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「それなりに虚しい魔法」-他人の人生は生きられない-

「自分は、ああなりたいのだ」
という「目標設定」までなら、
結構なことだと思うのだが。

それが「羨望」になり、
いずれ「嫉妬」にまで発展しては
これ、よろしくないわけである。

「他人の人生は生きられない」
のであるからして。

せいぜい「うらやましい」くらいまで、
それが負の感情に変わる手前までで、
なんとか止めおきたいところである。

「妬ましい」になったら、
そろそろブレーキが必要だ。
――だって、どうしたって
「その人」にはなれないのだから、
そんな感情を持っていて、
何かいいことあるだろうか。

もし仮に。

魔法でも使って、
「その人」になれちゃうとしたら、
その時点でそれはもう
「その人」であって
「自分」ではないわけである。

「全取り換え」したら、
多分、「私という存在」は
消える気がする。
「いいとこどり」なんて
できるわけない。
「負も含めた全要素」を合わせて
即ち「その人自身」なのだから。
(そういうものだと思う。)

と、なると、
「そっくりそのまま誰かになる」は
「別人になる」ことと同じわけだから、
この世から「自分」というものを
消してしまうに等しいことだと思うのだ。

――もしも、
そんな魔法が使えたとして。

でもたぶん、これって、
実際使ってみると、
「それなりに虚しい魔法」
になるような気がする。

自分というものを
「否定しがち」な人はいる。
(私もそういうところ、大いにある。)
(……ハイそうです、
私は結構、暗い人間なのです。笑)
でも、
「完全」に、つまり、
ありとあらゆる全ての自分のことを
「全否定」している人って、
実はいないんじゃないか、と
私は思っている。

――必ず、
何かしら、どこかしらに、
「絶対消したくない自分」
「絶対守りたい自分」が
いる気がする。

でも
「他人」になったら、
そこも消えるかもしれないし
守り通せないかもしれない。

「他人になる魔法」
イコール
「この世から自分というものを
消してしまう魔法」
だとしたら?

――うーむ、かく言う私は。

うっかりと、何かのはずみに、
使ってしまいそうだがな!
(使えなくてよかったよ!笑)

(って、本当にマツコさん本人が
これを言っていたかの裏付けは
何もないんだけど。)
(でも、いかにも
言いそうだとは思う。笑)

私もこのツイートをした人と同じに
これについて、
「そういうものだろうなあ」と
共感しつつも。

反面、
「贅沢なこと言ってらあ」
ともまた、
思ってしまったりして。(笑)

自分の仕事に対して
「比較的やりたいほうのことを
選べている」且つ
「最低限の収入は得られている」
という条件をクリアしている人は
それだけでラッキーだと思う。

正直に言う。

私は、今の仕事をしていて
虚しい気持ちになることが
結構ある。(笑)

「消去法で選んだ仕事」であるし、
待遇もあまりよろしくないし。
(「虚しくなる理由」は
実は他にもっとあるのだけれど、
それは話が長くなるから
またの機会にします。笑)
(個人で同業種ができればまだ、
カツカツでも、
自分のやり方でできるから、
この虚しさは減るんだろうけど、
それはちょっと
冒険すぎて踏み切れない。
「自分の個人経営で成り立つ」
イメージが持てない。)
(そして
「どうせ個人でもしやるんなら、
他の商売をやりたいかも?」
というのもあるしね。笑)

だから
「自分で選んだ仕事に就けて
それが生活として成立している」
それだけで、
「でも思い通りに全然いかない」
のだとしても、
それでも、私からすると、
その人のことは
うらやましくてうらやましくて
仕方ない。

「思い入れのある仕事だから」こそ
「つい理想を掲げてしまう」
「思い通りにいかず悩む」
といった、
よくありがちなそれらに対しても、
だから
「『贅沢な不満』を言いよってからに」
と私は思ってしまうわけである。

――まあ、これって、
一種の「妬み」なのだと思う。
――「うらやむ」のラインを、
少しだけ、
越えてしまっている感情だ。


多分、
私が「その人」になったら、
やっぱり、
同じような「思い悩む」気持ちに
なり得るだろうになあ。

だって、
「今の私とは違う別人」なんだから。

「悩み」は、
その人だけのものなのだ。

つまり、
「その人」の悩んでしまうことを、
「私」が本当の意味で理解することは
できないし、
ましてや「取って替わること」など
できるわけがないのだ。

あるいは
今の私の悩み事について
誰かに、
「何だよソレ、贅沢な悩みだね。
世の中には、それ以前の、
例えば食べるものや身の安全に
困っている人もいるのに。」
と言われても、
私にとっての悩みは
間違いなく悩みなのだから、
そんな理屈では消せない。
どうしようもないのだ。

いや、「悩み」だけではない。

幸福、不幸、満足、不満、希望、挫折、成功、失敗、……等々、
それぞれが、
それぞれの人の
「オーダーメイド」で
できているものなのだと思う。

その人の
「幸せ」とか「成功」とか
「こちらから見てうらやましい」
そんな面や断片ばかり
ピックアップして眺めていても、
多分、その人のことについて
理解すら深められないだろうし、
そうすると
一向にその人のようには
近づけもしないだろう。

やはり、そもそも
その人の抱える「負の要素」も含めて
「ぜ~んぶ、取って代わる」なんて、
どうやっても、
できるものではないのだ。

私は、私を、生きるしかないのである。

――となると、まあ。

数日前の繰り返しになるが、
「原田知世になりたい」とか
(私にとっての)「偶像」に
「憧れ」を抱くくらいで。

そんな現実感のない
「寝言」を言っているくらいが、
どうも私には
ちょうど良いようではある。

(……何なんだ、このまとめ方は! 笑)