望郷の宇久島讃歌(5)

第1章 望郷の宇久島

●野糞

「ウーッ、お母さん、もう我慢できんばい」

「もうすぐ家に着くから、もう少し我慢して。急ごう」

「いやもうダメばい。ウンコの漏れそうばい。昨日の夜、塩クジラのライスカレーば、山盛りで二杯も食うたからだろう」

「この道端には野糞をする場所もないもんね。あと少しばかり行けば、梅山のキヌ婆ちゃんの隠居家があるけん、もうちょっと我慢して行こう」
 
中学校3年の冬のある日、私は母と家から5キロほど離れた松林に松の落ち葉――炊事の燃料――を採りに行った。母は、「木葉掻(こはかき)」という木製の熊手のようなもので、松の落ち葉を搔き集め、それを上手に米俵のような形に丸めてわら縄で縛った。島では〝カリノ〟と呼ぶ背負子に、母と私はそれぞれ松葉の俵を3個も載せて、家路についた。

 家への道半ばで、私はお腹が痛くなり、猛烈にウンコがしたくなった。帰路は田んぼの中の一本道で野糞をする場所がなかった。私は、便意を堪えて途を急いだ。だが、村の入り口にある梅山のキヌ御婆さんの隠居家が100メートル程に迫る頃は今には、今にもウンコが漏れそうで、歩けないほどに便意が極まった。私は母の声に励まされて、我慢に我慢を重ねたあげくの果てに、どうにかキヌ婆ちゃんの隠居家まで辿り着いた。

 母はキヌ御婆ちゃんの隠居家の入口に立つと「キヌ婆ちゃん、タカシがウンコば漏らしそうじゃけん、便所ば使わせてください」と慌ただしく頼んだ。すぐに婆さんが出てきて「よかよか、すぐ入りなさい」と私たちを家の中に招じ入れてくれた。

 私はようやく救われたような気になり、便所に駆け込んだ。そして、溜め込んでいたものを一気に噴出した。あれほど我慢していた苦痛が一瞬のうちに雲散霧消し、むしろ快感を覚える程の気分になった。

 私は便所を出て、少し照れながら、キヌ婆ちゃんに挨拶して、礼を言った。母は上がり框に腰を掛けて、キヌ婆ちゃんとお茶を飲んでいた。私も母の傍に座ってお茶を頂いた。

 福浦集落の中で、私の母・りん子の母であるミツ――私の祖母――の妹にあたる人がいた。それが梅山のトメ叔母さんだった。母は困ったことがあればすぐにトメ叔母さんの所に相談に行くのだった。キヌ婆ちゃんはトメ叔母さんの姑に当たる人で、還暦を越えていた。キヌ婆ちゃんは長男の虎一郎――トメ叔母さんの夫――の家族が住む〝本家〟とは少し離れた小さな隠居所に一人で住んでいた。

 母と私は、上がり框に腰を掛けてお茶を飲みながら、キヌ婆ちゃんから〝野糞〟に因んで昔話を聞いた。
 
 「今日はタカちゃんのウンコで思い出した昔話ばするよ。大東亜戦争が始まる前の話で、支那事変が始まった頃の話したい。

 梅雨明けの頃、長男の虎一郎に召集令状が来たとよ。覚悟はしておったとばってん、私にとっては本当に衝撃だったとよ。うちの父ちゃんはその時はもう死んでいなかった。だから、農作業は虎一郎に頼りっきりだったので、虎一郎が軍隊に入隊すれば、私一人で百姓仕事どうするか途方に暮れたよ。入隊検査で不合格になればと、心の底から祈ったもんたい。

 虎一郎がいよいよ島を出発する日が来た。私は朝早くに起きて、米の飯ば炊いて虎一郎に食べさせ、残りは梅干を入れた握り飯ば握って、弁当に持たせたとよ。

 昼頃着く汽船の〝太古丸〟に間に合うように、虎一郎と二人で家を出た。支那事変の最中だったから、最悪の場合は支那で戦死するかもわからん。母と子はそのことは十分に分っていても口にはしなかった。虎一郎も家から出発する時は、そのことを承知の上で『これが母子の別れかもしれない』という覚悟はあったはずです。

 私たち二人は、福浦の村人の出征の見送りを受けて出発しました。〝太古丸〟が着く神浦港までは3キロほどの道のりです。梅雨明けなので、もう夏の日差しが照りつける蒸し暑い日でした。心が折れそうな私と虎一郎はほとんど話すこともなく、熱く焼けた土の道の上を歩いた。

道半ばに差し掛かった頃、虎一郎が唐突に『母ちゃん、俺、急に糞がしたくなった。その松林の中で用を足してくるけん、待っとってくれんね』と言い出した。

 私は虎一郎との別れが辛く、心が千々に乱れておった。虎一郎が野糞をする暇さえも離れたくはなかったが、仕方なく道端で待っていた。しばらく待っていると、虎一郎が用を済ませて松林から出て来たので再び歩き始めた。虎一郎は、一家の働き手の自分がいなくなることで、私が困るだろうと心配していた。
 
