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詩を通して他者と向き合うーー新詩集『パラレルワールドのようなもの』刊行に寄せて

 *この記事では「詩を書く理由」「表現の持つ可能性」「詩集を出すことの価値」「今の時代の書き手に求められること」について、私の経験をもとに綴っています。昨年末、北海道新聞に寄稿したエッセイに、写真など資料を加え、全文を無料公開します。新詩集『パラレルワールドのようなもの』の刊行に寄せて執筆しました。ぜひお読み頂けたら嬉しいです。

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 この秋、六年ぶりの新詩集『パラレルワールドのようなもの』を思潮社より刊行した。「新詩集に寄せてエッセイを」というお話を頂き、こうして道新の紙面に文章の形で登場させていただいた次第だ。
 だが、そもそも「詩人」という存在自体、知られていないのが現状だ。なぜ詩を書いているのか。詩集を出すことにどんな価値や意味があるのか。そこから話をはじめてみよう。

 私が詩を書き始めたのは10歳の頃。きっかけは当時の日記帳に、日記の代わりに自作の詩を書き込んだことだった。当時も今も変わらず創作の根源にあるのは「今の自分の思いを残したい、記録したい欲望」だ。

 詩が提示するのは、考えることを促す「問いかけ」。そこから生まれる些細な「気づき」が、この世界の見え方・感じ方そのものを鮮やかに変える。その上、詩の言葉には意味だけではなく、語感や手触りの違いがあり、選び抜くことで、表現の可能性が開かれるのだ

 10代の私は、詩作の魅力に取り憑かれ、夢中で詩を書き続けた。やがて札幌に住んでいた高校3年生の頃に、第一詩集を発表し、中原中也賞を受賞することになる。

第一詩集『適切な世界の適切ならざる私』は、個人詩集としては異例の7刷重版を重ね、
2020年にちくま文庫に。単行本未収録作品を増補し、綿矢りさ氏の帯文、
巻末に町屋良平氏の書き下ろし解説、という贅沢な一冊となった。

 詩集は読者との思わぬ出会いを引き寄せた。詩は「説明」や「情報伝達」のための言葉ではない。読者の身体や心と共鳴する「表現」の言葉だ。読者は、詩という楽譜を演奏する一人の演奏家となる。そのとき、読み方の正解を作者が決めてしまうのは退屈だ。読者の多様な解釈が作品をより豊かなものにしてくれる、と私は信じている。

6年ぶりの新詩集『パラレルワールドのようなもの』(思潮社)、帯には次の言葉も。
「今日、一篇、文月悠光の詩を読む。 すると明日が来る。生きようと思う日が。」(小池昌代氏)

 今回の第四詩集『パラレルワールドのようなもの』は、時代を記録したドキュメント的な作品だ。コロナ禍の生活や葛藤、社会の不条理を色濃く反映している。同時に、心や精神の記録でもある。詩とエッセイの間のような文体を選び、詩集を手に取ったことがない人にも読みやすい内容を心がけた。

 詩集の前半は、コロナ禍の日本に起きたことを詩に織りまぜながら綴っている。表題作の山場を一部引用してみよう。

自宅で死ぬ。無観客で死ぬ。
女だからという理由で押し倒され、
「幸せそう」という理由で刺し殺される。
ひとりで死ね、と言われてしまうような
都合の悪い存在はすべて毒とみなされ、
「パラレルワールド」に送り込まれた。

表題作「パラレルワールドのようなもの」より抜粋。本作は下のnoteにて全文公開中。

 詩集の後半は、忘れがたい過去の出来事について綴った。傷ついた体験から立ち直ろうとした時に出てきた、心の支えとなる言葉たちだ。

心臓はなぜ 自分の意志で
止めることができないのだろう。
止まらないことも心臓の持つ別個の意志なのか。
目に見えてあらわれる手足よりも
わたしの大切なもの、
傷ついてはならない一つの意志は、
見えない からだの内部にある。

詩「つまらないこと」より抜粋
詩「見えない傷口のために」『パラレルワールドのようなもの』(思潮社)収載
目次より前に最初の詩として置いた詩「リボン」。読者を詩集の世界に導入する役割がある。

「一篇」は一つのまとまりに過ぎないが、「一冊」には紙の書物としての存在感、説得力が生まれる。一篇の詩だけでは見せられない世界を、一冊を通して丹念に構成していく。6年ぶりの詩集は、膨大な量の詩篇から26篇に厳選した。それは、必死にもがいてきた20代の自分へのアンサーでもあった。

 詩人や作家は「美しい言葉の世界に浸り、現実から目を背けているのでは」としばしば誤解される。人ではなく、言葉と向き合っているような印象を与えるのだろう。
 しかし、私は言葉を通して他者と向き合い、社会を見つめ続けたい。自分の作品が、言葉が、誰にどのような影響を与えるのか。そこに敏感でありたい。敏感であり続ける「強さ」がなければ、今の時代、書き手である意味はないと考えている。

「向き合っているから書く」のではない。「書いているからこそ向き合う」のだと思う。30代を迎えた今だからこそ送り出せる一冊を、2022年の記憶が薄れないうちに手にとっていただけたら嬉しい。

* 初出:北海道新聞 2022年12月27日夕刊文化面

文章は初出担当者の方の許可を得て転載しました。
写真などを加え、無料公開いたします。


6年ぶりの新詩集『パラレルワールドのようなもの』を思潮社より刊行しました。本書の重版を記念して、noteにて試し読みを公開しています。
ぜひお手にとって頂ければ嬉しいです!

【重版出来】新詩集『パラレルワールドのようなもの』思潮社より発売中!

「今日、一篇、文月悠光の詩を読む。
すると明日が来る。生きようと思う日が。」(小池昌代)

「正気でない文月さんの帯を書くなんて私にはできない……。
ただ、女に生まれてよかったと初めて思ったの」(夏木マリ)

「現代詩手帖」の連載詩〈痛みという踊り場で〉を中心に、2016年から2022年にかけて執筆した詩から26編を厳選。コロナ禍の生活や葛藤、社会の不条理を記録したドキュメント的な作品です。

6年ぶりということもあり、一人でも多くの方に詩集を手に取って頂けたら幸いです…! 本書に関する取材やご紹介、イベントや対談のご相談もお気軽にご連絡ください。

Amazonなどネット書店の他、紀伊國屋書店やジュンク堂書店など全国書店にて発売中です。
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https://www.amazon.co.jp/dp/4783745110/
 
▶︎︎版元・思潮社での販売ページ
http://www.shichosha.co.jp/newrelease/item_2950.html

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