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僕の見ている世界 遅刻、聴覚について

こんにちは。ADHD・ASDの僕です。

ADHDは遅刻しがちというのはよく聞く話で、僕も例に漏れずそうです。
僕の場合、友人との約束、アルバイト、飛行機、すべてにおいて同じように遅刻します。重要度や優先順位は関係ないようです。
友人との約束にせよ、アルバイトにせよ、飛行機の搭乗にせよ、少しずつ対処法を自己流で探してなんとか大事に至ったことはないです。
しかし、遅刻しやすい人間だと自覚するまでは、なぜか時計を見て動いても遅刻する自分や叱られることが嫌で、特にアルバイトに関してはかなり恐怖を感じるようになりました。

ある程度対処できるようになった今でも、たまに「労働」が恐ろしく、考えただけで息が上がり動悸がするのはその経験が関係しているのかもしれません。そうなるとあまりにも「労働」という行為が恐ろしいものに思え、労働できない自分にあきれ、社会で生きていくことが到底許されない人間だと思い、どうしようもなく自分が嫌になります。
今は就労支援B型事業所でわりと好きなことがやれていますが、それでもこの衝動が突然やって来ます。それがやってくると自分でも制御できなくなるのです。
そのたびに事業所に休むと連絡をしますが、それではだめだと、今後生きていけないと思い、この日は行きますと一言付け足します。その日が来ても、その衝動が自分に居座り続けていると、僕はどうしようもない自己嫌悪と恐怖を抱えながら電話をかけます。どうしても行かなければならない日があり、午前中だけ行くと伝えると、そういうことができるかどうかを施設長に確認すると告げられました。
午前中で帰宅することは何度もありましたが、そういう返答をもらったのは初めてだったので、僕は呆れられてしまったのではないかと思っています。人の気持ちを理解するのが難しい僕は、目と耳で得たそれまでとのわずかな違いを基に頭で分析するしか人の気持ちを理解する方法はありません。

みんな、どうやってこの労働の恐怖を克服しているのだろうか。
仕事が嫌だという話は頻繁に耳にするが、嫌なことをそれでもやれるのはどうしてだろう。
僕は一切お金がなくなったら働けるんだろうか。
そもそも、僕自身が世間とのずれや自分の要領の悪さに気づくまで周りの誰も僕が発達障害と指摘しなかった。僕は軽い発達障害?だからちゃんとできるはず。やればちゃんとできる。そうやって生きてきたはず。
そう思いましたが、僕と同じ、僕より重度の障害を持つ方々が働いている事業所でさえ、通うことができず、努力できず、だめになってしまう。
僕だけ特別扱いはできない。そういうことが言いたかったのでしょうが、ひとりひとり特徴の違う、スペクトラムな発達障害を持つ人々とすべて同じように接することが可能なんでしょうか。そんなこと言うより、僕は僕のことを何とかする必要がありますけど。

次に聴覚についてです。
僕は感覚過敏、中でも聴覚過敏がひどいです。
騒音はもちろん、無音、気分じゃない音楽、高い声など自分でも把握できないほど苦手な音が存在します。
アルバイトをしていた時は店内の有線放送が耳障りで控室にこもって過呼吸になったり突然機能停止したようにかたまったりしていました。
事業所ではヘッドフォンをしてラジオか音楽を聴いています。おしゃべりな女性の声、知的障害の男性の大きな声、事業所で流れているヒットチャートの有線。僕は自分の聞くべき音を抽出してボリュームをあげることができず、そこにあるべき音量のまま耳に届きます。そして頭の中で常に三つほどの考えが同時進行で動いているので、社会の音と脳内の思考が混ざり合い、とても僕の脳では処理できないほどの情報が流れ込んできてしまいます。
今考えてみたら、それも要領の悪さの原因の一つなのかもしれませんね。

先にも書きましたが、僕は人の気持ちを理解するのが苦手です。故に(言い訳にしたくはありませんが)人を傷つけてしまったことがあります。
僕は良い人間とは到底言えません。人を憎むことも嫌いになることもあります。だからこそ、僕は意識的に人を一元的に見ないように努め、人の行動を一目見ただけでジャッジしないように心がけています。
だからこそ、僕は人を馬鹿にする人間のことが苦手です。悲しい気持ちになります。

労働もできず、頭も常に暴走していて、要領の悪い僕ですが、誰かの精神的なよりどころになれるようになりたいです。
こんな僕にでもできることを探し続けています。それが見つからない日々は本当に苦しいですが、それは自分のせいなので受け入れます。


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