二三四

プロフィールはご想像にお任せします。写真は「文字を持たなかった昭和」のメイン人物、ミヨ…

二三四

プロフィールはご想像にお任せします。写真は「文字を持たなかった昭和」のメイン人物、ミヨ子さんです。

最近の記事

文字を持たなかった明治―吉太郎42 自立

 明治13(1880)年鹿児島の農村に生れ、6人きょうだいの五男だった吉太郎(祖父)の物語を綴っている。ひと月以上、吉太郎の嫁・ミヨ子(母)の近況などで書きたいことが続き、明治の物語からすっかり遠ざかってしまった。そろそろ再開しよう。  前妻とその子をほぼ一度に亡くしたあとに、いまで言えばいずれも「バツいち」の中年どうしで結婚した吉太郎とハル(祖母)は、息子の二夫(つぎお。父)とともに親子三人の家庭生活。昭和3(1928)年3月のことである。〈261〉  翌年にはアメリカ

    • つぶやき もうひとつのお別れ(後編)

      (前編より続く)  今年の春。臨時に計画した帰省でバタバタしてしまい、しばらくお店に行っていなかった。帰省から戻り久しぶりに店の前を通ったところ、定休日でもないのにシャッターが下りていた。「あれ?」と思いながら近づいたら貼り紙があり 「閉店のお知らせを出したところお客様が急増し、商品が間に合わなくなりました。〇日と△日は臨時休業して商品を準備し、◎日から平常通り営業します」 とあった。そしてシャッター脇の壁には、もっと前に出されたらしい「7月13日を以て閉店します」というお知

      • つぶやき もうひとつのお別れ(前編)

         前項「気持ちを切り替えて…」でnoteの方もそろそろ以前の続きに戻らねば、とつぶやいたばかりだが、つぶやきついでにもうひとつ。  考えてみれば今年の前半、ちょうど上半期の区切りを待ったかのように、わたしに一種の諦めを迫るようなできごとが続いた。四半世紀以上つきあってきた小さな部屋とのお別れについては、少し前に「あるお別れ」で述べた(これは、自分で手放そうと決めて行動した結果なのだが、いざなくしてみるとそれなりの喪失感がある、というお話)。  このところずっと綴っているよ

        • つぶやき 気持ちを切り替えて…

           このところ、「最近のミヨ子さん」というタイトルで、母親のミヨ子さんがごく最近介護施設に入所したこと、その後新型コロナに感染したこと、これらにまつわる自分の気持ちなどなどを縷々綴ってきた。むしろ、自分の気持ちを吐露するために書いている、というのが正しいかもしれない。  本項を書いている時点で、施設での面会は再開されていない。つまりミヨ子さんの様子はまったくわからない。その間に3回葉書を(うち1回は速達だ)、1回封書を出し「早く良くなってね」と伝えはしたが、ミヨ子さんがちゃん

        文字を持たなかった明治―吉太郎42 自立

          最近のミヨ子さん 介護施設へお預けするということ、余談

          (前項「介護施設へお預けするということ」に関連して)   余談だが、ミヨ子さん(母)がつい最近入所した施設でコロナ感染が広がっていると知ってから、全国の感染状況を調べてみた。暑くなってきた頃から各地とも増えてきて、6月後半から急増している。直近の感染者数は、沖縄に次いで鹿児島は2番目に多い。7月初めの鹿児島県(および鹿児島市)の感染者数を見ながら、ミヨ子さんはこの一人なのか…と考える。  本項を下書きしていく日も経たないうちに、全国規模での新型コロナの急増が注目され始め、

          最近のミヨ子さん 介護施設へお預けするということ、余談

          最近のミヨ子さん 介護施設へお預けするということ

           昭和の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。  たまにミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いているが、このところは、息子のカズアキさん(兄)一家と同居してきたミヨ子さんがバタバタと介護施設へ入所するまでとその後を述べている。施設に入所したミヨ子さんが新型コロナに感染し面会が叶わなくなった状況も。  施設はカズアキさん一家の家から近く、会えないまでも様子を聞きに行ったりはできる。一方、施設の近くに息子がいるの

          最近のミヨ子さん 介護施設へお預けするということ

          最近のミヨ子さん 前回のコロナ感染

           昭和の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。  たまにミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いているのだが、このところは、息子のカズアキさん(兄)一家と同居してきたミヨ子さんがバタバタと介護施設へ入所するまでとその後を述べてきている。施設に入所したミヨ子さんが新型コロナに感染し面会が叶わなくなり、それが続いている状況も。    前々項でも触れたが、ミヨ子さんの新型コロナ感染は2回目だ。1回目は2年前の8月だった

          最近のミヨ子さん 前回のコロナ感染

          最近のミヨ子さん 面会謝絶

           昭和の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。  たまにミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いているのだが、このところは、10年ほど息子のカズアキさん(兄)一家と同居してきたミヨ子さんが、脚力の極端な低下をきっかけに、バタバタと介護施設へ入所するまでとその後を、ずっと述べてきている。  そして前項では、カズアキさんが2回目の面会に行ったところ新型コロナ感染のため会えなかったことを述べた。  それから1週間ほ

