もうすぐ朝の5時ですね、詩をかく、もがいています。 おなかもすいたし、わけがわからない状態の、社会の真ん中に、あるいはふちに立っている、立たされているかんじがしてます。 お風呂に入ると言葉が浮かんでくるときがあって、よっしゃ、と思って一気にかきあげます。 Twitterとかで「詩です」ってあげるの恥ずかしいな、短歌だったらもうちょい、などと思って、しかし風を通さないのもどうかと思い、noteで発表することにしました。 「ひとのこえ こえだけのこえ」 ひとのこえ ひ
全部ウソかもしれない 個人で宣戦布告 唸る犬がピアノを弾いている動画 いちごを潰すはだかの少女 夏はいつもグレー、俺がそうさせている タクシーのドライバーさん、伊藤誠だった ホラーエロ漫画 俺の意志、位置と場所だけ ちんこワイパー 鑑賞したいHシーンを選んで、下さい 散々な世紀末 ギャングスターになりたいイーブイ 見つめ合うワンダーランド バカを見分けて カルシュウム強化 手に入れたって表現おこがましすぎるだろ エッチ愛好家 就職する人には補助金無いですけど〜ぅぇ
プール開きの一幕。学校のプールってこんなんだった?なんか飲んでますが 緑の国産飲料 食器になってもらいたい 食器の分際でおねだりか! 牛乳を飲まないと… 純愛だ(自己評価)! 吉良吉影が湧いてた 体内のレニングラードが闘っている vineで共有しておきますので 言霊で人を殺しちゃった 直方体の回転、循環? 太めに酔っ払ってる 夜の公衆電話は電話が展示物みたい そういう例がパブリックにまだあるか? 他慰 他慰 他慰 むりやりそのフォーマットに押し込めたら面白い
自分自身は、卒業後どんなライフスタイル(生き方、価値観等)を大事にして生きていきたい(暮らしていきたい)と思いますか? 現時点で思うことでかまいませんので出来るだけ詳しく書いてみて下さい。 どこかで農業に繋がればいいなあと思っているところがある。 企画構想学科に入ったのも「家業をいかに発展させるか」というところがあったと思う。 家の中の人間として自分にできることは何だろうか? 家という単位でもそうだが、地域単位でも「育てられている」認識があった。 育てる/育てられるサ
DJは曲と曲をつなげて一筆書きにする。もとは破線だ。つなぎ目とつなぎ目をひっかけてぼかしていく。 最近は「伏線」が注目されているようだ。「伏線」も、元々描写されている事象を再認識させることで物語の過去と現在をつなげる。つながるのが”気持ちいい”からだ。 つながるものは、全部麻薬だ。 SNS、家族、続編、血、理解、発見、歴史、交友関係、セックス、文脈、友人との小気味よい会話、メッセージのやりとり… みんな、つながることが気持ちいいことをわかっている。意識していても、して
楽器を演奏する友人が身の回りに増えたせいか、中学時代に挫折したエレキ・ベースを弾き始めている。 「できそうだな」と思うものから、「これはどうやってるの?」と不思議なものまで。前項であれば、完璧に弾けることに対して喜びを感じるし、後項ならYoutubeの演奏動画を見て、だいたいの抑える位置やニュアンスを想像しながら音を探すのが楽しい。 楽器を演奏することへのコンプレックスからDJへの興味に視点が向いた結果、パーティを継続してやらせてもらえたり、それに乗じたフライヤーの作成も新
周辺について日記をつけるのも一興かと思い(最近の生活は楽しすぎるからね)、徒然に書いていきます。 才の集まる場所へ通っているわけですので周辺の方々にも登場してもらおうという、いわば”文章テナントスペース”として使用していく所存。ワ〜! リンクとか下線から勝手にジャンプです。 はてさて2021/06/06(Sun)は、友人であるあべゆうな氏からの「デカいものを買いたいが、アシがないため運転してほしい、軽トラを借りられる」といった提案に、3人がついていく形となった。
どうも、あけました。もう寒中見舞いでしょうか。 私、百姓一揆は、毎年年賀状を少数発送しています。 ちょっと年賀状をかじってみると、日本古来の習慣、ではないようです。東アジアでも似たようなものはあり、条件を広角にすればクリスマスカード、グリーティングカードが挙げられます。 「近年はLINEやeメールなどで済ませられる」ことになっている年賀状ですが、これは天邪鬼の血が入る私にとってありあまる好機。いざ徹底して逆行しようではないか! 書き始めるまず年賀状の形式を設定。 年賀
