見出し画像

「適当主義」-完璧主義の悪循環の打開策-

今回は、
「不器用且つ意志が弱いくせに完璧主義」
そんな自分の抱える矛盾と、
その「打開策」の話です。

(家庭で洗濯できるタイプの)
毛布の洗濯、
皆様は、
どれくらいの頻度でされていますか。

――やっぱ、
1年に1回じゃ、
少ないですかねえ?
……って、まあこれは
自分のことなんですけど。(笑)

自分、コタツもないものだから、
真冬にはこの毛布、
寝具としてだけではなく、
椅子に座っている時なんかに
「脚腰に巻きつける防寒毛布」としても
使っていたりするので、
使用時間も長いわけだから尚更、
もっと頻繁に洗わねばならない、
とは、
自分でも感じているんですけど。

……でも。……でも。

……面倒くさいっ!(笑)


そんなこんなで、
「使い始める際に」洗うという、
「年一回」の
(不本意ながらそうなってしまっている、笑)
恒例行事を、
昨日、執り行ったわけであります。

※ちなみに、
週間予報によると
今週は明日あたりから
グッと冷え込む地域が
多いようですよ!
着るものや寝具、
暖かいものを出しておくのが吉!


そもそも、
毛布1枚洗うのが、
何故そこまで面倒くさいかというと。

私の洗濯機の容量は4.5㎏で、
毛布1枚なら
入ることは入るんですけど、
洗濯機を作動させてみても、
「あまり水流をガンガン感じない、
洗濯物(毛布)があまり回ってない」
というような状態になる。

「洗えてない」というほどではない、
が、
そうでなくても
洗濯回数少ないわけだから(笑)、
洗う時には、
きっちり洗いたいじゃないですか、
(ってなるじゃないですか、)
なので、バスタブを軽く洗ってから、
そこに蛇口からのお湯をためて、
バスタブを洗濯槽代わりにして、
毛布は洗うことにしているんです。

しばらく洗剤液に浸したあと、
あとは脚で踏んだり、
しゃぶしゃぶ湯船のなかを
泳がせたりする感じです。

――水を含んだ毛布は
めちゃくちゃ重い!

――ああ!疲れる!

――。

――面倒くさいっっ!!
(何回言えば気がすむんだ?)

「洗濯機のまだなかった時代は
みんな一枚一枚
手で洗っていたんだよ」
なんて言われても、
だってもう、
「便利家電」に文明開化されて
軟弱になってしまったんだもの、
面倒なものは面倒なのっ!

うーん、
時間もまた、とられるし、ねえ?

全自動洗濯機でスイッチオン!
と違って、
どうしても、洗濯物に、
つきっきり、かかりっきりになる。

――ホントはこの時間、
既に買ってしまって順番待ちの
読みたい本も溜まってあるし、
冬服買いにもいきたいし、
いやいやその前に、
今日の他の家事と、
他にも長らく保留になっている
雑事もあるんだった……。

いや~、でもこれで
一時間以上は、
どうしたってとられそうだなあ。
あと、
二回くらいは同様に
バスタブにまたお湯入れ直して
すすぎを今度はしなきゃだし。
そのあと柔軟剤、と。

――と、
そんなことを
頭の中でブツブツいいながら、
風呂の栓を抜き
バスタブから排水して、
脱水だけは
いつも洗濯機を使っているので、
よーく洗濯中の毛布の水気を切ってから、
洗濯機の中に移す、と。
(水気を切っても、まだ重いっ!笑)

脱水スイッチ、オン!


で。

脱水時間中に、
ふと、思ったんですよね。

確実に、この作業は
面倒くさいことこの上なし。

だから、そのせいで、
自分ってば、結果的に、
年一回の洗濯頻度に
落ち着いてしまっているんだよね?
もっと洗濯頻度を
増やしたほうがいいだろうと
思いながらも、と。

――それならば?と。

脱水完了して、
洗濯機の蓋を開けて、
中を見る。
――まあ、
脱水したての洗濯物ですから、
洗濯機の中で、
「寄っている」状態。
それを見て思ったのが。

「このあと二回のすすぎは、
もう、
(バスタブに湯をためてやるのではなく、)
洗濯機でやってしまおうかな?」
ということでした。(笑)

で、更には。

「今後はもう、
(手抜きではあるが、)
始めから全洗濯工程、
洗濯機でやるように
してしまおうかな?」と。

つまり、
「毛布の洗濯が
全自動スイッチ一つによって
完了するんであれば、
一回一回の洗濯は不完全でも、
たぶん、洗濯頻度は
確実に上げられる。
月一回にしても
気分的にそこまで抵抗ないだろうな。
――ならば、
そのほうがよくない?」
なんてこともまた思ったというわけです。

いや、それでね、これ、
他の家事全般についても
言えることで。

掃除も、炊事も。

「完璧にやる」とイメージして
取り組もうとすると、
自分の場合、
腰が重くなるというか、
結局、回数が減るんですよね。

そこらへん、自分ってば、
意思が弱いんです。
「面倒くさがりこの上なし」なのです。(笑)

でも、自分なんかより
もっと拘束時間の長い
忙しい仕事をしている方なんて、
(で、家事も併行してしている)
たくさんいると思うんですが。

そうなると、
時間のやりくりが、
大変ではありませんか?

