見出し画像

火を買いに

 火を買いに行くのはその家で最も年若い男がやるというのが土地のしきたりだった。私は四人兄弟の末っ子だったし、従兄弟や再従兄弟まで含めても長いこと私が一番若い男だったので、長兄に男の子が産まれ、その子が火を買いに行くことができる歳になるまで、その仕事はわたしの役割だった。
 月に一度、竈に置いてある火桶を提げ、わたしは村外れの火屋へ火種を買いに行った。竈の火は月に一度消されることになっていた。あまり長くそれを灯していると、次第に穢れていってしまうと考えられていたからだ。そこで、毎月新しい火を入れなければならなかったのだ。
 火桶は黒い鉄で作られた重いもので、まだ幼かったわたしにはそれはかなりの重労働だった。引き摺るようにそれを持って行く道すがら、わたしは同じ使命を帯びた子供たちと出くわす。そして、黙礼をするのだ。火を買いに行く時には、言葉を発してはいけないきまりだった。言葉が燃え、唖になってしまうと考えられていたからだ。わたしたちは黙々と歩く。
 その頃は、火を起こす技術は火屋という特殊技能集団によって独占されていた。彼らはその集団内からその技術をもらすことなく相続していたので、他の人間たちには火を起こすことができなかった。その技術を盗もうとする者は容赦なく殺された。見せしめのために焼き殺されたのである。火屋は少し宗教的な存在に近かった。そして、火を起こすことも、それに近い、何か儀式のようなものだった。もちろん、それは彼ら火屋たちしか目にすることはできなかったのだが。
 火桶を持った男の子たちは、行きの時よりも帰りはさらにゆっくりと歩く。もし火種が消えてしまいでもしたら大事だと不安になるからだ。彼らが家路につくころには辺りは暗くなっている。暗がりの中、火桶の口のすき間から、赤々とした光が漏れている。
 無事に火を持ち帰れると、ご褒美として木の実がもらえる。これはもしかしたらわたしの家だけの伝統だったのかもしれない。その甘酸っぱい木の実を、わたしは大人になってからしばらく食べていなかったのだが、つい先日、久し振りに口にする機会があった。
 ある料亭での会食の際のことである。出版社の人間との会食だった。長い付き合いの編集者だったから、のんびりとした雰囲気で、もちろん仕事の話もしたが、概ねは世間話に近いものだった。わたしは酒をやらない、というか、一口、いや、ちょっと舐めただけでも酔っ払ってしまうほどの下戸なので、やれない。自然甘いものには目がない。そんなわたしの性質を知り尽くしている編集者の彼が、今日は面白いものを食べさせてくれるという。そうして出されたのが前述の木の実であったのだ。よもやそんな場所で再会するとは夢にも思わなかったので、わたしはそれが何なのかわからなかった。それを舌の上に載せた時に、わたしは思い出したのだ。あの、子供のころの情景を。


No.654

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?