こんちは。百姓一揆と申します。今日は徒然です。 私の部屋です。 12月に6つこれを買いました。 トラスコの物流コンテナです。 何故、これらを6つも買っているかというと… こういう理由があります。 雑巾を製造するため、ヨレヨレTシャツを切り刻んでいます。 庄内でも活動したい、できることなら2拠点生活がしたいぜ…しかし、4月には妹に部屋を明け渡さないといけないしなあ… ここ片付けるか… 中途
こんにちは、百姓一揆です。 麩の感情で過ごしたい今日この頃。 古今さんでベイビー・ラテをズルズルとやっていたら、サーフブルーのポスターが目に入ってきた。今日からじゃんか、「高校生アートフォーラム展」(現在は終了)。「純文学の素」に触発されて、ルポをやってみることにしました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 文字を書くのが、人生の中で5本の指に入るくらいダルいことだと思う。アイヌには発音しかなかった(ゴールデンカムイ知識)らしいよ、いいなあ、読むのは好きなのだ
どうも、百姓一揆と申します。 ゆがんでてすいません。 11月に、「写真を撮る企画、やりたいなあ」と急に思い立ちました。 最初はこんな感じ。 ①アレ→alley(路地、細道) ②アレ→村(古語、人が集まるところ) ③アレ→はっきりとはいえないこと という言葉遊びみたいなことが引っかかっていました。 1週間くらいしたものがこれです。 ・景勝地以外の価値創造 ・何を撮りたいのか?→人が生活してきた跡 ・路地は、人の住んでいるところにしか発生しない ・良さをわかりやすい形
この文を読もうとしている諸氏には、はじめに謝っておかねばならない。なぜなら、この本(岡倉覚三著 茶の本)との出会いが至極まっとうなものではなく、惰民の坩堝「Twitter」から発された一滴だからだ。待った、待ってほしい。ここから先は私の12年間の学生生活において、煮魚の脂のような滋味深いものであること間違いなしの内容だ。ぜひともアミノ酸を感じ取っていただきたい。 突如発生した新型のウイルスにより、文化的活動、もしくは発表する場が失われたことは、体験している現在である。生
またまた名著「茶の本」岡倉覚三 を引用させてもらい、noteをかく。 「花の独奏はおもしろいものであるが、絵画、彫刻の協奏曲となれば、そのとりあわせには人を恍惚とさせるものがある。石州はかつて湖沼の草木を思わせるように水盤に水草を生けて、上の壁には相阿弥の描いた鴨の空を飛ぶ絵をかけた。紹巴という茶人は、海辺の野花と漁家の形をした青銅の香炉に配するに、海岸のさびしい美しさを歌った和歌を持ってした。その客人の一人はその全配合の中に晩夏の美風を感じたとしるしている。」 え?これ
エントリーシートの前で私はこの7月、硬直していた。 「どんな進路を目指しているか」この一行に難儀している。 この18年間、一行では語り尽くせぬ日々を送ってきたつもりである。 それがどうだ、一行にこんなにも苦しめられる。 5、6月の進路活動が順調だっただけに、なんだか無駄な時間を使ってしまったかしらんとしょげる。 「百姓」になると書いた。 書いたはいいが、どういうイメージの職業なのか、そこを詰められる。 「農業を軸に、他業種、地域と百姓だった頃の村のようなコミュニティを
なんの気無しに岡倉覚三著「茶の本」を読んでいたところ 「水さしの役に立つところは水を注ぎ込めることのできる空所にあって、その形状や製品のいかんには存しない。虚はすべてのものを含有するから万能である。虚においてのみ運動が可能となる。おのれを虚にして他を自由に入らすことのできる人は、すべての立場を自由に行動できるようになるであろう」 という一節が。 なんか既視感あるなぁ〜と思っていたら、え?これ ゆらゆら帝国「空洞です」でないの?!さっきの「茶の本」の話をバッカのよう
泣きたいとき〜。泣きたいとき〜。 私はフィッシュマンズの「空中キャンプ」を聴く。 感情をコントロールするために涙を流すのだ、とエシディシも言っている。 思いっきり泣こう。 かといってこのアルバムを「泣ける」映画のような位置づけで話しているわけではなく、「寄り添ってくれる」アルバムだと言いたいのだ。泣くなら受動で泣くな。主動で泣け。 言葉にならないから、歌ったり、踊ったりするのだろう。怒ったり、泣いたりするのも脳内のオーバーヒート、またはクールダウンでしかないと言