『懐かしいふるさと長崎エッセイ』田嶋 静(タジマ シズカ)

ふるさと長崎の思い出を綴るエッセイを毎週更新中。コロナで休塾の折、自宅で 「猿簔」を手…

『懐かしいふるさと長崎エッセイ』田嶋 静(タジマ シズカ)

ふるさと長崎の思い出を綴るエッセイを毎週更新中。コロナで休塾の折、自宅で 「猿簔」を手本にかな書道を練習する日々。頁をめくる度、忘れかけていた懐かしい故郷の言葉をみつけ幼少期を思う。その言葉たちを辞書で丹念に調べ、書き留めて行くことを「寄り道、迷い道」と田嶋は呼んでいる。

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  • (エッセイ)猿蓑 〜迷い道・寄り道 まとめ

    〈ふるさと長崎の思い出を綴ったほのぼのエッセイ〉猿蓑 〜迷い道・寄り道【まとめ】コロナ禍で休塾となり、作者は「猿蓑」を手本にかな書道を練習する毎日を過ごす。そんな中、書籍「猿蓑」の中に、頁をめくる度、忘れかけていた懐かしい故郷の言葉をみつける。その言葉たちを辞書で丹念に調べ書き留めて行くことを「寄り道、迷い道」と作者・田島 静は呼んでいる。

  • (小説)笈の花かご

    この物語の主人公は、帷帳登子。 ある日、主人公が、ヒヤリとする出来事に遭遇したことから、トバリが開く。そのトバリの奥から、「アレマア、オヤマア」と、驚きあきるばかりに、老いの数々が、怒濤の如く、吹きだして来る。 2人は、住み慣れた家で暮らしていくか、老人ホームに入居するかという選択に直面する。近くに、親戚、友人もいない暮らしを重ねて、次第に老いていくスイデンとイチョウ。

  • 【小説】「春嵐」全12話完全無料

    多川節子は、高等学校卒業後の進路に 東西医科大学附属の看護学校を選んだ。 その時の進路指導の教師の言葉が、 多川節子の耳に焼き付いている。 彼はこう言った。 「看護婦の社会的地位は低い」と。 そうだろうか? 医療職の学びは、人が生れ、生きて、やがて死ぬ という修羅場を理解することにある。 節子は、助産婦として、 生命の誕生という分野に身を置くことになった。 パートナーとなる医師とも出会うが、 黄砂まじりの春の嵐が彼女を襲う。 さて、さて、どういうことになるでしょう。……

  • 田嶋静エッセイまとめ

    田嶋静 普段はオリジナル小説を連載しています。ほかに日々のつぶやきなどをたまにエッセイとして書いています。

  • (小説)Re, Life 〜青大将の空の旅

    序章、第1章、中間の章、第2章、第3章、終章の6章で構成。全16話(予定)オリジナル小説。不定期に1話ずつ掲載予定。 父祖の地で過ごした幼い日々の回想からはじまり。祖父母、その家屋敷、そこに住む生き物に守られて、成長していく女性の姿がいきいきと描かれています。 あらすじ 子供の頃の一時期を、母が生まれ育った長崎「椿の里」にある祖父母の家で暮らしたことのある北村志津子。父親の仕事の関係で後に市内に移り、結婚を機にまた別の暮らしが始まります。時を経て再び「椿の里」へやってきたところから小説は始まります。その理由とはいったい……

最近の記事

母の「かんだんなか…」というつぶやき。伊勢エビのおやつ。疎開の思い出エッセイ。

(あらすじ)父の出征中、豊かな自然に囲まれたふるさとへ疎開した。ひとり奮闘するたくましい母。しかし時折「かんだんなか……」と母はため息まじりに呟く。 質素な食事が続く毎日、たった1度だけ突然おやつに伊勢海老が登場した。戦後ふるさと長崎での暮らし、母の思い出、当時の食べ物の記憶。楽しくもあり、ほろ苦くもある懐かしい思い出をたくさん綴った田嶋 静の寄り道・迷い道エッセイです。 椿の里へ疎開 1944年、父の出征後、戦禍を避けて、母と妹の3人は、母方の祖父母の地・椿の里に疎開し

    • #6 第3章(2) 「はやり病」

      前回、第3章(1)で、「朸(おうこ)」から寄り道をした。第3章(2)では、そのおうこで汲み上げた水の続きで、椿の里に起きた出来事を語る。 椿の里に、はやり病 父が出征して、母の実家、椿の里のとみ爺の家*1 に、留守家族3人が疎開した。井戸とランプの生活が待っていた。あろうことか、椿の里に、はやり病が発生した。赤痢の流行である。扇状に広がる集落の要の所にある【 涸れずの井戸 】が原因ではないかと噂された。集落中の生活排水が下がっていき、その井戸に入り込んだのではないかと疑わ

