ミヨ子さん語録「芋でも何でも」

――「文字を持たなかった昭和」のストーリーから外れますが、ミヨ子さん(わたしの母)関連です。――

 ウクライナ情勢が緊迫している。世界中のいろいろな情報がインターネットで瞬時につながる世の中、ほとんどリアルタイムで被害状況が伝えられ、胸が苦しくなる。画面の惨状を前に自分の無力さを痛感する。いちおう早々に募金はしたが、そのくらいしかできないのかと自問してもいる。

 ウクライナ情勢に関連して、日本でも資源や食糧の不足と高騰が懸念されている。エネルギー不足は生活を直撃するし、製造に影響する資源や部材の不足ももちろん心配だ。そして、命をつなぐ食べ物の供給はもっとも重要な問題だろう。

 ここ数か月すでに各種食料品の値上がりが続いているし、この先も続きそうだ。そこへウクライナ危機で、価格の前に「モノそのものが手に入るか」という懸念まで生じつつある。

 日本の食料自給率は上向かないまま何十年も推移し、直近の発表では37%(カロリーベース)しかない。単純にいえば、国産の食料だけでは一日一食程度しか食べられないということか。つらつら考えていたら、母が昔よく言っていたことを思い出した。

「何か起きたら実家に帰ってきなさい。土地はあるんだから、さつま芋でも何でも植えれば、食べる分くらいはなんとかなるわよ」*

 わたしはもう社会人になっていたと思うが、「何か」ってなに? 戦争とか? まさか。オイルショックみたいなときのために、政府も企業も賢く戦略を立ててるでしょうに。食料でもなんでも世界中で融通する時代だよ? 家の畑だけでなんとかしようなんて、戦時中じゃあるまいし――といったことを都度考えていた。さらに、食べ物でも資源でもお金で解決できる、日本の経済力をもってすれば、とも。

 しかし、ひとたび危機(戦争とは限らないが)に陥れば、たちまちモノが動かなくなることを、リアルに学ばされている。そして、他国や国際機関といった周囲が大きな力を働かそうとしても、事態は容易に動かないことも。

 母たち世代は戦前から戦後の厳しい時代を生き抜いてきた。いざという時は自分しか頼りにならないと骨身に染みていることだろう。日々食べるものは自分でまかなう。素朴だが生き物としての原則を、母は生き方の基本に据えてきたのかもしれない。

*鹿児島弁
「ないかあれば わがえ もどっきやんせ。じだはあったっで、カライモでんなんでんうゆれば、たもいかたんぶんな いけんかなっとよ」
( 何かあれば 我が家 戻っ来やんせ。地だはあったっで、カライモでん何でん植ゆれば、食もい方ん分な いけんかなっとよ)
「我が家」のあとの「へ(え)」は「いえ」と一体になって短縮されている。同様の音の変化がしばしば発生する。

《参考》
日本の食料自給率:農林水産省 

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