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#みんなの文化 (曳航の足あと) No.3

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みんなの文化 第3号目です。 大体、250~300ページで、次号へ向かいます。 こちらでは、わたしの代弁をしてくれる、あるいは、わたしを新しい世界へと導いてくれた大切な記事を、…
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#小説

谷崎潤一郎の陰翳礼讃

谷崎潤一郎の陰翳礼讃

という随筆は超有名なので、たくさんの方が読んでおられると思う。
要は、日本の伝統美は、闇や影が作り出す、陰影の最中にこそある、的なことを具体例を挙げながら延々と語っている。
例えば、夏目漱石も言っていたけど、羊羹の色は最高に和的でクールだよね、的な感じことである。

本作の結びは、まぁ、試しに電灯を消してみることだ、という言葉である。
ここに書かれている陰影というものは、別に東洋に限ったものではな

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生と死の視座~「ノルウェーの森」の謎をとく。

  Wind rises ,I have to try to live.

⭐ノルウェーの森にわけ入って
     (改訂版 その3)

 前回、ノルウェーの森という物語の展開した1969年を中心とした日本社会の現実のイメージについて語った。それを読んで(あるいは、知って)ある事実に気づいた方は、いないだろうか?それは、その時代の社会の喧騒や混乱が、この物語のなかにいると全く感じられないことだ。こ

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読書記録:羽泉のブックログ 〜大澤めぐみ『おにぎりスタッバー』〜

読書記録:羽泉のブックログ 〜大澤めぐみ『おにぎりスタッバー』〜

 こんにちは、羽泉です。

 去年からの読書漬け生活の中で出会った、心震える素晴らしい小説作品の数々をご紹介したいと思います。

 今回ご紹介するのは、角川スニーカー文庫から出版されている大澤めぐみ先生のデビュー作『おにぎりスタッバー』です。

《 あらすじ 》

 女子高生の中萱梓 (なかがや あずさ)・通称アズは、地味な見た目に反して街で男を漁っているらしいという危険な噂の持ち主。そんなアブノ

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⭐〈ノルウェーの森〉にわけ入って

⭐〈ノルウェーの森〉にわけ入って

〈ノルウェーの森〉は、やはり単なる恋愛小説ではなかった。多分今回で三回目になると記憶しているが、この小説は、本当はハードボイルドなんだ、ということが今回よくわかった。
あれだけのパターンの性愛のシーンを一冊の本のなかで描いた小説はこの時代にだけでなく、この後の時代でもあまりないだろう。その中のいくつかを箇条書きにしてみる。

1. 31歳のレイ子さんとレズの中学生(13歳)の性愛のシーン。

2.

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コラム

⭐〈ノルウェーの森〉にわけ入って
            (その2)
「ノルウェーの森」の舞台となった1969年は、70年安保の前年で、全国の大学生たちを巻き込みながら、日本の学生運動は、これから苛烈になっていく。世界は、アメリカとソ連との二極化構造で、世界の各国も、単独の国内でも、大局に立てば保守、革新のそれぞれの勢力が、これら2大大国の代理闘争をやっているようなある意味陳腐な現実の印象がある一

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100年待っていてください。

100年待っていてください。

夏目漱石の『夢十夜』の第一夜に、

「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」

という言葉がある。

車谷長吉は、随筆の中で、小説を書き続ける決心として、この言葉を挙げている。
彼は若い頃に新人賞候補になり、然し、その後、小説家としての本腰を入れる前に、各地を贋世捨人として転々とした。
才能があったが、小説から逃げていた

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川端康成の 浅草紅団

川端康成の 浅草紅団

川端康成の小説で、一番シュルレアリスムに近接していた時代、浅草時代。
その経験を元にした、浅草ものに『浅草紅団』がある。
あさくさくれないだん、と読む。

この作品は、弓子という、浅草紅団のボスがヒロインとして登場する。
美少女である。
男の子のように美しい娘である。
彼女と、その界隈にいる猥雑な人々、街そのものの喧騒が描かれている。
無論、主人公は康成である。
浅草ものには、『浅草の姉妹』や『浅