      • #5 第3章(1) 「おうこ」

        今日の一句 まねき まねき あふこの先の薄かな /凡兆    猿簔集 巻之二 夏 俳句を半紙に散らし書きすることを今でも続けている。 俳句の語句に釘付けになり、筆が進まなくなることが時々、ある。 今回は、上記の凡兆*1 の句に出てくる「あふこ」で、筆を擱いて寄り道することとなった。「評釈 猿蓑」 幸田露伴・著 に出てくる俳句である。 「あふこ」とは、柴売りの柴を担う棒であると、幸田露伴は言っている。 私はこの句の「あふこ」に注目した。 (「あふこ」とはいったい……どこ

        • #4 第2章 「たたみ」

          いなか間の うすへり さむし 菊の宿 / 尚白                 猿蓑集 巻之三 「評釈 猿蓑」(幸田露伴・著)の句を、半紙に散らし書き*1 をしていると、うすへりという語で筆が止まった。 (これは何だろうか)と思った。 ここから、又々、私の寄り道が始まった。 露伴の評釈の中に、 「うすへりは、薄べりござ の略である」*2 とある。 花見の折りに使う茣蓙は裏表つるつるしている。これは藺草で編んだものだろう。これに縁を付けたものが、畳が普及するまで座敷に

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        • (エッセイ)猿蓑 〜迷い道・寄り道 まとめ
          8本
        • (小説)笈の花かご
          56本
        • 【小説】「春嵐」全12話完全無料
          13本
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          1本
        • (小説)Re, Life 〜青大将の空の旅
          20本

        記事

          #3 第1章 「五徳(ごとく)」

          かな書道は活動中止 健康塾、かな書道「フジタ会」は活動中止となった。コロナ禍でメンバーが集まって学習する機会が失われ、自宅でひとり、「評釈 猿簔 幸田露伴・著」の俳句を、半紙に散らし書きをしていく日々となった。 「評釈 猿蓑」の頁を捲っていると、どこやら懐かしい言葉に出会うことがある。すると、(ン?)と筆を持つ手が止まる。 俳句の墨書も楽しいが、 「何、それ」と筆を擱き、寄り道、迷い道*1 をするのはもっと楽しい。 今回は、「評釈 猿蓑」の文中に登場する其角*2

          #2 序章「蓑(みの)」(2) 〜ドンザ

          初しぐれ 猿も小蓑を ほしけ也 / 芭蕉 ( 猿簔集 巻之一・冬 ) 「評釈 猿蓑」幸田露伴・著 の冒頭にあるのがこの俳句である。 序章(1)では、この句に登場する「蓑」から発展して、太田 道灌の逸話と山吹の話でアレコレと寄り道をした。 序章(2)では、蓑からまた別の寄り道をする。 ドンザ 私は1944年、父の出征後、父祖の地である長崎県西彼杵郡 椿の里に疎開した。 そこには、周りからとみ爺の家と呼ばれる空き家があった。 その家で3年間暮らした。 空き

          #1 序章「蓑(みの)」(1)

          初しぐれ 猿も小蓑を ほしけ也 / 芭蕉 ( 猿簔集 巻之一・冬 ) 「評釈 猿蓑」幸田露伴・著 の冒頭にあるのがこの俳句である。 この句から、句集に「猿蓑」という名前が付けられた。 冒頭の句の内容を訳したものはない。 (私が職業を辞して退職後入会した)健康塾の、かな書道部会「フジタ会」では、作品づくりで、「評釈 猿蓑」の俳句を散らし書きで取り組むことになっていた。 しかし、コロナ禍で、会合が休止になった。 私は、書の仲間からのサポートが得られなくなり、1人で書き進める羽

          #0 はじめに

          禿げ山に 春が来たのか あお芽ふき この句は、中学校の同級生、青山さんが、国語の授業で作った俳句である。 国語の若い教師は、洟垂れ小僧同然の生徒に、5、7、5の形式と季語なるものを説明して、俳句を作るように言った。 クラス中が面食らったが、幾つか、それらしきものができた。 教師は、青山さんの句を取り上げてほめた。 私は、(そんなものでいいのか)と思ったが、自作の記憶はない。多分、できなかったのであろう。 1945年、日本の国は戦いに敗れた。 それから10年もしない頃の話で

          (小説)笈の花かご #48

          18章 車椅子はもう免許皆伝です(3)引っ越しの打診 あらかたスイデンの諸手続きが終わった頃、イチョウは、東京の娘・英子から、 「近くに移り住んでほしい」 と求められた。 英子も、幾度とない東京都と石川県の往復に草臥果てていた。 イチョウは、4階食堂のテーブルメイトに、娘からの提案を披瀝した。3人の反応は、 「お子がおいでで、その子が、そばに住んでほしい、と言う。こんな幸せな事はありません」 と同じ言葉を揃って口にした。 イチョウは、長年交流している地域の書道仲間にも東

