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例えば「根に持つタイプ」の対処法など-「人間カタログ」に収める-

根に持つタイプの人間が
昔はすごーーーく、
苦手だったのだが。

気づくと、
なんだか平気になってきた。

別に自分に
後ろめたいこともなければ、
単に「気にしなくていい」案件で、
気にすることこそ、
「相手の思うツボ」だと
気づいたからだ。


世の中、いろんな人がいる。

「人間カタログ」があったとして、
そういう人も
そこにいていいだろう。

――「美しい心の世界」も
もちろんあるけれど、
「そうでない地獄のような世界」も、
実は、別の世ではなく、
この世の話と見えてきたので、
「いろんな人のいろんな世界」が
そこにあってもいいのかも?と
思うようになってきたのである。
(いや、よくはないだろうけど、
もうあるんだから仕方ない、
という意味で。)


人間というものの抱えがちな、
人間だからこその
「煩悩業苦」が、
そこにあるとも言える。

「人間カタログ」の
その充実度を高めるために、
そういう人は
ちょくちょく現れるものなのだ。

ならば、
「経験」として、
そういう人を
「観察対象」として記憶しておく。
その程度でいいのだと思う。



「根に持つ」ということは
その人の中では
「時間が止まってしまっている」
わけだから。
で、
その人は自分で
「そこに止まっていたがっている」
わけだから、
好きなだけいたらいいのだ。

でも、
「今」を生きる自分には、
もう関係がないわけである。
――「面白そう」でもないのに、
わざわざこちらから
来た道を戻ってまでそこに
お付き合いして差し上げる必要は
まったくないだろう。



と、いうか、
「あまりにも自分に
不愉快をもたらしそうな他人」なら
「わざわざ目を向ける」ことすら
必要ないのかもしれない。
(「人間カタログ」にすら
入れようとしなくていい人間って
いるかもしれないですね。)


そもそも、
「自分の今」に集中できれば、
「他人のふるまい」など
気にしていられなくなるはずだ。
(そうでありたい、それが理想。)

何だかんだ言っても、
サバサバサバサバと、
とにかく
「今」を一番大切に、
私は生きていたい。

私自身も、
もっと、もーーっと、
わき目も振らず、
「今、面白い方へ」と
集中していこうと思う。

それぞれの人が
それぞれの「面白い」を
抱えて生きているはずだ。
(で、偶にその「面白い」を
互いに持ち寄ってみるのも
いいことですよね。)

「面白い自己・中心主義」で
私はいくことにしたいと思う。



※余談ですが。

これくらいの記事の長さが
「自分の」書く理想ではあります。

「完全即興」で書くと
これくらいで収まりやすい。
――温めていたテーマで書くと
どうも長くなってしまっていけないと
反省しております。(笑)