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『僕の心のヤバイやつ』批評③ー交差型の整理と対幻想の条件ー

1.はじめに 

 やあやあ。

 今回は、前回の続きね。

 前回、吉本隆明『共同幻想論』のキータームを使って、『僕の心のヤバイやつ』第九話「僕は山田が嫌い」を批評したよ。

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 二次性徴と社会性の発達がどう位相が違って、それらが交差する際どんな緊張が生まれるか、それを描き出そうとしたつもりだ。

 まずは、吉本隆明『共同幻想論』のキータームの振り返りと、先に挙げた交差の整理をちょっと行いたい。

 キーターム。個人幻想、対幻想、共同幻想。

①個人幻想は、個人の幻想。一人での幻想で、他人の心は関係ない。だから、他人の心を前提とした間主観性とは相入れない。

②対幻想は、一対一の幻想で、恋愛的、性愛的な結びつきを伴う幻想だ。これは、双方向の幻想で、相対する相手の心が前提とされている。

③共同幻想は、三人以上の幻想で、社会意識とそれが生み出す幻想だ。これは、しばしば究極の第三者、人ならざる神として結晶していた。

 僕は十字グラフの四象限を用いて、交差型と交差主体の型を整理した。以下の簡素なプレゼンテーションを参照されたい。

 このグラフの使い方を説明する。

 第九話「僕は山田が嫌い」より。

 市川京太郎(以下、京太郎)と山田杏奈(以下、杏奈)が二人きり、図書室で話していると、間宮とその友だちが図書室に入ってくる。

 京太郎はそれを見て取ると、杏奈から距離を置く。

 これを解析すると、

 京太郎は浸蝕型の第三者を認知して、対幻想を解体した。浸蝕型は対幻想に「格」の釣り合いを持ち込む。それが、京太郎を離れさせた。

 となる。

 杏奈は間宮たちとのやり取りで、「彼氏がいない」発言をする。間宮は杏奈の京太郎への気持ちに気づき、驚く。

 これを解析すると、

 杏奈は京太郎の対幻想が浸食されているのに対抗して、心中型、自分の「格」を擲って、京太郎との対幻想を守ろうとする。

 となる。

 公認型と亡霊を説明していないし、杏奈の行動は、結果的に、心中型としての効用を発揮していただけ、と解釈の方が正しいかもだけど…。
 
 一旦、今回の批評に入りたい。

 今回は、第十一話「僕らは少し似ている」を取り上げる。第九話「僕は山田が嫌い」も少し参照しながら批評していく。

 批評目標は、証人型と公認型を深堀することと、対幻想の基本的な条件を振り返ることだ。

 途中で、丘沢静也『恋愛の授業 恋は傷つくチャンス。目指せ10連敗!』に登場いただくが、話はきっと統合するので…。

 では、早速、行ってみよう。

2.証人、萌子降臨

 年の瀬。京太郎はコンビニへ買い物に出る。そこで、間宮とナンパイ(南条ハルヤ)、そして、関根萌子(以下、萌子)に出会う。

 萌子は京太郎のことを知らないフリをし、京太郎は名前を偽る。どちらも面倒事に巻き込まれたくないからだ。

 面倒事?

 続くシーンで、四人はファミレスに来ている。そして、ナンパイがしつこく京太郎に、杏奈のLineを教えるように迫っている。

 面倒事とはこれだ。ナンパイは杏奈を狙っているので、杏奈と親密な京太郎を利用しようと、わざわざ京太郎に近づいたのだ。

 萌子は間宮がナンパイを邪魔しようとするのも止めて、様子を伺う。ナンパイが間宮に席を外すよう言うと、間宮と萌子が離席。

 その後、京太郎はナンパイを拒絶。萌子が助け舟を出して、二人は無事に帰路に着く。京太郎は萌子を家まで送っていく。

「うちら、友だちなんで」

 帰り道。萌子の反応から、視聴者には、萌子が京太郎と杏奈の両片思いに気づいていることが分かる。

 萌子が京太郎を「からかう」と、京太郎は驚愕。

 京太郎は萌子に、杏奈への想いを告白する。萌子は知っていたと返す。京太郎は萌子を送り届けると、京太郎は萌子にお礼を言う。

 そして、また少し「からかわれる」。

 京太郎は好意を初めて口にして、杏奈の声が聴きたくなる。自分からおそらくは初めて電話をかける。

 杏奈は萌子の部屋にお泊りに来ていたので、萌子が帰って来る。京太郎はそれを知って、電話を切る。

 そして、好意を再確認し、いつか自分から告白すると決意する。その目に宿った意志は固く、杏奈のいるだろう方向を強く眼差していた。

 このシーンを解析していく。

 まずもって、証人型の第三者が萌子であるのは、明白だ。萌子は、ナンパイを使って、京太郎を試したのだ。自分の大切な友だちの杏奈に相応しい男かどうか。

 それは、「格」の問題ではない。第九話で、萌子は京太郎を「スライム」と評していた。だから、それを、期待しているのではない。

 じゃあ、何を試したって?

