ミヨ子さん語録「ほめっ」

 まだ7月上旬の梅雨明け前なのに、毎日暑い。わたしが住んでいる関東地方だけではなく、各地とも「異常な」暑さに見舞われている。「異常な」「例年にない」は、特異とされてきた気象現象を語るときの枕詞として頻繁に使われるようになって久しい。つまり、「以前なら見られなかった程度の」暑さや雨が頻発しているということでもある。

 さて。

  昭和中~後期の鹿児島の農村。昭和5(1930)年生まれのミヨ子さん(母)の来し方を中心に、庶民の暮らしぶりを綴ってきた(最近はミヨ子さんにとっての舅・吉太郎の来し方に移ったあと、先月の帰省のエピソードをしばらく続けた)。

 たまに、ミヨ子さんの口癖や、折に触れて思い出す印象的な口ぶり、表現を「ミヨ子さん語録」として書いている〈255〉。タイトルの鹿児島弁「ほめっ」は口癖というわけではないのだが、この暑さで思い出したので記しておく。

 愛用する「鹿児島弁ネット辞典」によれば「ほめっ」の意味は「暑い、蒸し暑い」、由来は熱いという意味の「火(ほ)めく」の促音化、とある。

 わたしの生家は農家、農業にとって気象は死活的に重要だ。家の中でも天気に関する話題はとても多かった。子供の頃の経験や記憶によれば「ほめっ」はたんに暑いというより「蒸し暑い」のほう、それも風が止まってどうにもやりきれない暑さのときに使っていたと思う。

 夏のいちばん暑い頃、風が止まった晩にはミヨ子さんの夫・二夫さん(父)が、扇風機の風に当たりつつ――クーラーは当然ながらなかった――
「きゅ(今日)はほめっどねー」(今日は蒸し暑いなぁ)
と漏らすことがときどきあった。ミヨ子さんは
「じゃっどなー、みょな ぬっさじゃ」(そうですね、妙な暑さですね)
と返すのが定番だった。

 そういうとき、二夫さんは黙って外に出た。自転車で出ることもあった。何も話さずふいに何か行動するのは、二夫さんの癖だった。
「どけ 行っきゃっどかいね」(どちらへおでかけかしらね)
ミヨ子さんとわたしは顔を見合わせる。記憶の中に長男のカズアキさんの姿はないから、わたしは高校生になっていたと思う。

 やがて足音か、自転車を納屋に入れる音がして、二夫さんが現れる。手にはかき氷風のアイスが人数分。
「氷でん食もらんな、ぬっさがやまんが」(氷でも食べなければ、暑さが収まらないよ)
クーラーのない家の「酷暑」のしのぎ方、それもいちばん贅沢な方法は、かき氷風のアイスを食べることだった。

 二夫さんは自分で使えるお金、つまりお小遣いを潤沢に持っていたわけではない。それこそタバコ銭くらいだろう。そこから氷菓を買ってきてくれた、というと麗しいエピソードに聞こえるが、この頃わたしは父親を疎ましく思っていたから、父親が買って帰ったアイスを黙って食べただけである。

 やがてミヨ子さんたちは夫婦二人の暮らしになった。夏に帰省するとかき氷風のアイスが冷凍庫に入っていた。
「きゅは ほめっどね」
「じゃっどなー。氷を買うちゃっで、食もろや」(氷を買ってあるから、食べましょうよ)
そんな会話を、二人でしていたのだろうか。

 「ほめっ」と表現したいほどの暑さを、もっと小さい頃は知らなかった。それは、「昔」は鹿児島でもそこまで暑くなかったからか、気象を表現することばを子供のわたしはそれほど敏感に聞き分け、使い分けていなかったからか。この短い方言から、家族のいろいろな風景を、そのときの表情や心情とともに思い出す。

〈255〉過去の語録には「芋でも何でも」、「ひえ」、「ちんた」、「銭じゃっど」、「空(から)飲み」、「汚れは噛み殺したりしない」、「ぎゅっ、ぎゅっ」、「上見て暮らすな、下見て暮らせ」、「換えぢょか」、「ひのこ」、「自由にし慣れているから」、「うはがまんめし、こなべんしゅい」、「白河夜船」がある。

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