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僕の見ている世界 序
自閉症の作家、東田直樹の『自閉症の僕が跳びはねる理由』という著書が原作のドキュメンタリー映画『僕が跳びはねる理由』は僕のバイブルです。
僕は、ADHDと自閉症(昔で言うアスペルガーだと思います)を持つ、トランス男性です。
人と違うと言われ続け、人をたくさん傷つけ、傷つけられてきました。でも、何が違うのか自分ではわかりませんでした。確かに僕は、できることよりできないことのほうがたくさん思いつきます。
人間とねずみの怠惰な一日の過ごし方
僕と一匹のねずみの一日は昼過ぎに始まる。
僕は、両親とデグーという種類のねずみと田舎の一軒家で暮らしている。
SNSで散見するデグーとはまったく違う生き物なのではないかと思うほど、うちのねずみはひとりを好む。だから僕はそのねずみをペットではなく、同居している動物だと思っている。
昼過ぎに目を覚ました僕は、顔を洗い、パリパリに乾燥した肌を潤わせた後、ねずみの部屋を掃除する。その間、ねずみは僕の横で
愚かになることなかれ
近頃のインターネットを見ていると、うれしい情報1割、かなしい情報9割といった感じである。
そんな世の中を憂うほど僕はうぬぼれていないのでなんとなくうれしくなったりかなしくなったりしながら日々を何とか生き延びているだけだ。
僕は、人は怠惰であっても良くて、人は好きなように生きても良くて、迷惑をかけても良くて、怒っても悲しくなっても喜んでも嬉しくなっても良いと思っている。好きなように、好きなだけ生き
ごめんなさいと思いながら
今日も今日とて怠惰な一日を過ごしている。人間は怠惰であるべきで、もっと逃げて甘えるのが良いのであると思いつつも、自分にはそれができない。悲しいかな、それが人間である。
僕は一日に一度は「ごめんなさい」と思う。呟くのは雰囲気に酔いすぎている気がするのでやらない。
何に「ごめんなさい」と思うのだろうか。両親に?世間に?友人に?恋人に?どれでもない気がする。こういう気持ちを原罪と言ったりするのだろうか
同性愛的描写を普遍的ということについて
先日、カンヌ映画祭記者会見において映画『怪物』の監督是枝博一監督の発言が話題になった。
この発言に対し、トランス男性でゲイの僕個人の思うことを書こうと思う。僕は専門家ではなく、活動家でもない。あくまで僕や僕の周りで起こったことや考えたことだと思って読んでいただきたい。
僕は以前、トランスジェンダーであることが起因する悩みについて友人に話したことがある。その際、友人は「それって突き詰めると皆が持
甘っちょろい僕から、世界へ
尊敬している友人が以前こんなことを言っていた。
「嫌なことをされたとき、人に謝ってほしくない。許す/許されるという行為が発生した瞬間、その人間関係は対等ではなくなってしまう」
その時、僕はその意見に大いに賛同した。
ストリート育ちの友人は、自分の身は自分で守る、甘ったれたこと言ってんじゃねえと日ごろから口にしていた。仲間が傷つけられたときは徹底的に戦う人情深い奴。
僕はそうじゃない。生ぬるい守
僕の見ている世界 遅刻、聴覚について
こんにちは。ADHD・ASDの僕です。
ADHDは遅刻しがちというのはよく聞く話で、僕も例に漏れずそうです。
僕の場合、友人との約束、アルバイト、飛行機、すべてにおいて同じように遅刻します。重要度や優先順位は関係ないようです。
友人との約束にせよ、アルバイトにせよ、飛行機の搭乗にせよ、少しずつ対処法を自己流で探してなんとか大事に至ったことはないです。
しかし、遅刻しやすい人間だと自覚するまでは、
身辺整理 自分のこと
自分の人生がこういう23年であったことを僕は誰のせいにもしたくないし、誰かのせいにするつもりもない。
10年前から患っているうつ病がやや悪化し、ずっとそばにあった芸術を享受できなくなって、自己の内的な価値が下がると同時に、生きていく意味を失った。
なんとなく今日を生きていくみたいな生き方、自分にはできないしそんな生き方に価値を感じない。そうやって生きる80年より死ぬ気で生きた28年のほうが僕にとっ