文月悠光 Yumi Fuzuki
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Twitter閲覧制限かかって眺めるものが無くなったのでnoteに来たら、案の定人が増えてて笑う。
詩を通して他者と向き合うーー新詩集『パラレルワールドのようなもの』刊行に寄せて
*この記事では「詩を書く理由」「表現の持つ可能性」「詩集を出すことの価値」「今の時代の書き手に求められること」について、私の経験をもとに綴っています。昨年末、北海道新聞に寄稿したエッセイに、写真など資料を加え、全文を無料公開します。新詩集『パラレルワールドのようなもの』の刊行に寄せて執筆しました。ぜひお読み頂けたら嬉しいです。
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この秋、六年ぶりの新詩集『パラレルワールドのようなもの』
人生を「逆算」しないーー29歳と30歳のはざまで
クラウドメモに日記をつけはじめたのは一年前のこと。日々の出来事を記録するためだったが、次第にコロナ禍の「見えない不安」が日常を侵食しはじめた。昨年四月の緊急事態宣言以降も、私は日記を書くことを止めなかった。頭に浮かんだのは、二〇一一年春の震災直後の東京。当時の私は大学進学で上京したばかり。余震と放射能漏れに怯えた日々を克明に記録できたなら、貴重な読みものになったに違いない。災禍に呆然として過ごし
もっとみる綿毛に包まれた種たちは
土のぬくもりを知っているから、
風のなかへ飛び込むのだろう。
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だれに受けとられなくてもいい、
わたしは差しだす。
どこに届かなくてもいい、
わたしは差しだす。
踏みつけられてもかまわない、
わたしは差しだす。
痛みを差しだすことが唯一
伝える手段なのだから。
声もなく 足音もたてずに
わたしは差しだす。
光に守られた綿毛はひとつの星雲。
日々の重さを綿毛にのせて
神様の存在を信じたくなるとき――イ・ラン『神様ごっこ』について *追記あり
*2016年11月に執筆したエッセイです。
黒い服を着た女性の端正な横顔の写真。ふしぎな表紙の本、と思って手に取ると、アルバムだった。歌のCDと、エッセイが収められているらしい。『神様ごっこ』? その場で試聴した歌に妙に惹かれた。柔らかな抑揚で結ばれていく韓国語の歌声が、秋の始まりにぴったりだと思った。
夜、家で彼女の歌を聴きながら、付属冊子のエッセイを読み始めた。作者のイ・ランは一九八六