家事って、
例えば食品の買い出しも、
ちょっとした整理整頓も、
そういうこまごましたことが
重なっていくと、
塵も積もればで、
結構時間をとりませんか??

ふと、今回の洗濯だけでなく、
もう家事全般において
「完璧」のそのレベルをもっと下げて、
もっと「適当に」、
その代わり、もっと軽い気持ちで
やったらもっと快適なんじゃない?
なんてことも思ったんですよね。

例えば、水回りの掃除でも、
目に着いたら1,2分程度で、
でもマメにやる、
……みたいな
そんな感覚にシフトしていったほうが
たぶん、
生活はより
快適になる気がするんだよなあ、と。


「完璧」という状態を、
「自分で設定」して、
それを基準に気にするから、
「不完全」「完璧じゃない」に
なってしまうわけであって。

で、これまでの毛布の洗濯のように
「結果的に」面倒になって、
洗濯を結局あまりしなくなる、
→ますます「完璧」から遠ざかる、
というこの
「矛盾」と「悪循環」よ!(笑)

省みるに。

誤解を恐れずに言えば、
「完璧」とは、
「自己満足」のことじゃないですか。

(言い切った!笑)

だって、そもそも、
掃除や洗濯一つとっても
その「完璧」は、人によって
ずいぶん違う
わけですよね?

ならばそれって、
「『完璧』だと、
その人が自分で設定したことこそが
即ち『完璧』」
ということになりはしないだろうか
、と。

で、
「完璧にできない」ことや
その前段階の
「完璧を目指す」ということが、
その人の心理的負担になるなら、
――つまり、
あまりにも
ツラ~く重た~くなるなら、
そんな「完璧」は
既に破綻しているのではないかと。
――だって、それじゃあ
「自己満足状態」からさえも更に、
実際の結果としては、
遠ざかってしまってばかりではないか、と。

いや、これって、
家事だけのことじゃない。

極論を言えば、
人生全般に通じる話なのではないでしょうか。

「完璧」とは、
「自分を満足させるための基準ライン」
なのだとしたら。

そのラインが途方もなさすぎて
結果、逃げ腰のままになったり、
あとは途方に暮れてばかりだと、
気分も上がってこない。
――それって、
「完璧主義の悪循環」なのではないかと。

「完璧」の手前で、
「自分なり」の「適当」を見つけるのも
悪くないことだ
と、
私はこの度の毛布の洗濯で
学んでしまったわけです。(笑)


そんなこんなで。

ここからの私は
「適当主義」でいこうかと。
(宣言。笑)

すべてひっくるめて、
総合し、俯瞰で見て、
「いちばん快適とは?」
「いちばん気分がいいのは?」
「いちばん楽しくいられるのは?」
みたいな
「折衷案」を「探ること」こそが
この「適当主義」の
ポイントといえましょう。

(「テキトー」すぎて
自分で不快極まりなくなったり、
気分が悪くなったり、
何だかしっくりこなかったりするのは
それはそれで行き過ぎですしね。)

その「バランス」ってやはり
時間の経過と場合によって
変わっていくところもあるし、
その時どきで、柔軟に、
自分の感覚の声を
よく聞きとってあげることが肝要
ですよね。

――今回の
「毛布の洗い方の転換」みたいにね。(笑)

「完璧主義」というのは、
ともすれば、
「完璧を設定したその枠の中」
しか見なくなって、
「近視眼的」になりがちです。
――「完璧外」に
選択肢は無限にあるものなのに。

自分みたいな、
融通が利かなくて、不器用な人間は、
「完璧」というものを、
意識的に「外すように」するくらいで、
ちょうどいいのかもしれない
、と。

「適当・適宜」の「柔軟性」のほうを
むしろ常に大事にするよう
心掛けるほうが、
様々なことがむしろうまく回るかも?

と、簡単にまとめると、
今回はそんな話だったかと思います。

この記事が参加している募集

#家事の工夫

3,887件