出征

本気の覚悟
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本気の覚悟

~ 会ったことのない祖父の遺品に学ぶ ~ 先日、親族の集まりがあり、初めて父方の祖父の遺品を、いろいろと見せて貰いました。 父方の祖父は、新潟県生まれの東京育ち。 父が小学生の時に他界しており、自分はもちろん直接会ったことはありません。 父は6人兄弟の末っ子で、長兄が祖父亡き後の父親代わりだったこともあり、あまり祖父の話はしませんでした。 (父は、新潟の疎開先で生まれて、戦後はしばらく疎開先で育ちました) なのでこのような機会でもなければ、自分も恥ずかしながら、父方の祖

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次の週末 【詩】

次の週末 【詩】

次の週末 旅に出る でっかい空へ飛び立って 二度とここには戻らない だからそれまでいろんなものを 見ておきたくて里帰り 庭の梅が咲く頃だ 白くて小さな花を目当てに 目白の番いがやって来る 枝から枝へぴょんぴょんと 仲良く花をついばんで 見合う姿がいじらしい 耳をすませばどこからか 早春に弾む恋の唄 毎日通った学び舎は 今も変わらずあるだろか 白墨の刻む静寂と 歓喜飛び交う昼休み いがみ合い 助け合い 笑い合い そういえば 長い黒髪の

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童謡の内容や背景など教えるべきです

童謡の内容や背景など教えるべきです

お父さん、この歌(里の秋)歌えます。「しずかなしずかな 里の秋 おせどに木の実の 落ちる夜は~」。S吾はもう学校で習いましたか。連絡ノートにこんなメモが挟まれてあった。 60年以上も前に習ったのに、1番の歌詞は覚えていた。「おせど」の意味が分かっていたら完ぺき。いま思えば、戦後復員する人たちを歌ったもの、ということを教えて欲しかったです。 まさに「里の秋」である。1番の歌詞だけ読み、叙情歌と思っていた。2、3番まで読むと、出征した父親が無事に帰ってきて欲しい。そんな母と子

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御礼100回を記念して家族写真公開!

御礼100回を記念して家族写真公開!

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娘の質問に答える「なぜ戦争に行くのに万歳なの?」

娘の質問に答える「なぜ戦争に行くのに万歳なの?」

戦時中を描いたドラマのシーン あるドラマを11歳の次女と見ていた。 出征のシーンで、戦争にいくことが決まった人が軍服を纏い、どこか虚に一点を見つめ「お国のために戦ってきます」と口にし、多分近所の人や家族を描いているのだろうけど、周りの人が万歳をしている。 中には涙を流す人も混じる。 その後、日の丸の国旗をマントのように、文字通り背中に背負って歩いていく。。。 そんなシーンだった。 見ていた娘が、私に聞いてきた。 「なんで戦争に行くのに万歳なの?」 なんで戦地に

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お盆らしく…祖父に感謝

お盆らしく…祖父に感謝

今日も、ライブ配信。 アファメーションと、 『霊に関わらない方がよい』という 話をしました。初めての方も耳を傾けて 下さり、嬉しかったです☆ ライブ812アプリは、こちら。 https://app.adjust.com/ythv4li?campaign=nadeshiko_ETC そして、早い時間に両親が迎えに 来てくれて、一緒にお墓参り。 初めてのお坊さんに、読経をお願い したのですが、 「とても氣持ちのいい風ですね(^-^)」 と話かけて波動上げてもらって、 終始心

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052.父の召集令状

052.父の召集令状

父の十七回忌も過ぎ、今となっては、なぜもっとちゃんと話を聞いておかなかったかと悔やまれることがありますが、そのひとつが父の召集令状にまつわる一連の話です。 父に召集令状が届いたのは、昭和20年(1945年)8月に入ってからでした。父はちょうど二十歳でした。 その頃、父は大阪で電気工学を学ぶ理工系の学生でした。昭和18年に学徒出陣で20歳以上の文科系学生が徴兵され、昭和19年10月には徴兵適齢が20歳から19歳に下げられる中、父はかろうじて学生を続けていました。しかし、実際

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出征の時は来たれり   父の手記より

出征の時は来たれり 父の手記より

父のアルバムや日記は、残念ながらもうない。 ただ、幾つか生前に写真を撮らせてもらったものがある。また、少し文章が残っている。 いわゆる赤紙というものが来ると、目出度いことと言わなければならなかった。 玄関前の門のところに、二本の長い竿の先に付けられた日章旗が交差して飾られ、その下に立つ父の写真を見たことがある。 そこは、まさしく私の生まれた家の玄関前であったが、今となっては記憶の中だけのセピア色の写真である。 戦争は新聞の報道と異なり、良い方向には向かっていなかった。

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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 中編 2

【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第五章「法隆寺燃ゆ」 中編 2

 ―― 弖礼(てれ)城(慶尚南道海島)  白村江の戦いに敗れた倭国の船団は、各地で敗戦、転戦する同軍や百済軍、百済の民を収容しながら沿岸を南下し、この城に入った。  内地からも、戦に敗れた将兵や城を捨てた官僚や女官、戦役を逃れた民が続々と集まってきた。  だが、あまりに多くの人が集まってきたために、上級将軍や官僚でさえ城には入りきらず、その周りに野営する羽目になってしまった。  彼らでさえ、冷え切った大地に寝転がらなければならないのだから、普通の民は尚のことだ。  

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【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第四章「白村江は朱に染まる」 前編 14

【歴史小説】『法隆寺燃ゆ』 第四章「白村江は朱に染まる」 前編 14

 近畿各地から集った兵士は、西海渡航まで難波津で待機していた。  朴市秦田来津率いる朴市の兵士も、飛鳥に入った後、大王の難波行幸に併せて難波に入った。  田舎から出て来た兵士が行くところとなれば、一つしかない。  特に難波津は、若い兵士たちが羽目を外すには持ってこいの場所であった。  田来津も、これだけ周囲に誘惑があれば若い者も羽目を外したくなると思うのだが、それでも重要な軍事行動の前である、今後の作戦に支障をきたすほど遊ばれても困る訳で、それで彼は、1日1回、盛り場

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