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不確かな心のオーディション

こんにちは、百姓一揆です。

麩の感情で過ごしたい今日この頃。

古今さんでベイビー・ラテをズルズルとやっていたら、サーフブルーのポスターが目に入ってきた。今日からじゃんか、「高校生アートフォーラム展」(現在は終了)。「純文学の素」に触発されて、ルポをやってみることにしました。

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文字を書くのが、人生の中で5本の指に入るくらいダルいことだと思う。アイヌには発音しかなかった(ゴールデンカムイ知識)らしいよ、いいなあ、読むのは好きなのだが。文字をキレイに書く、というのが一番できないことだ、それも出力が一定でない毛筆を使ってなので恐れ入る(ポツンと一軒家?)。高校ぐらいからフォントに凝りだしたのも、字が汚いから、反動かもしれない。文字一つとってもやはり校風が出る。中国古典からsumikaまで、墨が配置されているものもあれば、奔放な(相田みつを的写経の上に成り立ったような)ものまでが同じ空間にあった。1つのクラスがあった。同じ教室にいれば友達だ、なんて、そんな怖いことがあってたまるか、書は、ただただ額の中でシャンとしていたんだ。

この前書いた記事では、ITメディアサイエンスクラブのお二人が登場したが、抜かりなく彼女らの作品もそこにあった。人柄がバシバシ❤ハートを撃ち抜いてくる(特に『マッチ売りの少女』は私だけかもしれないが大笑いしてしまった、同好の士がそこにいたからである)。ギャグでもなんでもない、きれいな写真なのだけど、ほぼすべての被写体の人物と面識がある故か、なんとなくナハハ、と笑ってしまう。「1万いいねより一番いいね」の身内評価からくるものだろうか。

被写体についてちょっとかすめたのが「知らない人の写真ってめちゃくちゃ気持ち悪い」ってことである。この人はこんなにも笑っている、でもなんで?こんなポーズで、構図で、花の前で、加工がない、まじりっけ皆無のレンズからみえる景色って、こんなにもおかしかったっけ?わからないから気持ち悪い、というよりも「なんで?」がくる。そういえばトイレに行きたかったかもしれない、ごめん、知らない人。

「逃避行」がただじっとそこにいることだというのは鮮魚のような価値観だなと。

2階の「証」という作品の前で、ちょっと一口サイズの何かを叫びたくなった。じっとみる。窓の外からは背脂マシマシのエネルギーのウネリがいて、クラスメイトは原色の体液をぶちまかしながら絶命している。いくらか奥のイスはおびえている。あたりを見まわすと一人と目が合う。スカートの裾をぐっと握っていて、満たされたわけでも、悲しいでもない、間(あわい)の目線。キワキワの、ギリギリのそれだ。不確かな、心のオーディション。

あとでジェイ・マルエーで買い物したのだが、なんだかずっと緊張していた。どきどきする。ずっと、どきどきする。

「証」を描いた人の話を、なんとしても聞きたい。
ちょっとこの先どうなるかわからないけど、話してみたい。

なんやかんや言っても、誰かが、時間をかけたものを見るって、ヒントが隠れていて、面白い時間の使い方だなといっつも感じる。良い悪いだけじゃない軸で時が過ぎていく、これって豊かなんじゃないか?!

年始前にどこかへ行くのも今日で最後かしら、なんて考えた。ちょっと寂しい。

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ライター

百姓一揆 / DJ、ライターとして庄内で活動、ほぼ黄、緑、紺を身につけ生活している。高校生活も終盤にさしかかり、積極的に学食を利用するようになった。先日はチャーハン定食のために足を運んだが、券売機の前でチャーハン定食の売り切れが宣言された。

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アートフォーラムより「高校生アートフォーラム展」開催中!

まだまだ開催しています、コロナ対策をして、ぜひ行ってみてほしい…(12/23追記)

アートフォーラムHP

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