          最近のミヨ子さん 面会謝絶

          最近のミヨ子さん 2回目の面会

           昭和の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。  たまにミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いているのだが、このところは、10年ほど息子のカズアキさん(兄)一家と同居してきたミヨ子さんが、脚力の極端な低下をきっかけに、バタバタと介護施設へ入所するまでとその後を、ずっと述べてきている。これらも昭和を生きた女性の記録のようなものだ。  直近では、カズアキさん夫婦が面会に行ったこととそれについての印象を書いた。

          最近のミヨ子さん 2回目の面会

          最近のミヨ子さん 介護施設について(後編)

          (前編より続く)  前編で述べたとおり、ミヨ子さん(母)が入る介護施設をカズアキさん(兄)夫婦が探し始めたときも、入所が決まったあとも、「息子家族の家から近い」ことはわたしも重要な要素だと思っていた。  気軽に会いに行けるのは大事なことだからだ。どんなに至れり尽くせりでも――そんなところに入れるような資金的余裕はミヨ子さんにはなかったけれども――、遠くてめったに面会に行けないような施設より、家族がちょこちょこ顔を出せるところのほうが、本人もうれしいだろうし、家族の負担も少な

          最近のミヨ子さん 介護施設について(後編)

          最近のミヨ子さん 介護施設について(前編)

           昭和の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。たまにミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いている。  ミヨ子さんはここ10年ほど息子のカズアキさん(兄)一家と同居してきたが、最近とみに脚力が弱まったことからバタバタと介護施設への入所が決まり、つい先日入所した。娘としては十分親孝行できなかったという後悔が募っていた。  入所から5日が経ち、お嫁さん(義姉)から面会の様子が動画で送られてきた。夫婦揃って行ったよう

          最近のミヨ子さん 介護施設について(前編)

          最近のミヨ子さん 介護施設での面会

           昭和の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。たまにミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いている。  少し前にバタバタと介護施設(グループホーム)への入所が決まり、ついに入所の日がやってきて、同行したお嫁さん(義姉)が当日の様子を動画で送ってくれた。画面に映る比較的開放的な空間に少し安堵したものの、わたしのほうは、時間が経つにつれミヨ子さんへの申し訳ない気持ちが募っていた。  入所から5日が経った平日、お嫁さ

          最近のミヨ子さん 介護施設での面会

          最近のミヨ子さん Xデー(施設入所)、その後

           昭和の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。たまにミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いている。  少し前にバタバタと施設への入所が決まり、ついに入所の日――Xデーがやってきた。前項では、入所に同行したお嫁さん(義姉)から動画で送られてきた入所の様子について述べた。施設が閉鎖的ではなさそうなことや、ミヨ子さんの部屋がきれいなことにわたしはとりあえず安堵しつつも、「一人残されて大丈夫だろうか。どんな気持ちでいる

          最近のミヨ子さん Xデー(施設入所)、その後

          最近のミヨ子さん Xデー当日――施設入所

           昭和の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。たまにミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いている。  少し前にバタバタと施設への入所が決まった。このところは、入所の日――Xデーの前日にビデオ通話した際のことを5回に分けて述べた。どうということもないいつもの会話を繰り広げるばかりで、「お母さん、明日から施設に行くんでしょ?」とは、どうしても言えなかったことも。  そして、ミヨ子さんが施設に移る日を迎えた。  

          最近のミヨ子さん Xデー当日――施設入所

          ミヨ子さん語録「ほめっ」補足

           昭和5(1930)年、鹿児島の農村で生まれたミヨ子さん(母)の来し方を振り返る中で、 たまにミヨ子さんの口癖や、口ぶり、表現を「ミヨ子さん語録」として書いていて、前項では「ほめっ」(暑い、蒸し暑い)について、ミヨ子さんの夫・二夫さん(つぎお。父)の思い出とも絡めて述べた。  鹿児島弁を取り上げる際は、愛用の「鹿児島弁ネット辞典」で毎回用法や由来を確認している。たまにミヨ子さん(たち)の用法とは違うニュアンスのこともあるし、まれに言葉そのものが見つからないこともある。  

          ミヨ子さん語録「ほめっ」補足

          ミヨ子さん語録「ほめっ」

           まだ7月上旬の梅雨明け前なのに、毎日暑い。わたしが住んでいる関東地方だけではなく、各地とも「異常な」暑さに見舞われている。「異常な」「例年にない」は、特異とされてきた気象現象を語るときの枕詞として頻繁に使われるようになって久しい。つまり、「以前なら見られなかった程度の」暑さや雨が頻発しているということでもある。  さて。   昭和中~後期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた(最近はミヨ子さんにとっての

          ミヨ子さん語録「ほめっ」