 『俺がいなくなったら、母ちゃんは困るだろう。今から、田んぼや芋畑の草取り、そして稲刈り、芋掘り、大丈夫かなあ。』

 『私も一生懸命働くよ。お前ほどではなかばってん、和良も勝もおる。二人とも兄ちゃんの分まで働くと言ったじゃないか。』

 『そいでも、本当に心配たい。母ちゃん、あんまり無理ばせんように。』

 『私は、家のことよりも、あんたのことが心配たい。軍隊の訓練は厳しく辛いことだろう。また、弾丸の飛んでくる支那の戦場に行くことになれば、危ないからね。母ちゃんはそのことだけが心配たい。戦場では弾丸が当たらんように神様・仏様そしてご先祖様に毎日祈るけんね。虎一郎は人一倍責任感の強い子だけど、無理ばして危険を冒してはだめだよ。』
 
 そんな母子の会話をしているうちに神浦港に着いた。港には出征を見送る人たちが日の丸や大漁旗を持って大勢来ていた。太古丸は、神浦港内が狭いので、港外で停泊し、乗客や荷物は艀(はしけ)で運んだ。虎一郎は『万歳、万歳・・・・・』の喧騒の中、別れ際に『母ちゃん、有難う。気張ってくるけんね』と言って、磯村さんが運航する艀に乗りこんだ。

大勢の人たちは、国旗や大漁旗を振って『お国のために頑張って来いよー』などと大声で叫び、出征する若者たちを見送っていた。私は、心の中で『虎一郎、無事に帰って来いよ』を念じながら、大勢の人と一緒に手を振った。

艀はやがて太古丸に横付けになり、乗客も荷物もその船腹に飲み込まれてしまった。しばらくすると、虎一郎はデッキに現れた。遠目にでも、私には虎一郎の姿がはっきりと分かった。  

 太古丸は碇を上げて、汽笛を「ボーッ」と鳴らし、動き始めた。いよいよ、本当の別れだ。本当に〝今生の別れ〟になるのかも知れない。そう思うと、私は、やり切れない不安と悲しみに打ちひしが、その場に泣き崩れてしまった。

 船が遠ざかると、見送りの人達は、三々五々と帰路に就いたが、私はしばらくその場にしゃがんだまま、打ちひしがれた心の回復を待ちました。暫くして、ようよう立ち上がり、歩き始めました。戻りの道は、今しがた虎一郎と歩いて来たのと同じ道です。私の心が打ち沈んでいるせいか道沿いの景色までも変わったように思えました。うだるような太陽の暑さも感じませんでした。

 私は、魂が失せた抜け殻のような状態で、蒸し暑い午後の日差しの中、トボトボと元来た道を歩き続けました。道半ばに差し掛かる頃、ボンヤリとした私の頭の中に、ふと虎一郎が港へ向かう途中に野糞をしたのを思い出しました。何故かは知らないが、私は一気に元気が蘇り、矢も楯もたまらず、虎一郎が野糞をした松林に急ぎ足で向かいました。

 虎一郎が野糞をしたあたりに到着し、松林の中に分け入りました。道路からすぐ近くの松林の下草の中に見事な三段重ねのウンコが見つかりました。

近づくと、ギンバエが飛び立ち、プーンとウンコの匂いがしました。私は腹ばいになって顔をウンコに近づけ、その匂いを嗅ぎました。まさしく虎一郎の〝残り香〟でした。

 ウンコは排出されて3時間ほども経っていたので、少し黒っぽく変色していました。ウンコの周りにはアカメガシワの葉が数枚落ちていました。虎一郎はこの葉で尻を拭ったのでしょう。葉には、ウンコがほんの少しだけ付いていましたが、わたしにとっては、それさえも貴重なものに見えました。

 私は、その場に座って飽かずウンコを眺め、匂いに包まれておりました。そうすることで、そこに虎一郎がいるような気がしたのです。ウンコを残して去るのが惜しくて、姉さん被りの手拭いに包んで持ち帰ろうかと本気で考えたものでした。しばらく考え続けましたが、ふと、我に返ってウンコを持ち帰るのは断念しました。

 私にとって、虎一郎との別れは、それほどの大きな打撃だったのでした。私が九州の本土で久留米に近いところに住んで居れば、それほどのショックではなかったのかも知れません。宇久島から出征するとなると、海を隔てた〝別世界〟に行ってしまいます。何だか、虎一郎が、〝御国の力〟のよって私の手の届かない〝別世界〟に連れていかれたような気がして、得体のしれない寂寥感に襲われたものです。」
 
 キヌ婆ちゃんは、ここまで喋ると、一呼吸おいて冷めかけたお茶を啜った。母が話を引き取った。
 
 「母親の子に対する愛情はよく分かります。婆ちゃんが虎一郎叔父さんの出征を見送った時の気持ちは、私にもよー分かります。ばってん、叔父さんは、無事に戦地の志那から戻ってこれてよかったね。」

 「ほんなこて、良かった。運の良かったとよ。私は、毎日、虎一郎のために影膳を供えるとともに、神仏と御先祖様にあの子の無事ば祈っておったとばい。
 リンさんももうすぐタカちゃんを佐世保の高校に入学させるとじゃろう。そん時になれば、私の気持ちがようわかるだろう」

 「そうたいね。この子を送りさすのは嬉しいようでもあるが、淋しいようでもあるね。」
 
 母はそう言って、私の顔を振り返った。私が高校入学のために島を出てもう半世紀以上も経ち、母もキヌ婆ちゃんもこの世を去った。だが、この時のキヌ婆ちゃんの姿とその話は今も鮮明に覚えている。
 
 

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