである。
「
早起きノススメ-旅先の風の匂いを求めて-
早朝と言っても、
まだ多くの人や車が動き出す前、
――できたら、
(これは地域によるだろうが、)
午前六時までがいい。
夜のあいだに、
「街の空気の入れ替え」が
行われたかのように。
朝の空気は、
どこか遠い場所の
空気の匂いがすることがある。
――旅先でふと感じる
「あ、空気の匂いが違う?」
という、あの感じである。
起き抜けに窓を開けただけでも
それを感じられるし、
早朝の街を少し歩いた
「怒り」は「火」である。(と、思って取り扱ってみると)
「怒り」に同調してくれるのは、
同じ方向性の「怒り」を
抱えている人だけであり、
それ以外の人は、
内容はどうあれ、
「怒り」をいうものを
忌避するものである。
(そりゃそうだ。)
だからとにかく、
話を少しでも進展させたいと思うなら、
「怒り」は極力
表面上は抑えたほうがいいのだろう。
――つまり、「怒り」とは、
外に向かって、
ホイホイやたらと
投げつけるものではないのである。
そんな「露
感情は「水」である。
感情が、
水だとしたら。
沸き立ったり
煮えたぎったり
凍ったり。
揺れたり、
波立ったり、
こぼれたり。
乾ききったり、
湧き出したり、
あふれ出したり。
――「感情的」というと
悪いイメージばかり浮かんでしまうが、
「良い感情的」というのも
きっとあるはずである。
人の体内の70%は
水でできているというから、
うん、確かに、
自分の「内側」には、
「水」がある、
そんな実感もある。
例えば「根に持つタイプ」の対処法など-「人間カタログ」に収める-
根に持つタイプの人間が
昔はすごーーーく、
苦手だったのだが。
気づくと、
なんだか平気になってきた。
別に自分に
後ろめたいこともなければ、
単に「気にしなくていい」案件で、
気にすることこそ、
「相手の思うツボ」だと
気づいたからだ。
世の中、いろんな人がいる。
「人間カタログ」があったとして、
そういう人も
そこにいていいだろう。
――「美しい心の世界」も
もちろんあるけれど、
「
自分が「書く」のは何の為?
昨日の記事の続き。
「やりたいこと」と「やるべきこと」が一致しているひとがうらやましい、という、そんな書き出しで昨日の記事は始めた。
では。
私の「やりたいこと」=「書くこと」と仮定して。
で、それが「やるべきこと」=「仕事」となったら、どんなにかいいだろう、とは思ってきたのであるが。
改めて。
「何故、書くことを仕事にしたいのだろう?」
ということについて、今記事では、まず整理するとこ