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火を買いに

火を買いに

 火を買いに行くのはその家で最も年若い男がやるというのが土地のしきたりだった。私は四人兄弟の末っ子だったし、従兄弟や再従兄弟まで含めても長いこと私が一番若い男だったので、長兄に男の子が産まれ、その子が火を買いに行くことができる歳になるまで、その仕事はわたしの役割だった。
 月に一度、竈に置いてある火桶を提げ、わたしは村外れの火屋へ火種を買いに行った。竈の火は月に一度消されることになっていた。あまり

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〈小林秀雄試論〉全

〈小林秀雄試論〉全



1.はじめに
作品は何処へ帰着するのか、という問いが、批評にとって重要に思えるのは、そのことが、批評の言葉の帰趨を決定するように思われるからだ。だが、もともと作品は(ということは批評も)、どこかへ帰着する必然性を備えた存在なのだろうか。こういう疑念は、詮じつめれば言葉というものが、一体、誰の所有に帰属するのかという困難な問いに収束していくように思われる。現在まで、この

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コラム

〈小林秀雄 試論〉
   
  7. 回帰
小林秀雄の生涯は、何故か生き急いだ人のそれのようだ。そして多分そのように見えるのは、小林秀雄という傑出した才能と資質に〈戦時期〉という我が近代最大の劇的な一幕が用意されていたからだ。やがて、彼の魂が演ずるドラマの舞台は、彼の生きた時代とともに一挙に暗転する。『肉体の動きに則って観念の動きを修正するがいい、前者の動きは後者の動きよりはるかに微妙で深淵だから

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 〈小林秀雄 試論〉

 〈小林秀雄 試論〉

  

6. Xへの手紙 その(2)
現代に知識人など存在可能かという〈知的な〉問いはしばらく置くとしても、現在の日本のインテリと自称し他称される者たちに、『書物に傍点を施してはこの世を理解』するような『こしゃくな夢』を持つ者がいるとは到底思えない。何故なら第二次世界大戦後、全世界がアメリカナイズされていったことで、かって近代的知識人の自意識にとってプラトニックな憧れでありかつコンプレック

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つまらない私について 2

つまらない私について 2

一見すると、ふつうにしっかりして見えるそうだが、ちがう。
しっかり、障がい者です。と、いうのも変な言い方だが、しっかり、障がい者です。

では、どんな困難を抱えながら…、間違えた。
どんな特性とつきあいながら、生活しているのか。
今回は、未だにビビりなつまらない私が、少しずつ自身の障がいと向きあいはじめ、生活している様を、写真を交えてお話します。
連載数は、未定。
計画立てられないんだから、あたり

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コラム

〈小林秀雄 試論〉

5.Xへの手紙(その1)

「私小説論」の全体に漂う不透明な印象、もっと違う言い方をすれば、強烈な自意識の輝きが弱まり、鈍い翳りが漂っている。この翳りが小林の実生活のどんな体験に由来するのか、という疑問が入口である。
人は現実の中のどんな衝撃的な体験でも、その意味を真に納得するまでには、いくらかの歳月を必要とするようなのだ。つまり、その後過ごす歳月の合間、合間にその体験

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ロバート・ハインデルとエドガー・ドガ

ロバート・ハインデルとエドガー・ドガ

ロバート・ハインデルという画家がいる。
1980年代に活躍した画家で、現代のドガと呼ばれている。

エドガー・ドガも、ハインデルも、踊り子を描いた。

踊り子を描いたのは、日本にも小磯良平がいる。

小磯良平の美術館が神戸の六甲アイランドにあるが、とても空いていて快適である。
私は六甲アイランドが好きだ。あの、どこまでも続く空、そして、人気のない、人工の街。

その人工の街にあるからか、小磯良平美

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