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小説

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短編/中編小説をまとめました。。長くないのでサッと読めます。
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#ショートショート

Merry Christmas

Merry Christmas

 あの果てしなく続く階段を駆け降りて、君に自らの想いを......この胸に隠し持っていた2つとしてない気持ちを伝えてからから、はやくも5年の月日が経ったという訳だ。
今日も吉祥寺駅では変わらぬ人混みが列を作り来たる聖夜に向けて準備をしているのだろう。互いの表情を見合わせながら、プレゼントの袋を手に下げるカップルのなんと多い事か!

あの時の僕は、まるで気の利いた台詞の1つも言えず、緊張と乱れた呼吸

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隣人は、なお愛しく

 ベランダで一人、夜風に当たっていると、隣の部屋より聴こえるは若き男女の言い争いだ。ああでもない。こうでもない。折り合う地点も分からない。その若さ故に、妥協は出来ない。ともすれば......。ほら、勢いよく開いたドアの音の後ろで、か弱い足音がぱたぱたと。赤の他人の痴話喧嘩、秋の風にはよくよく溶け込む。

 
 ベランダで洗濯物を干していると、隣の部屋より聴こえるは、若き男女のしおらしい声だ。俺が悪

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螺旋階段の夜

螺旋階段の夜

 このような真夜中に考えつく文章は、如何に浅はかで展開を広げる余地もなく、ただ外の夜に浮かぶ月だか街灯だかに吸い込まれて行く運命にある。散り散りとなった思考を纏めたいのであれば、今にも閉じそうな瞼に力を入れる必要など無いものを、私はまた意固地になって何を表現しようと言うのだ。
──あの螺旋階段は、今もなお建っているか。貧弱な睡眠欲を奪い去ったのは、こんな考えから来る好奇心だった。あの螺旋階段、等と

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秋が過ぎてゆく

秋が過ぎてゆく

 見覚えのある文字。角がやけに鋭利で可愛げがない、そんな特徴的な彼女の文字は、少しの寂寥感を帯びて僕に届くのである。
ノートを机に置いた僕は、付近の国営公園にて歩いた、銀杏並木のさざめきを思い出した。

 彼女とは、映画の撮影現場にて出逢った。特に著名な俳優が出演している訳でもなく、撮影中もどこか諦めた雰囲気が漂う、なんとも歪な現場だった。
当時、大学生だった僕は友人に見物を誘われ、下宿近くの昭和

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秋雨、そして上司との昼食

秋雨、そして上司との昼食

 いまだに声の戻らないオフィスビル。会員証を機械に当てれば、無機質な認証の音がホールに響き渡る。耳鳴りがするほどの静けさに若干胸騒ぎが起きつつ、一度目を閉じてその静寂に呑まれる僕は、やはり本調子ではないようだ。廊下を歩いて行くにつれて、窓の外で頻りに降る秋雨もその力を増している。しかし、ここには雨の音など届くはずもない。

 デスクの隅には、薄い埃の層が出来ていた。椅子に座って広い事務所を見渡せば

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収穫祭は遠くとも

収穫祭は遠くとも

 例えば、この秋の冷気が身体に触れたとき、ふいに自らの郷を想ってしまう我が心を、一体だれが責めるというのだろう。窓越しに見えるのはいつしかの紅葉でも、隣に住む幼馴染みの姿でも、畑を耕す叔父の背中でもない。ただ、無機質な建屋が息をせず群れる都市にあって、人混みの中で無数に吐かれた溜息が象徴する、深淵の街「東京」。天候が安定しないのは、皆がやるせない呼吸をするからだ、という叔母のよく分からない冗談を以

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余韻

余韻

「なんだか、急に寒くなってしまったみたい」窓を閉めながら言う彼女は、鼻声になりながらもその冷静さを欠くことはなかった。或いは、彼女に対してその様な印象を持ち続けてきた、僕の偏見であったのかもしれない。
窓が閉まる直前に、隙間風が駆け込んできた。高い音を鳴らして吹き込むそれは、本棚に放置されたチラシ数枚を宙に浮かべた後、満足した面持ちで空気に溶け込んでいく。ごく自然に。静かに座る我々を残したまま──

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静かな夜は、なお愛しい

静かな夜は、なお愛しい

 薄暗い部屋のなか、耳を澄ませば聴こえる、時計の針が規則正しく回る音。その動きを脳内に浮かべてみれば、短針を嘲笑うかのように踊り狂う長針の、意地悪い性格を遠くに思った。昼間に見る風景、夕方に見る風景、この円盤にかき乱される軟派な環境は、良くも悪くも退屈な日々に彩りを与えるようでもあるな......。
 あぁ、この時の流れというものに、いくら助けられてきたのだろう。乗り越えるべき災難や困難というのは

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僕の選択、君の問い

僕の選択、君の問い

 少しクーラーに当たり過ぎたか、と感じた七月の午後。怠い身体をのそりと起こせば、当分光を浴びていないからか、カーテンの隙間から覗く閃光は僕の視覚を麻痺させるに容易い。

 先日のやりとりを経て、由紀との連絡は未だ取れずにいたし、最期に見た彼女の表情を見れば今からどう足掻いたとしても、我々が再び温かい会話、身体を交わせる事はない筈である。
今はもう冷たくなってしまった、由紀の心。冷えた身体を摩擦する

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隣人は、その口を開く

隣人は、その口を開く

 ともすれば、こんなド平日の夕刻、圧力鍋を目前にして携帯を触る私の横で、暗い表情に侵されている君は、秩序ある平穏な日々を脅かす悪魔かもしれない。悪人なのかもしれない。

 恨めしそうにこちらを見上げるその顔、私が何の不満もない生活を送っている事には異議を立てず、ただ自らの話を聞いて欲しいという感情のみで、遙か遠い世界から波を越えてやって来たのか。でも私は、君がどこに住んでいて、普段何をしていて、何

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