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僕の見ている世界 序

自閉症の作家、東田直樹の『自閉症の僕が跳びはねる理由』という著書が原作のドキュメンタリー映画『僕が跳びはねる理由』は僕のバイブルです。
僕は、ADHDと自閉症(昔で言うアスペルガーだと思います)を持つ、トランス男性です。
人と違うと言われ続け、人をたくさん傷つけ、傷つけられてきました。でも、何が違うのか自分ではわかりませんでした。確かに僕は、できることよりできないことのほうがたくさん思いつきます。何でも思ったことを口に出してしまいます。集団行動はできません。
でも僕の見ている世界が僕の世界のすべてでした。そんな時、本や映画やアニメで、僕の世界とは違うものがあることを知りました。同じものを見ても、僕とは違う感想を持ち、同じ問題に遭遇しても僕とは違う対応をする。それが面白くて、みんなのことが知りたくて、僕は本を読み、映画やアニメを見ました。でもそれらはすべて僕の世界ではありませんでした。僕の仲間ではありませんでした。
僕は、二十歳をすぎてから発達障害の診断を受けました。自分の中にある違和感の正体が発達障害が問題であることと、トランスジェンダーであることが問題であることなどごちゃごちゃしていてパニックになっていた時でした。
もちろん、幼少期から発達障害の傾向がありました。発話は遅く、こだわりが強く、注意散漫なのに過集中がある。そんな子供でした。ただ、今から二十年前は、言語障害と知的障害のないこどもに発達障害の診断がつくのは今よりずっと少なかったのだと思います。
診断がついてから、僕は発達障害が登場する映画をたくさん見ました。それらに出てくる自閉症は天才ばかりでした。レインマンの影響が大きかったのでしょうか、ものを一瞬で数えられる、天才的な記憶力を持つ、そんなものばかりで、自閉症本人の悩みや事情はすべて無視されていました。ADHDの映画は自閉症より少なかったけど、自閉症の映画よりマシでした。でもみんな嫌な人として描かれていました。僕は嫌な人なのだと改めて認識しました。
僕には特技がありません。小さいころから本は読んでいますが、ペースはとても遅いし、難解なものは理解できません。文語体なんか読めたものではありません。小説も書かないし、絵もあまりじょうずではありません。自分を表現するのがへたくそなのです。運動はもっとできません。天才的な記憶力なんてありません。むしろ暗記は苦手でした。計算能力は低く、数学は赤点ばかりでした。とんでもない知識もありません。みんなと変わらないか、一般常識に関してはみんなより知らないと思います。天才ではない発達障害の僕は、何の価値もないのかと悩みました。

そんな時に出会ったのが『僕が跳びはねる理由』でした。
この映画はドキュメンタリーなので世の中にたくさんいる「普通の」自閉症の方が出ていました。発話が難しく、文字盤を使って会話する人や同じ言葉を何度も繰り返す人も出てきました。僕は発話には問題はないけど、東田直樹さんの言葉を表現した映像は、僕の見ている世界そのものでした。世界には僕と同じように世界を見ている人がいるんだと嬉しくなりました。

僕にとって音はそのままの音量で耳に届きます。注意するべき音を聞き分けることができません。だから常に世界はうるさくヘッドフォンは欠かせません。
僕はキラキラするものが大好きです。ステンドグラスやサンキャッチャーやプラネタリウムが小さいころから大好きでした。すべてのものに命が宿ると考え、弁当を包むビニールやリボンを大切に持っていました。
そういうことがこの映画には詰まっていました。

僕は言葉で何かを表現するのがとても苦手です。
だけど僕の見ている世界を、僕自身も理解するためにこれから綴っていきます。

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