最近のミヨ子さん Xデー当日――施設入所

 昭和の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。たまにミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いている。

 少し前にバタバタと施設への入所が決まった。このところは、入所の日――Xデーの前日にビデオ通話した際のことを5回に分けて述べた。どうということもないいつもの会話を繰り広げるばかりで、「お母さん、明日から施設に行くんでしょ?」とは、どうしても言えなかったことも。

 そして、ミヨ子さんが施設に移る日を迎えた。

 入所のための一連の準備と手続きは、同居している兄のお嫁さん(義姉)がやってくれた。というか、同居家族しかやれる人はいない。一人暮らしの人の場合どうするのだろう、とふと思う。

 兄の家から施設まで車で3分、歩いても15分ぐらいか。都市部の感覚なら「同じ町内」だろうか。もちろんミヨ子さんが歩いて行ける距離ではない。そもそも歩行が困難になったからそろそろ施設へ……という経緯なのだから。家族が住む場所から近いのは、何かと便利だし心強い〈256〉。

 着替えなどはとりあえず3日分くらい用意すればいいらしい。「必要になったものは、あとから届ける」とお嫁さんは言っていた。

 入所は日曜日だった。どうなったかなぁ、もう「引っ越し」したんだろうか、と気を揉んでいたところ、午後になってお嫁さんから動画が届いた。施設(グループホームである)の中を移動しながら撮影していて、食堂、ミヨ子さんの部屋、トイレなどを順に映してくれている。施設の代表らしい女性が案内し、お嫁さんはすれ違うスタッフや入所者に「こんにちは、お世話になります」と声をかけている。「トイレが近いくていいわね」と独り言も入っている。

 動画で見る限り明るく比較的開放的な空間だ。ミヨ子さんの部屋は、広くはないが狭苦しくもない個室で、ベッドとクロゼットがある。クロゼットには、お嫁さんが持って来てくれた衣類や紙パンツの類が整理して収納されている。

 2本目の動画の中でミヨ子さんは自室のベッドに腰掛けている。窓は摺りガラスで外は見えない。暗い部屋ではないが、まあ――殺風景ではある。まだ「生活」が始まっていないのだから、その気配がないのはしかたないにしても。ホテルの部屋よりも、よく言えばシンプル、悪く言えば温かみがない、とも言える。

 ミヨ子さんはちょっと戸惑ったような、不安そうな表情に見える。傍らでスタッフとしゃべっているお嫁さんの方向を窺っては、視線を漂わせている。どうして自分がここにいるのか、わかっていないのではないか――。わたしにはそう思えた。

 お嫁さんは最後に「お昼ごはんが出るからね」と言い、ミヨ子さんが頷いた。動画はそこで切れた。このあとミヨ子さんは施設でお昼ご飯を食べた――のだろう。ほかの入所者さんたちといっしょに。

 施設が(見た目)閉鎖的でないことにとりあえずは安堵した。ミヨ子さんの部屋がきれいなことにも。でも「一人残されて」大丈夫だろうか。どんな気持ちでいるのだろう。わたしの胸はむしろ塞がりつつあった。

〈256〉ただしそれは一面の見方でしかなかったことをあとで知らされた。これについてはいずれ述べる。

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