記事一覧
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アニメ版『僕の心のヤバイやつ』批評⑤-真賀田四季の問題ー
1.はじめに さて、アニメ版『僕の心のヤバイやつ』の批評も五回目。どんどん批評が深まっているといいんだけど、どうだろうね? https://bokuyaba-anime.com/ 関…
光と影の物語ーバッハのコラールとピアソラのタンゴー 感想編
1.はじめに
1月10日。JMSアステールプラザのオーケストラ等練習場にて、19時から1時間45分ほど行われたコンサートに行ってきた。ヴィオラの赤坂智子とアコーディオンの太田智美、そして、作曲家の細川俊夫、この3人からなるコンサートだった。コンサートは、ヴィオラとアコーディオンのデュオで、題名の通り、バッハとピアソラの曲、そして、細川俊夫の曲が演奏され、観客の心は揺さぶられたようだった。かく言
BOOK PARK CLUB広島編に行って
1.記事を読んだ
僕がこのイベントを知ったのは中国新聞の記事によってだった。同居している祖父が中国新聞を取っていて、いつも祖母や母が回し読みしているのだが、時々、母が気になった記事について、僕に紹介してくることがあるのだが、今回もそれだった。母に紹介されて、このイベントの記事を読んだ。
笑顔を称えた優しそうな人の写真が大きく掲載されていた。それが、仕掛け人だった。今田順さん(34歳)、ブッ
村上春樹『UFOが釧路に降りる』批評⑤ーシマオさんの熊の話と小村の喪明けー
1.はじめに
1.はじめに
前回は、『UFOが釧路に降りる』が何を描き出そうとしている作品で、<他者>にまつわるどういう洞察を含んでいるのか批評してきた。
見えてきたのは、釧路がポストモダン社会として、つまり、疎外論と物象化論の重ね合わせの場所として、精密に設定されていることだった。
また、疎外論のメリットだけが消失していること、そして、「仲間」がポストモダン社会の中では重要なこと
村上春樹『UFOが釧路に降りる』批評④ーポストモダン社会としての釧路?ー
1.はじめに
前回、『UFOが釧路に降りる』と『ドライブ・マイ・カー』を、自動車をキーアイテムとして比較し、両者が対になっている作品たちであるのを突き止めた。
https://dmc.bitters.co.jp/
『UFOが釧路に降りる』は<世界>に軸足を置き、人類とか、社会とか、少し抽象度の高い事柄を描き出していることを確認した。
一方、『ドライブ・マイ・カー』は亡霊論に軸足を置き
村上春樹『UFOが釧路に降りる』批評③ー『ドライブ・マイ・カー』とともにー
1.はじめに
さて、今回も、『UFOが釧路に降りる』を批評していくよ。『神様の子どもたちはみな踊る』の一作目に収録されているから、読んでみてね。
パワポの再掲。亡霊論についても、整理しておいた方が良かっただろうか?いや、前回をきちんと読んでくれた人には必要ないかな?
あ、後、ちょっと寄り道してもいいかな?
実はさ、『UFOが釧路に降りる』はさ、『ドライブ・マイ・カー』とよく似ている
アニメ版『僕の心のヤバイやつ』批評⑥-関根萌子の恋ー
1.はじめに
今回は第六回。ここまで来たかと嘆息する。つらつらだらだら続けているだけだけど、何か掴めていたらいいなって、本当に思うよ。
前回は、突然、S&Mシリーズ『すべてがFになる』を扱ったよ。いや、四季シリーズも扱ったけどね。特に、真賀田四季の通過儀礼を扱ったね。
何故って?
批評の道具が心もとなく感じたからだよ。前回の批評で、交差型を大幅に洗練することができた。これで、色々と
アニメ版『僕の心のヤバイやつ』批評⑤-真賀田四季の問題ー
1.はじめに
さて、アニメ版『僕の心のヤバイやつ』の批評も五回目。どんどん批評が深まっているといいんだけど、どうだろうね?
https://bokuyaba-anime.com/
関根萌子の恋に入る予定だったんだけど、批評の道具の心もとなさが気になって、仕方ない。仕方ないので、道具を鍛錬することに。
しかしね、そこまで、抽象的な概念とか、理論とか、整理整頓することにこだわらなくてもい
アニメ版『僕の心のヤバイやつ』批評④ー恥ずかしいって、何?ー
1.はじめに
僕の書く記事なんか誰も読まないと思っていたら、意外と読んでくれる人がチラホラいることに驚いた。
暇人が多いんだな、きっと。
という感じに、照れ隠ししてみるけど、ホントありがたいと思ってるよ。見てくれる誰かがいるって、励みになるんだなぁ。
でも、誰かが見てくれてるとか、誰かが評価してくれるとか、そういうのに振り回されちゃ、終わりだと思うんだよね。
だって、いつも誰
『僕の心のヤバイやつ』批評③ー交差型の整理と対幻想の条件ー
1.はじめに
やあやあ。
今回は、前回の続きね。
前回、吉本隆明『共同幻想論』のキータームを使って、『僕の心のヤバイやつ』第九話「僕は山田が嫌い」を批評したよ。
https://amzn.asia/d/cv5EpeC
二次性徴と社会性の発達がどう位相が違って、それらが交差する際どんな緊張が生まれるか、それを描き出そうとしたつもりだ。
まずは、吉本隆明『共同幻想論』のキーター