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ごめんなさいと思いながら

今日も今日とて怠惰な一日を過ごしている。人間は怠惰であるべきで、もっと逃げて甘えるのが良いのであると思いつつも、自分にはそれができない。悲しいかな、それが人間である。

僕は一日に一度は「ごめんなさい」と思う。呟くのは雰囲気に酔いすぎている気がするのでやらない。
何に「ごめんなさい」と思うのだろうか。両親に?世間に?友人に?恋人に?どれでもない気がする。こういう気持ちを原罪と言ったりするのだろうか。そういう難しいことはよくわからない。
悠々自適とまでは言わないが、ある程度のんびり生き永らえてることに対する申し訳なさがないわけではないが、根本はどうも違う気がする。この「ごめんなさい」をどう消化するかより先に、僕はこの「ごめんなさい」の正体が知りたい。

田舎の中流階級で生まれ育った僕は、世間的には問題ない家族のもと、問題ない学校生活を送ってきた。暴力をふるう先生はいたし、暴言を吐く先生もいたけど、友人にイカれた奴はおらず、中学まではいじめもなかった。いかにもいい子で育ち、形式上のルールに則ったいい子に優しい教師にはことごとく嫌われ、なんかでっち上げのような陰口を言われていたらしいが、そんなことはあんまり気にしていなかった。代わりに風来坊で先生たちから嫌われているような先生は大変かわいがってくれた。
中学の時、岐阜からやってきたやくざのような見た目のおじちゃん先生は、担任をする前からずいぶん気にかけてくれた。アブダビで日本語教師をしていた経歴を持ち、いつも僕に「お前は日本のような狭い場所にいるような人間じゃない」と言ってくれ、僕はその言葉を鵜呑みにしてオーストラリアに二週間だけ行ったりした。
僕は僕で、対等に話してくれるような大人にばかりなつき、かわいげのないこどもだったように思う。
少なくとも好きな人には好かれる人生をありがたくも送れていたので、怠惰で弱い人間が完成したのだと思う。
高校ではそれまでの常識が全く通用せず、苦労した。人をたくさん傷つけ、傷つけられた。高校生活は最悪だったが、文学に出会えたし「他人のことは気にしない」というライフハックを学んだ。

高校のおじいちゃん英語教師に「どんなに自分が変わってると思っても、大学に入れば嫌でも同じような人間に会うから安心しなさい」と言われ、安堵したのもつかの間、僕は大学でも変人だった。
しかし、あのライフハックのおかげでいろいろな人間のことを嫌悪せずに済んだ。僕がしてきた苦労を全くせずに済んだであろう人にも、ヤングケアラーを強いられていた人にも僕は変わらず接した。恨みもうらやみも慈悲すらなかったような気がする。
社長の娘がブランドものを身にまとおうが、僕はただ知らない世界に対する好奇心以外の感情をその子に向けることはなかった。
僕は特別勉強ができるわけでもないのに、怠け癖がたたり、行ける大学はかなり限られていたが、自分のせいなので何も恨むことはなかった。そんな大学だったが、僕は人生最大の恩師と出会えた。例に漏れず、大人からは嫌われそうな大人だった。
先生の言った「僕はインテリを背負って生きていかなきゃいけない」という言葉を今でも覚えている。僕が好きなのは、どんな立場かどんな境遇かは関係なく、自分の持っているものを自覚してものを考えられる人だ。

貧困家庭に生まれ、ストリートに生きる友人がいて、友人の生きる強さみたいなものをまぶしく見つめているが、僕はやはり同じ境遇に(現在)いるわけではないので、友人と同じ立場でもの思うのは違うように思い、共感することはあれど、知っただけで味わったわけではないことを忘れないようにしたい。

僕は「ごめんなさい」と思う度、自分の過去を思い出し、出会ってきた人を思い出す。「ごめんなさい」の正体を探るために。
まだそれは見つからない。また今日も「ごめんなさい」と思い、それを書き記す。

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