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お金で売っ払った大切なモノとは!?「チェコ、新橋、そしてキューバで考えてみた」

2013年、チェコはブルノへの短期留学の最中、滞在先の寮の隣のバーでチェコ人のブルーカラーの兄ちゃん達とカウンターで盛り上がってたら、同じサマースクールに来ていたヨーロッパ諸国の良家の子女達が蜘蛛の子を散らす様に逃げて行った。

彼らにとって「階級」は「超えてはならない」ものなのです。

アメリカ人、イスラエル人、ドイツ人、ポーランド人、日本人がチェコで歴史的乾杯

ヨーロッパは「縦横」に厳格に階級化され、それは近代後も全く変わっていない(※アーネスト・ゲルナー著『民族とナショナリズム』等を参照されたし)。

私は一切気にせずに、チェコ人のブルーカラー連中相手に爆盛り上げして、彼らから酒を奢られまくった。

私は世界何処でも「ストリート」レペゼンである。

そんな私は駿河の生まれの「江戸派」なので、
己の「身分」に見合った振る舞いを常に心がけている。

私の記憶では、日本の階級社会の表層が崩壊したのはバブル経済期であり、さらに遡れば「江戸幕府瓦解」によって日本の近代化が促進され、
現代において階級制度は「表向き」には見えない様になっている。

新橋にあった中銀カプセルタワービル。この時以外は「アウェイ」なので新橋には行きません

個人的な記憶によれば、1970年代までは日本にもギリギリ「階級」があったが、バブル経済をきっかけに「貨幣」が「階級」を凌駕した。

このきっかけから日本の階級制度は「表向き」は姿を隠し、
今の日本で目に見える階級的な基準は「お金持ってます」となり、
その人の「氏素性」が問われることは「表向き」は無いことになっている。

これによって日本でも、元々は百姓さまであった方々が、
高級ヨーロッパ車とか、三つ星ホテルとか、ロマネコンティとか、
IT屋さんがバスキアとか、
「欧米基準からするとビックリの階級逸脱行為」が発生し、
それは「日本人としての品格」も同時に脅かすものとなっていった。

無階級グローバル資本主義と呼べるこの欲動は
「階級上位の振る舞いに憧れ、それを疑似的に実践する」ことにある。

上記の欧米型階級上位フェティシズムのリストに加えて、
「祇園で芸妓さん遊びをするリアル京都人以外の日本人」等も同じジャンルに分類されるので、これは「グローバルかつドメスティック」なものといえよう。

つまり、
欧米のグローバル資本主義(もともとは植民地主義に由来)の
「下層階級の搾取のパイを増やす」ことによって消費を増大させるコンセプトに対して、

日本及びアジアのグローバル資本主義は
「階級下位の者をおだてて貴族に祭り上げる」ことによって消費を増大させる、という違いがみられるのである(米国が日本型を真似て大失敗したのがサブプライムローンではないか)。

こうして、旧来の階級社会を「表面上見えなく」することで、
「より階級上位への渇望が強まる」
という実に巧妙な手法によって、現代の日本人は消費欲動漬けになったのである。

貨幣経済の非階級性(つまり貨幣は「平等」なのです)は、ありとあらゆる「意味ないけど最高のモノ」を破壊してきた。

それは「お金まみれの極貧」を生み出した。

そんなときキューバと出会った。

ピカピカのEVの新車に乗ってピカピカの商業コンプレックスビルでハイブランドのTシャツと紺ジャケット買って三つ星シェフのレストラン東京店で白のニット地のハイネック&ノースリーブ着たOLと”泡で乾杯”する様をスマホで撮ってSNSにアップロードするという「貧しさ」と、

一方、
アメリカにいまだ経済制裁されている社会主義国キューバはハバナのボロボロの街並みの中の地元民クラブに’50年代ポンコツアメ車で乗り付け激美味モヒート呑んで地元のおねえさん達とぐりんぐりんにサルサ踊りまくる「豊かさ」

【Havana Days -Day3- Nighttime】 3日目で迎えた、完全勝利の瞬間である。 キューバの真ん中のハバナの真ん中のカノ「Casa de la Musica」のフロアの真ん中で踊りまくりました。 売春婦のネェちゃんから熱い熱いラブコールを頂きました。 やはり、日頃からの鍛錬が大切だと痛感した次第です。

Posted by George Iwasawa on Wednesday, July 17, 2019

この「アメリカ主導のグローバル資本主義から完全に外れた」キューバの圧倒的な「豊穣」は衝撃的であった。

かつて、この「豊穣」は我々にあったものだが、お金で売り払ってしまったのである。
代わりに、ピカピカの服、ピカピカのEV車、ピカピカのハウスメーカーのお家がやってきた。
ラグジュアリー・ホテルに泊まり、ワインの品種やドメーヌに詳しくなった。
投資ホテルの一室を買って別荘替わりに使うのもいいかもしれないだろう。

こうして「お金まみれの極貧」の深みにハマって行くのである。

とはいえ、キューバもいつまで「シラフ」でいられるかは分からない。

ハバナのストリート
ハバナの夜のストリート、音楽と人に溢れている


さて、
そんな私のルーツは「駿河の商人」であり、さらに「御三家」の藩である紀州商人へと遡る。

家は没落したが笑、DNAは年々色濃くなっているのを実感する。

現代日本の「見えない階級社会」は「階級上位への渇望」によって強化され、その薬物禁断症状的な渇きはグローバル資本主義の恰好のエサとなっている。

その「渇き」はどれだけ貨幣で埋め立てても埋まることはないだろう。
何故なら、そこに「実体」がないからである。

堂々と「私は何処の誰ベエです(おっと粋な言い回しだ)としていれば、世界中何処でも問題は無いし、上流階級からは無視されて終わりである。

そんな「粋」な生き方をしていると、毎日がパラダイスなのである。

※リアル「パラダイス」なキューバの旅をまとめました。御高覧くださいまし。



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