昭和の記録『祖父が見た日中戦争』より

 早坂隆著『祖父が見た日中戦争』(育鵬社刊)を読み始めた。『祖父の戦争』(現代書館、のちに幻冬舎文庫)を改定したものらしい。

 タイトルのとおり、大正9(1920)年生まれの著者の祖父の生い立ちから中国大陸への出征と現地での経験、終戦までについて、インタビューした内容を編纂したものだ。大陸での初年兵生活の始まりまで読んだところだが、語りの形なので読み進めやすいこともあり、ついつい先を急ぎたくなってしまう。

 読んでいる途中でメモを書いておきたくなったのは、戦時色が濃くなる中での東京帝大の学生生活を振り返ったくだりで印象的な部分があったから。

「大学の地下の食堂の飯は、ひじきの混入量が日に日に増加し、そんなところからもこの国の困窮ぶりが窺えた。」(第三章 歪む写真 p70)

 この述懐の前に、入学当初はふつうにあった甘いものや外食の楽しみにが徐々に失われ、物質的な不自由の度合いが増し、言論も制限されていく状況が描かれている。これらの過程を読むことは、すでに起きた歴史を知る側としてはある種の「再確認」なのだが、この一文は胸に堪えた。

 それがいまの日本――世界かもしれない――の状況と重なるのではないか、と思ったからだ。

 安保法制が整備されたとき(2014年)「戦前の歴史の再来」と言われ、反戦の声が上がった。わたし自身は、日本はもっと国防にも注力すべきだという考えなので、そのときは反対側の意見をやや冷ややかに見ていた。

 いま、ロシアによるウクライナ侵攻を契機に食料や資源が高騰し、日本は円安もあってさまざまなものを買い負けている。いずれ、食料も足りなくなるのではないか、その前に電力をはじめとするエネルギーが不足し、通常の社会生活すら怪しくなるのではないか、と思う。

 ただでさえ、長い低成長期に効果的な回復策が示されないまま、デフレに慣れ切り「低体温」でやりすごしてきた国民の中には、貧困と背中合わせかすでにその淵に足を踏み入れた人も相当いるはずだ。もし――日本が直接関与しなくても――戦争が世界規模に拡大したら、あるいは別の形で世界規模の戦争が起きたら、国防への支出は大幅に増大し、当然税金は増え、一般国民の困窮の度合いはさらに深まるだろう。

 「ひじきの混入量が日に日に増加する」ごはんは、けして過去のものではない。むしろそれは、形を変えてわたしたちに迫ってきているかもしれない。

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