文字を持たなかった昭和534 ミヨ子の半生―昭和5年~令和6年現在

 昭和中期の鹿児島の農村を舞台に、昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴っている。

 本文のほうでは、昭和から平成に入り老年期を送っているミヨ子さんについて書きつつあるが、年表の整理のほうはおろそかになっていた。ここらでもう一度ミヨ子さんの誕生後から整理してみたい(これまで、昭和5~40年頃昭和5~50年代半ば昭和5~50年代以降と3回アップロードずみ)。

昭和5年 鹿児島で出生を届出(実際の生年は昭和4年)。
  12年 小学校入学(戦時中に名称が国民学校に変わる)。
  18年 国民学校初等科卒業、高等科入学。
  20年 国民学校高等科卒業、鹿児島市内の小学校の販売部に勤務、
      空襲の激化に伴い退職。。
  20年代前半 佐賀市・大和紡績に就職、5~6年働くも結核に罹患。
  28年頃 結核治療のため郷里へ戻り、入院療養。
  29年 土地持ちの農家の一人っ子・二夫(つぎお)と結婚。
     (舅・吉太郎、姑・ハル)
     主業の稲作や蔬菜栽培の傍らで、ミカン山の開墾にも加わる。    
  30年代初 開墾の過労からか、最初の子供(男児、誠)を死産。
  35年 長男・和明を出産。
  37年 長女・二三四(わたし)を出産。家族は6人に。
  40年 和明、幼稚園入園(当時は年長組のみ)。
  40年代初め頃 価格が下がったミカンに代え、
     接ぎ木してポンカン栽培に切り替え。
     その後経営にビニールハウス栽培のスイカを加える。
  40年代前半 徐々に家電を導入(洗濯機、冷蔵庫…)。
  41年 和明、小学校入学。
  42年 二三四、幼稚園入園。
     (この年から年少クラス設置、年長・年少の2年制へ)
  44年 二三四、小学校入学。
  45年 舅・吉太郎、老衰で死去(92歳)。家族は5人に。
  47年 和明、中学校入学。
  48年頃 吉太郎が買った屋敷に一部アルミサッシなどを入れて改装。
      同じ頃二夫が普通免許取得、バンを購入。
  50年 和明、高校入学。二三四、中学校入学。
  50年代初め頃 農協の指導によりキュウリのハウス栽培を始める。
     ハウス内での農薬使用によりミヨ子は農薬アレルギーに。
  53年 和明高校卒業、鹿児島県内で就職。
     二三四、高校入学。家族は実質4人に。
     5月姑・ハル、老衰で死去(86歳)。家族は3人に。
  56年 二三四高校卒業。ミヨ子・二夫の二人暮らしが始まる。
     二夫・ミヨ子とも進学に反対したが、和明の進言で折れる。
     この頃ハウスキュウリをやめ多額の負債が残る。
  59年 和明結婚。
     (一男二女に恵まれ、のちに鹿児島市郊外に家を建てる)
  60年 二三四大学卒業、東京で就職。
     (二三四はその後アジア圏で複数回勤務。
      平成半ばに結婚、首都圏で生活)
昭和の終り頃 負債返済のため二夫が一大決心、土木作業に出る。
     稲作は続ける。ミヨ子は畑仕事を続けながら夫を支える。
平成の始め頃 ミヨ子、自転車で転倒。右手が少し不自由になる。
     ミヨ子に子宮がんが見つかり、全部摘出。
     二夫が仕事先で倒れ、直腸がんが見つかる。土木作業を辞める。
     負債の残りは二三四が肩代わりして返済を完了。
     ミヨ子たちは田畑の維持程度に農作業を続ける。
平成23年 東日本大震災の少し前に二夫が肺炎のため急逝。
     ミヨ子初めての一人暮らし、ほどなく乳がんが見つかる。
平成26年頃 大型台風を避けてミヨ子は和明宅へ事前避難。
     この台風で家屋が損傷、和明宅での同居へ移行、住民票も移す。
     デイサービスなどの福祉サービスも受け始める。
平成の終わり頃 旧家屋(二三四たちの実家)を完全撤去。
     のちに跡地で和明が家庭菜園を始める。
令和   ミヨ子に認知機能低下の傾向が見られ始め、徐々に進行。
令和6年現在 ミヨ子の楽しみは3度の食事と週4回のデイサービス。
     家族は識別でき断片的な会話も成立するが、時系列を辿るのは困難。ゆっくりだがまだ自足歩行できている。

 二三四が郷里を出たあたりから時系列は曖昧だ。ことに老年期以降のミヨ子さんたちの状況は断続的にしか見ていないので、正確さを欠くがやむを得ない(負債や体調については、それぞれテーマを設けてできるだけ記録した)。もっと重要なできごともあるかもしれないので、思い出したら次の更新のときに追加したい。

 年表には、すでに書いた出来事やエピソードなどのリンクを貼りたいし、世の中の主なできごとも併記してみたいが、作業は膨大になりそう。当面の目標は、これまで書いたものの一覧(目次)をアップロードすること。現時点で750件以上の記事があるので、それも一苦労になりそうだが。

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