礒永秀雄の詩の広場

海を命の源泉とした詩人礒永秀雄は1976年山口県光市において55歳で永眠しました。その…

礒永秀雄の詩の広場

海を命の源泉とした詩人礒永秀雄は1976年山口県光市において55歳で永眠しました。その詩精神の底には学徒出陣で南の島に送られた体験を原点として人の生命をふみにじろうとするものに対決する意思が流れています。礒永秀雄の残してくれた作品を皆さまと共有できたら幸いです。

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  • 礒永秀雄の歩んだ道

    礒永秀雄の歩んだ道について、記事をまとめていきます。

最近の記事

望 郷

あそこだ 沖だ その向うだ 水天彷彿 青一髪 埃と水のカクテールだ あそこにしか わが ふるさとはない 正反合のゆく末のずってんてんのそのさきの スイツチのある 銀河ゾーン・・・・・・ その投影をば青写真にして 天のボタンに目印のバツテン さて それがすめば あとは 娑婆々々 ダルマの如しだ 風 蕭々 なに 革命だ? ゆうらゆら なに 戦争だ? ゆうらゆら まあ 見るがいい 泣きの渚で 水天彷彿 青一髪 埃と水のカクテールだ あそこにしか わが ふるさとはない    

    • 青 春

      足音が歩く。足音を歩く。僕はその奥をむしんに歩く。道路がしめっている。雨あしが続いている。もうよほどせんから雨は降っていたにちがいない。僕の肩が重い。僕の肩がつめたい。僕は雨に打たれてきたのか。僕は考える。僕は考えまいとする。僕は雨あしをみつめて歩く。憑かれたように。食い入るように。嘔吐のように。反復する。前進する。下降する。そのいずれでもなく。足音の中へ。雨あしの奥へ。それら渦巻いている誘惑の彼方へ。僕は歩く。足音を歩く。指令されたように。忍従のように。戦いのように。僕はマ

      • 海 に

        海 だれに聞いたらよい 海 おまえはわたしの墓場だ と 海 おまえはわたしの恋人だ と 海 おまえはわたしにかかわりがない と 海 だれに聞いたらよい 海 わたしの胸の 悲しみのしわ 海 わたしの秘めた心のながれ 海 わたしの奥にひろがる 暗やみ 海 だれもまわりにはいないから 海 その傷を わたしに見せてはくれぬか 海 神々の死骸をきつとかくしたおまえ 海 愛をふみぬいたその足の裏をわたしは 見たい 海 だれに聞いたらよい 忘れた怒り 海 だれに聞いたらよい 死なない

        • かえろかえろ

          お酒は止して帰りましょう 西のみ空が酔っぱらっていたって 私がのれんをはじくには及ばん 駅前公園の水の上 コポコポと立つ噴水の泡に 喉のあたりがゴクンと鳴ったって ビールはひとが飲めばよろしい お酒をのめば またトラになる ぐうたらぐの字のトラになります 純粋 なんぞになれるもんかい 帰ろう 帰ろう 街の灯尻目に ごくんと生唾をもう一つ鳴らして 汽車に揺られて バスに揺られて 弁当箱にカラコロとあやされ 坊やのところへ 母ちゃんのところへ わが家のお菜のかたへ帰ろう    

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        • 礒永秀雄の歩んだ道
          9本

        記事

          ダ ム

          人生 ついに 復讐の一念 白い刃の雨あられが 決めた まともまんまのくいはずしが みぞおちをゆすって腹はきまった おう にじむ涙のせせらぎも 寄つては一つの小川となり ふところ手した水車を廻す その音は 杵に聞け 臼に聞け ああ とことん とことん と 空白をつく杵のひもじさ しくしく更ける胸の谷間に 百合が咲こうと 咲くまいと だ どうしてくれる この貧と窮! ジャンケンポンは負けつづけに 石橋叩いては遅れる ならばだ 雑魚のいのちは抹殺 と見た! さあ 人生は 復

          水中の陣

          ゆすれどゆすれど 実は 落ちず ゆすぶるたびに 落ちる 頬 生えるは 苔か 身の錆び か 骨身に重いよ 傷のかさ 人生万里 夢 茫乎 寄せるは娑婆の濁流とうとう 待った と やおら棒桟に われと わがはらわたで身をゆわえ 腕に泣く子ら 肩に 父母 ──── 大丈夫? ──── なんの これしき! 水中の陣の搦手には 妻 おう 降るわ降るわ雨 白い刃の雨 雨 したたかに 横なぐりに 胃の腑の壁にしみわたって 描きゆく地図は どこの帝国?           詩誌『駱駝』3

          狼は 藁屋根の下に棲む 柱の林の中に かまどの穴に 客間の床の丘に また嫁たちの涙の谷に 畳の埃を吸っては生き  人の胸倉の肉を食っては太る 夜中に目をさますと 家族の誰彼の寝息が みんな狼のあえぎに聞こえたりして慄然とする 乳呑子さえも 時おり狼に姿を変えて 吼え立てながら 母親の肉を食い荒らす 家じゅうの 空間という空間はびっしり らんらんと 飢えた狼の眼にみち 日本の藁屋根の下 狼のいる花園は 一年中 ひさめとつゆに明け暮れている           詩誌『駱駝』30