 それは、対幻想の次元での問題だ。杏奈を守れるか?そのために、自分を危険にさらす勇気と覚悟があるか?それを、萌子は試したのだ。

 見事、京太郎は試練に合格。萌子が京太郎を「友だち」と呼んだのは、京太郎を杏奈の相手として認めたということだ。

 京太郎が萌子と別れる際に感謝したのは、助け舟を出したことに対してではない。それは、会話の中で、明確に否定されている。

 京太郎が感謝したのは、試練を与えてくれたこと、そして、自分を認めてくれたことに対してだ。

 京太郎が萌子に惚れそうになったのは、自分を認めてくれたから。そんな相手だからこそ、京太郎は杏奈への気持ちを告白できた。

 証人型は、対幻想が本物かどうかを、好意が本物かどうかを試し、好意を証立てる。だから、京太郎は、自分の好意をより確証し、自分から杏奈に電話をかけるのだ。

 「からかい」もまた証立ての機能がある。萌子が京太郎に好意を伴って誘う素振りを見せたのは、「茶化し半分、証立て半分」だったのだ。

 こう考えると、やっぱ作者すげぇよ。

3.間宮とナンパイ

 第九話「僕は山田が嫌い」より。

 教室の入口付近で、ナンパイが杏奈を遊びに誘うシーン。その隣には、間宮がいる。とても複雑そうな表情をしている。

 そして、再び、あの図書室でのシーン。間宮は杏奈に自分とナンパイの「ただならぬ関係」をアピールしていた。

 また、杏奈が京太郎に好意を寄せていることに気づくと、ナンパイを連れてきて、ナンパイに杏奈を諦めるように説得しようとした。

 第十一話「僕らは少し似ている」より。

 間宮は、ナンパイに、杏奈が好きなのは京太郎だと言おうとして、萌子に邪魔されていた。萌子が邪魔したのは、ナンパイを利用して、京太郎を試すため。

 ナンパイが間宮に離席するように言うと、ナンパイに気圧されて、仕方なく離席している。本当は離席したくないのに。

 ここで、一旦、『恋愛の授業』に登場して頂く。

 特に、『ドン・ジョバンニ』について解説している個所を参照する。キーワードは「一対多」と「恋愛の非対称」だ。

 対幻想の基本は一対一だ。故に、三角関係は、その置き換え可能な「一」の所に、二人のうち、どちらが入るかの争いとなる。

 対幻想の心地よさは二人の間を隔てるものがないことに由来する。心も、身体も、一つのものになって、境界が溶けていって、自分も、相手も、世界も、何もかもない心地まで到達する。

 だから、他の誰かが介在するのは苦痛であり、まして、その席に、他の誰かが座っていることは、筆舌に尽くしがたい苦痛だ。

 間宮は対幻想の引力によって、対幻想を奪われないように、対幻想をより完全にするように、周囲に働きかけを行っている。

 これは、難しい言葉を使わなくても、分かることだ。

 しかし、ナンパイは対幻想を生きていない。一対一が基本のそれに、一対多を持ち込んで、規則の書き換えを行っているからだ。

 一対多を規則にしているナンパイ相手では、間宮の対幻想の欲望を叶えられないし、ナンパイと間宮の間にはいつも、非対称性が生まれる。

 いつも間宮はナンパイよりも弱い立場にある。

 目の前でのハンティングや打算的な利用を許すくらい、間宮はナンパイよりも弱い立場にある。

 「only you」の間宮と、「他の誰でも」のナンパイとでは、間宮が弱い立場に置かれるのは必然と言える。

 第九話で、ナンパイがクズ呼ばわりされていたのは、この非対称性ゆえだ。相手の女の子に非対称性を呑ませている所がクズなのだ。

 少しまとめてみた。一対多の人と一対(一)の人の恋愛、そして、一対(一)の人と一対(一)の恋愛が謎だ。パッと思い浮かばない。

 とりあえず間宮とナンパイの問題を考えてきた。

 前回、杏奈が「彼氏いない」発言の再解釈のために使うと、単純に、対幻想の相手候補が他にいないことをアピールしていただけとなる。

 杏奈と間宮には共通点がある。というより、嫉妬するとか、相手を独占したいとか、そういった感情は、恋愛につきものだ。知ってる。

4.終わりに

 今回は、パワーポイント使ってみたよ。図解するにはいいけど、パワーポイントだけでは何も伝わってないの、草生えるわ。

 そうそう。改めて、第九話で、杏奈が証人型の第三者を意識する場面を思い起こしてもらいたいけど、あれは、証人型の危機だろうね。

 つまりさ、それぞれの交差型には試練があるって、そういうこと。その試練は危機になったり、気持ちを高めたり、様々な効用があるんだ。

 後、公認型について、少し。第十二話「僕は僕を知って欲しい」。神社で家族を前にした杏奈がそれだった。分かるだろ?

 いやぁ、批評家の役割って、批評するものと何かを繋いで、その批評する者の限界や可能性を語る、そういうのだと思ってんだけど、どう?

 吉本隆明『共同幻想論』とか、丘沢静也『恋愛の授業』とか、上手く批評に使えたのかは自信ないなぁ。

 もっと軽やかに行きたかった。

 『僕の心のヤバイやつ』が好きだ。それは、間違いないと思う。だから、こうしてコツコツ批評をしているんだと思うんだ。

 だけど、好きだからって、可能性ばかり語っていても、面白くないよね。限界についても語らないとね、やっぱ。それが、創作の一助になるのなら、なおのことね。

 交差主体として挙げた、亡霊とか、恋愛の組み合わせ問題として挙げた、1×1とか、1×2とか、なかなか僕は作品でお目にかからない。

 六ブロックは、結局、一対一の関係を前提にして組み上げたけど、もっと複雑な組み合わせが可能だろう。

 限界っていうか、組み合わせ的な穴の指摘になったかな。

 次回はどうしようかな。倫理とか、giftとか、そういう話に少しずつ触れようかな。まだまだ批評したりないよ。次回もよろしくね。


 

 

 

 

 


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