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今日という日すら未来の一部

「千里の道も一歩から」
じゃないけれど。

「宝くじの一等が当たった」
とか
「竹下通りを歩いていたらスカウトされた」
とか
(ちょっと例えが古いしおかしいが、笑)
そういう
「運命が大きく一瞬で変わりました」
なんてことは、
そうそうないのだと思うので。

もし、未来を明るくしたいなら、
まず、
「自分に与えられた今日」を
明るくしたほうがいいのだろう、
なんてことを最近頓に思うのである。


「ままならぬ今日」を過ごしていると
どうしても
「未来を変える」と
そっちばかり注視しがちだが。

――いやいや、
どうしたって、
「今日という今現在」から続いていない
「完全に独立した未来」は、
存在し得ないのであるからして。

「どうしたってこの先は、ここから地続き」
であるならば、あるいは
「今日すら未来の一部」
という考え方だってあると思うのだ。


「この先の運命」を、
明るく、面白いものに
引っ張っていきたいなら。

まずは、
「今日」という日を
明るくしよう。
面白がっていこう、
と、私は思う。