          錨をおろせ赤道下

          錨をおろせ 赤道下 南と北とのどまん中 見事なあかねの雲の下に わが革命の船を止めよ 海は涙の寄るところ そこは珊瑚のあるところ もぐるじゅごんのあとを追って 錨を放て 沈めてゆけ 繰出せ さらせ 錨鋼 わが腸 錆びて嚙み合う悲しみの鎖を おお 灼熱の日の下に 青いしよつぱい水の下に 錨をおろせ 赤道下 どろどろどろどろ船をゆるがし 珊瑚の林に沈んでいつては 天地の語らいをして来ねばならん      詩誌『駱駝』31号(1954年3月) この詩は1954年3月1日に

          錨をおろせ赤道下

          幼い夢に

          誰が送れようか おまえを その無垢の身を 花のこころを 向こうの岸へ 霧の彼方へ 白い造花に飾られた町へ どの葦舟で送りえようか たとえ 約束のように  虹の橋が また誘ないのように向う岸から おまえの胸にかかつたからとて 結ばれた岸 とは誰が言おう 招かれたのはおまえと誰が言おう 舟を柩とともづなを解き 色とりどりの矢車の花に おまえの生きたむくろを埋めて 静かにお眠り と 安らかにおやすみ と 誰がさりげなくささやきえようか おかえり 胸の芥子の花を捨てて そよ風に

          つのばらの花を中にして

          花束が贈られる 遠い香りの 花束が渡される 私達の掌に しかしむろ咲きのその花々を 私達の手は静かに拒む 私達のこころは もはやそれらの花々を必要としない 私達の眼は 深い憂いを湛えて 野に 山に それからなだらかな丘の起伏に向かって開かれ そこに もつと美しい花々を見る 私達には もう 根のない花々はいらない 私達には もう やさしい贈物はいらない 花束を贈る手の淋しい白さ その腕の中に私達はもう巻かれたくない あなたの誘う墓場へと急ぎたくない さようなら 白い手の狩

          つのばらの花を中にして

          白い墓場の見える五月に

          男は眼帯をかけ 男は絵筆を走らせ 女はマスクで口を覆い 女は歌くちずさみ 男も 女も ネツカチーフで頬をつつみ 淡いきらりの首飾りには 四万なにがしの番号札がロケットのようにちよこなんと輝き 男も女も白いナイロンの服つけ 腰には大きなコルセット模様のもの穿め ゆらりゆらりと風に揺れ 遠眼にも見られる それらくらげの亡霊たち 絵かきの男たち 眼帯を外さず 歌うたう女たち マスクを外さず 笛ふけばゆらりのおどり ゆらりの絵 ゆらりの歌 投げかわし 取りかわし しかもなお眼帯を外

          白い墓場の見える五月に

          鳥の歌

          いつのまにか熟れた青い麦 いつのまにか刈り取られた茶色い麦 すたすたと闇に消えた半歳の誠実 そつぽを向いてわたるのだ太陽 富士は美しい足もとから痩せ 夜毎蹴はずされる人々の枕 あげひばりの声はいまだあんなに天の深みを探っているのに いつのまにか毀されたねぐら いつのまにか荒らされたふるさと 一日 叫びつかれて落ちてくるひばりに たといどんなやさしい花のしとねが編まれていようと 巣を奪われたひばりの心が なんで慰もう ひばりはだから舞い立つのだ憩いを捨てて のぼる煙のよ

          現代詩の根本問題について

          詩に「現代」と銘うつことは、詩人の責任問題でなければなりません。それほど複雑怪奇な発展をとげたものが、世に罷り通る「現代詩」なのです。ここでは現代詩の定義として、「現代詩とは現代人の内外の生活を知性と感性で高度に圧縮して、新しい世界の意味を伝える短文芸である」とでも申しておきましょう。 「詩」という時、一般の人々に浮かんでくるのは藤村であり、白秋であり、またカアルブッセの「山のあなたの空遠く」などでありましょう。これらの詩は、いわゆる気分的な抒情を美しい七五や五七の調子で流

          現代詩の根本問題について

          葦のずいから

          日は黄金の薔薇 死んだ薔薇 うるしの黒の仏間に似合うよ ぽくぽく木魚の春の日などに そうした想いがしきりであります せむしの軍勢ちよろちよろ行き交い 眼の高さだけの風はそよそよ うたて うたて とラッパも鳴ります 吹き手は サボテン ラ ラ 悲しもの春景色 空には空で藪があり がらがら蛇はかくれ蓑着て 只今 ゆるゆる 巡察中 日は黄金の薔薇 死んだ薔薇 トヨアシハラの チイホアキの いちめんのモヤの そのむこうに ちよつぴり見える あれか アラララ?     初出不明

          幽霊の歌

          う 牛に牽かれて善光寺 う 牛に牽かれて善光寺 う う う う うめけば春 らんまん 心にくいまでの春 ゆ 由良さんだ お金のない ゆ 由良さんだ だらしのない いわしの腐った目ん玉で 足は かげろう 歩けば 体がこわれそうで 走るのなんざあおつくうで へなへなと坐るそのお尻に もえあがるぬくみに てれかくしの焼酎一杯 破産だ 屑だ 空中分解だ などと 呟くうちにもやしの根はつき ああ 糞 盤石のごとしだ どうにもならんわ ここ幽霊の墓場で 焼酎もう一杯      初

          春のたそがれ

          潜水服のような春のたそがれです 僕はしだいに重い空気の沼を沈んで わずかにくゆらせている一本のパイプ おびただしい光の群れはどこへ行ったのでしょう 風も死に 歌も死に ああ 僕の口臭を封じこめるこの沈鬱な季節の底に 溢れひたす不確かなイオンを感じながら それでも 創生の層を求めて 神様 ──── あなたのように僕も立ちつくしてしまうのです      初出不明      詩集『海がわたしをつつむ時』(鳳鳴出版*1971年)