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百姓一揆の周辺/新しくない新しさで
周辺について日記をつけるのも一興かと思い(最近の生活は楽しすぎるからね)、徒然に書いていきます。
才の集まる場所へ通っているわけですので周辺の方々にも登場してもらおうという、いわば”文章テナントスペース”として使用していく所存。ワ〜!
リンクとか下線から勝手にジャンプです。
はてさて2021/06/06(Sun)は、友人であるあべゆうな氏からの「デカいものを買いたいが、アシがないため運転
リビングアローン(プロト)
こんちは。百姓一揆と申します。今日は徒然です。
私の部屋です。
12月に6つこれを買いました。
トラスコの物流コンテナです。
何故、これらを6つも買っているかというと…
こういう理由があります。
雑巾を製造するため、ヨレヨレTシャツを切り刻んでいます。
庄内でも活動したい、できることなら2拠点生活がしたいぜ…しかし、4月には妹に部屋を明け渡さないといけないしなあ…
ここ片付けるか…
百姓一揆の話し足りない「空洞がなくなる」〜高校最後の読書感想文〜
この文を読もうとしている諸氏には、はじめに謝っておかねばならない。なぜなら、この本(岡倉覚三著 茶の本)との出会いが至極まっとうなものではなく、惰民の坩堝「Twitter」から発された一滴だからだ。待った、待ってほしい。ここから先は私の12年間の学生生活において、煮魚の脂のような滋味深いものであること間違いなしの内容だ。ぜひともアミノ酸を感じ取っていただきたい。
突如発生した新型のウイルスに
百姓一揆の話し足りない「茶道とDJの共通性についてニ、三」
またまた名著「茶の本」岡倉覚三 を引用させてもらい、noteをかく。
「花の独奏はおもしろいものであるが、絵画、彫刻の協奏曲となれば、そのとりあわせには人を恍惚とさせるものがある。石州はかつて湖沼の草木を思わせるように水盤に水草を生けて、上の壁には相阿弥の描いた鴨の空を飛ぶ絵をかけた。紹巴という茶人は、海辺の野花と漁家の形をした青銅の香炉に配するに、海岸のさびしい美しさを歌った和歌を持ってした。
百姓一揆の話し足りない「 」
なんの気無しに岡倉覚三著「茶の本」を読んでいたところ
「水さしの役に立つところは水を注ぎ込めることのできる空所にあって、その形状や製品のいかんには存しない。虚はすべてのものを含有するから万能である。虚においてのみ運動が可能となる。おのれを虚にして他を自由に入らすことのできる人は、すべての立場を自由に行動できるようになるであろう」
という一節が。
なんか既視感あるなぁ〜と思っていたら、え?
百姓一揆の話し足りない「泣きたい夜には船が出る」
泣きたいとき〜。泣きたいとき〜。
私はフィッシュマンズの「空中キャンプ」を聴く。
感情をコントロールするために涙を流すのだ、とエシディシも言っている。
思いっきり泣こう。
かといってこのアルバムを「泣ける」映画のような位置づけで話しているわけではなく、「寄り添ってくれる」アルバムだと言いたいのだ。泣くなら受動で泣くな。主動で泣け。
言葉にならないから、歌ったり、踊ったりするのだろう。