ミヨ子さん語録「銭じゃっど」

 noteでは母ミヨ子の半生を軸とする家族や、家があった鹿児島の農村について書いている。

 わたしの記憶を遡り、さらにその前の状況を憶測する中でしばしば思い出すのは、ミヨ子の口癖だ。そのひとつがこれ、
「銭(ぜん)じゃっど」。

 銭とはそのままお金、現金。直訳すると「お金だよ」だろうか。

 買ってきたかいただいたかにかかわらず、子供(わたし)たちがモノや食べ物を粗末にしたり、無駄使いしたりしようとするものなら、ミヨ子からこの一言が飛んできた。

「お金を出して買ったんだから(お金をかけて作られたものなのだから)大切にしなさい」
と言いたかったのだ。

 あるいは、買ってきたもの、いただきものの本体以外のものも捨てずに使おうとする両親に
「そんなものまで」
と半ばあきれながら意見するときも
「銭(ぜん)じゃっど」あるいは
「銭(ぜん)じゃらよ」「銭(ぜん)じゃいがね」(「(だって元は)お金じゃないの」の意。前者は男言葉、後者は女言葉)と返された。

 「本体以外のもの」とは、包装紙や空き箱、食べ終わった仕出しの弁当箱などであり、カットケーキをくるむセロファンについたクリームだったりもした。家の中には、そうやってとっておいたいろいろなモノが、押し入れや水屋の隅に積まれていた。(ただし、もちろんクリームはお腹の中に収まった。)

 昭和の後半、オイルショック期こそ景気が後退したもののほどなく回復、成長を取り戻し、バブルに向かって膨張基調の経済の恩恵を受け、わたしたち子供世代は、経済とは右肩上がりで推移するもので、物質的豊かさは広がりこそすれ縮小することはあり得ない、と無意識に思い込んでいたと思う。そんな世代からすれば、捨ててもよさそうなものを集め、ちまちまと節約する親たちの姿は、ありていに言えば「貧乏くさく」映った。

 社会人になって自分のお金でひととおりのものを買えるようになってからは、消費してこそ経済が回る、との信念から、一見不要なものまで捨てようとしない母親に
「欲しくなったらまた買えばいいじゃない、お金は使わないと入ってこないよ」
と持論を展開したこともあった。

 もちろん頭では、裕福とはとても言えない戦前の農村に生まれ、物資不足の戦中戦後を潜り抜けてきた両親たちは、モノを簡単に捨てられないことは理解していた。しかしそれ以上に、大量生産と大量消費こそが経済を活性化し、一般人もその恩恵を受けられるのだと、信じていた。

 ところが、自分が生きている間に――いや、戦争を潜り抜けた親の世代も存命のうちに、地球は大量生産と大量消費に耐えきれないと言われるようになり、エコやSDGsが叫ばれるようになった。まさに価値の大転換である。そして日本は、長いデフレで体力を奪われた挙句、資源の高騰と円安の打撃を受けて喘いでいる。

 「欲しくなったらまた買えばいい。お金は使わないと入ってこない」と信じていた自分が、いまとなっては恥ずかしい。「銭じゃっど」という言い方が最適かどうかはわからないが、浪費せず、使えるものは最後まで使う、というつつましい生き方は間違っていなかったのだと改めて思う。

 幸い、つつましやかに日々を送る両親の姿を見て育ち、子供だったわたしも、包装紙の皺をのばして貯めておき工作やお絵描きに使うような生活を送った。いまそんな生活に戻ることにそれほど抵抗はない。というより、すでに「包装紙の皺をのばして」再利用する生活に再び入っている。そして、再利用の行為のたびにまだ若かった頃の両親の姿を思い浮かべる。

 親(やその上の世代)が身をもって教えてくれたことが自分の中にあることのありがたみとともに。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?