          (小説)笈の花かご #57(終)

          終章 てんでバラバラ新しいトバリ 初めてイチョウは東京の暁荘ホームに到着した。 玄関に車椅子が用意されていた。その車椅子を英子に押され、イチョウは3階A号室に移動した。こうしてイチョウは、東京の介護施設 暁荘ホーム の新しい住民となった。新たなトバリが開いて、未知の暮らしが展開されて行く事に胸が弾んだ。 イチョウが、終の住処を暁荘ホームに決めた理由は、娘・英子の住まいに近いという点。その次は、機能訓練室がある点。イチョウは、引っ越してすぐに機能訓練室を見学に行った。部屋の

          (小説)笈の花かご #56

          19章 モクレン館のマジックショー(5)いよいよ東京へ 朝食のお別れの歌 正月休みが過ぎた。英子は、引越の前日から、石川県にやって来て、 モクレン館の近くのホテルに泊り、引越しに備えた。 荷造りの日、英子は、早朝からモクレン館に来て、引っ越しの荷造り作業を見守った。荷物は手際よく室内から運び出されて、昼前にはイチョウの部屋は空っぽになった。モクレン館の備品であるベッド一式とイチョウのリュックと旅行カバンがポツンと残った。イチョウは、モクレン館の借り椅子にラジオと目覚まし

          (小説)笈の花かご #55

          19章 モクレン館のマジックショー(4)モクレン館のChristmas モクレン館のクリスマスのイベントは、稲場職員他3人によるハンドベル演奏。曲は「ジングルベル」。入居者全員で、ゆっくりと、ハンドベルの速度に合わせて唄って盛り上がった。続いて坂下職員のマジック。 「実は、自宅で夫をお客に見立てて、2週間猛練習しました」 と先触れがあり、そして、 「タネもしかけもあります」 と明言。 彼女は2種類のマジックを披露した。 1つ目は、紙コップに水を注ぎ、チャンチャンと上に下へと

          (小説)笈の花かご #54

          19章 モクレン館のマジックショー(3)さようなら、ザワザワ病院 年末の最終日、イチョウにとってもザワザワ病院の最後の受診日となった。 イチョウは、この日、浅澤医師、出張受付のカワヒラ事務職員、ヨシキタPT、トウダPT、濃紺PTにキチンとお別れの挨拶をした。 浅澤三郎医師の別れの言葉は、 「人生いたるところに青山ありですよ」 先生の年齢はもうすぐ60歳、ひとり娘がいると、別れに際して私的な会話を交わした。 ヨシキタPTには、最終日ではなく1週間前のリハビリの時、東京へ転

          (小説)笈の花かご #53

          19章 モクレン館のマジックショー(2) モクレン館での暮らしも残りわずかのイチョウ、 テーブルが別々の夫妻の思い出 モクレン館4階に、少し前から夫婦で入居している唐島夫妻のお話。 2人は食堂で別々のテーブルであった。夫の栄吾は男性4人のテーブルに、妻のタカは女性8人のテーブルと別れて座っている。以前、席替えの希望を4階チーフに聞かれた妻は、 「夫と一緒のテーブルでなくてもいい」 と言った。夫からは特に希望なし。唐島栄吾は、自分の部屋と食堂の間を、歩行器を使ってゆっくり

          (小説)笈の花かご #52

          19章 モクレン館のマジックショー(1)引っ越し業者の見積り 転居予定は、年明けの1月。正月明け早々と決まった。イチョウの部屋の引っ越しの見積もりを、娘・英子が依頼。年の瀬、カイキ引っ越しセンターの営業マンが、モクレン館のイチョウを訪ねて来た。イチョウの部屋にある物で、パソコン、遺骨、遺影はトラックに積めないと営業マンから言われ、見積額が提示された。 ( 1室分にしては随分と高額ね) 自宅からモクレン館へ移動した額を思い重ね、イチョウはいささか不満。北陸の雪での困難さ、昨今

          (小説)笈の花かご #51

          18章 車椅子はもう免許皆伝です(6) テーブルメイトに、転居の日を知らせる 毎日接する職員さんの名前を知らないモクレン館の入居者は多い。知らなくても暮らして行ける。呼び掛ける必要がある時は、「あのぉ」あるいは、「ちょっと…」と言えば良い。黙って手を上げているだけでも、気がついた職員さんが 「ハイ、どうかされましたか?」 と言って近づいて来てくれる。 テーブルのティッシュが空になると、空箱を縦に立てる。すると、すぐ新しい箱と交換してくれる。 ヤマブキ黄子は、モクレン館の暮