最近のミヨ子さん Xデー前日 ⑤言えないひと言

 昭和の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた。たまにミヨ子さんの近況をメモ代わりに書いている。

 ここ数回は、施設入所の前日にビデオ通話した際のことを述べている。30分ほどの会話の中で、どうということもないいつもの会話を繰り広げながら、どうしても言えない一言があった。

「お母さん、明日から施設に行くんでしょ?」

 施設はねー、こういうところらしいよ〈253〉。お世話してくれる人たちはみんな専門の人たちで親切なんだって。お母さんぐらいの年の人たち10何人といっしょの家に住むんだって。でも、一人ひとりにお部屋があってタンスもあるんだよ。お医者さんも、いままで行ってた病院の先生が、定期的に来て診察してくれるらしいよ。
 それに、いま住んでる兄ちゃん(ミヨ子さんの息子)の家からすぐ近くだからね。兄ちゃんもお義姉さんも、ちょこちょこ顔を出してくれると思うよ。わたしも、鹿児島に帰ったときは会いに行くからね。お手紙も送り物も送っていいらしいから、お手紙も出すね。

 ――などということは、とても言えなかったのだ。

 ひとつは、翌日から「この家」ではない場所に住むことになると、ミヨ子さんがちゃんと認識しているのかがわからなかったから。説明したときは理解していた(ようだ)と兄から聞いてはいるが、どの程度理解したのか、それをちゃんと覚えているのか。おそらく「忘れている」だろう。

 そんなミヨ子さんに、いわば「理解を超える」ような話をして混乱させたくなかった。

 そして、そんな話を始めたら、自分が泣いてしまいそうだった。

 通話は、わたしのツレもいる時間帯をお願いした。ツレとも話をしてほしかったから。ツレは「入所のことどうするのかなと思ったけど、あなたが話してないからやめたよ」と言っていた。

 つまり、ちゃんとした(ある種の)お別れの挨拶をしないまま、ミヨ子さんを「送る」ことになったのだ。それがよかったのか悪かったのか、わたしには判断がつかない。

 同じ日の夜、屋久島に住むミヨ子さんの末の妹・すみちゃん〈254〉も電話したらしい。わたしが事前に「この日が息子の家で過ごす最後の日だ」と伝えたからだ。あとですみちゃんにメッセージを送り、施設入所のことを話題にしたかと訊いたら、
「最初電話に出たカズアキ(兄)から、母ちゃんが混乱するから話さないでくれ、と言われた。だから『元気にしてる?』ぐらいの話しかしてない」
と返ってきた。

 みんなが、それぞれに心を配り、気遣いしている。でもなんとなく、どれも正しくないような気もしている。それはきっと、ミヨ子さんが「ほんとうに望むこと」がわからないからだ。

 そうして、ミヨ子さんが施設に移る日がやってきた。

〈253〉施設など入所のことについては「最近のミヨ子さん Xデー」。
〈254〉昨秋すみちゃんもいっしょにお泊りしたときのことは「続・帰省余話13~姉妹の再会」。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?