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コロナ時代の君の使命を見つけてみないか!

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(有料)鏡に非ず(あらず)画像の不思議(画像クリック、タップでリンク!)テスト販売を開始いたします。アドレス更新で日々新たに変わってゆくハズですが、約束は出来ませんし、更新期限、有料期間も不明ですが、結果が出なければ、有料のままです。コロナに於いて知るべき情報を載せて行く予定!
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ザイム夢我無罪
2020/11/07 15:05

Amazon.co.jp: 究極の眠れる音楽: ミュージック

脱出速度の公式

8分の8割る6分の6を考える

÷を×にするを考える

この式は、F=G・Mm/rr rrは、rの2乗。と言う、引力と脱出速度の公式を、F=1 に、分解し、又、 1=427574 と言う、馬鹿げた、あり得ない答えに、正しい方法で導き出す方法を画面内に収めたものであり、この、コロナと言う時代が、時代の終焉であり、新たな時代の幕開けに進む為に、与えられた地獄、天国、浄土、新時代、の世界の選択を、この世、あるいは、自分自身が行う時代に入った事を、示す為の式であり、これを、数理解体と呼び、作成したものでありますが、この数式は、わたくしの、腹、胃部(イブ)で声する、未知なる声の正体を、神々及び、魂よりいでたる分身、忍びの身と共にいでた、それら、私の脳と腹などの妖精さんたちと考え、共に、計算したものであり、今に至る経験上、私は、まず、三方より、使命の要請及び、選択を余儀なくされており、神妙成る神である霊魂の鎮魂と、創造主の意図、企図、戯れ、に対する理解と解釈、及び、無き仏とならぬ道のりの模索に、皆が共に考え、共に研究する時代に入った事を、諭す為にも、胃部である声する声が、訴えんと、示した式と考えました。様々な世界が、現在、同居しており、どの様な世界の者たちと、共に、共存協栄し、又、住み分けるのか?難しい選択と方法が、大きな課題であると、感じ入りまする。これらは、R、アール(ある)が良いのか、9、ナイン(ない)が良いのかが、まず第1の選択であると、考え、ナイーブなる「内部」に「あるの世界」を有し、戯れる、仏の弥陀に生きまするも良し、そとなる、音の知らせを、そとなる弥陀の導きと、それを、頼りに価値、勝ち、加知と、時の刻みに意味を見出し、時の調べのその中で、うつつを生きるも、良しとする、良しなる母の命を知り、教え賜る、天国、浄土の、如何なる世界が、自己なる浄土、天国か?迷い迷って、悩みの路に、路地の路地たる子ロ(ろ)名のその朽ちを、学ぶが、われらの定めかな!身内の息たる声なる声が、迷い迷って、良し子の命。皆を身内と考えにゃあ、ならぬ時では、あるまいか!留まる命の「瑠璃の華」、母なるヨシ子と会えずとも、幸せ願いで、すべての時を、良しと変え!それを使命に生きるを良しとする、命のもがきに魔よと理ま❣

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2020年01月17日
グーグルは敵か味方か!イチかバチかの緊急大暴露動画の字幕内容
2020・1・114 グーグルは敵か味方か!イチかバチかの緊急大暴露(ユーチューブ)動画の字幕内容
私は、グーグル検索で、「In this me 英語」と、検索したところ、なぜか、そのサイトにアクセスした。すると、私が来るのを、予期していたかの様なメッセージが飛び込んで来たので、私は、思い出す前に自分の基地に戻ったと錯覚した。ところが、後で気づいたが、

そこには、有権者のコントロールのプログラム的操作方法や、クリエイティブGodなどの項目があり、マグノリアと言うサイトだったが、オバマ大統領が、ある演説の中で、この世は1960年から、宇宙外のマトリックスで支配されている、と述べジョークだと言ったらしい。しかし、それを載せた製作者はそれが、実は、真相ではないかと、語ったが、根も葉もない所から、無意味に、そんなジョークが、飛び出すはずがない。

実は、現在の物理学者の多くが、この世がプログラム的2次元の世界である事を支持しているらしい。

実は、私も、宇宙外か、別次元かは、わからないが、この世が、プログラムの中である可能性については、同感であるのだ!

そのサイトにアクセスした次の日グーグルが、2万7千か27万かのバグを発見したと報告していたが、同様の検索では表示されなくなっていた。この話しだけを、聞くと悪意のあるサイトに思えるかも知れない。

しかし、この世が支配の奪い合いの世だったゆえ、コントロールは支配されると思いがちだが、導くためのコントロールも、ある事に目を向けて欲しい。我々は、悪夢を見すぎた。

本当は、日本は誇るべき国だし、アメリカの歴史はともかく、多くの紳士・淑女あふれる国であった。

プログラムであれば、聖書預言も、処女懐胎も、奇跡も自在な訳である。

しかし、私は、神を否定しているどころか、その逆である。

ただ、この国日本だけが、GHQの仕掛けた罠にはまり、自国の神、及び、国への思いを忘れた。むしろ、外国の方が、神への信仰、仏や、精神世界への学びが、大きいと思われる。

又、天皇陛下や、日本の自衛隊に対する評価は、海外の方が大きい様である。

ローマ法王も天皇陛下に上座を譲り、エリザベス女王もエンペラーに対する正しい作法で天皇陛下に接したと言う。

ただ、情報操作と言う意味では、ユーチューブもグーグルの手の内にあると言う事に関しては、テレビと同等である。

なぜ、ここに来て手の平をひるがえすかと言うと、私は、BIG UP!と言う大手配信業者で、インディーズアーティストとなった訳ですが、ユーチューブのサービスに加入したら、自動でTOPICチャンネルと言うのが出来て、自動でユーチューブ収益化に加入した事になりましたが、実際の原因は、わかりませんが、そのチャンネルでの動画の視聴回数が改ざん

される場面に、幾度か、出会いました。



それは、妻の言う様にバグが

原因かも、わかりませんが、レコチョクで、「夏のフォトグラフ」を検索すると、矢沢永吉さんのバージョン違いの曲にまぎれ私の曲があり、その幾つか下にプロモーション所属の方の曲があるのです。

売れると見込んでか、売れているからかは、わかりませんが、BIG UP!に限らず、これだけのアクセスがあるのにひとつも、売れていないなど、不自然な出来事も多く、

音楽に限らず、私生活においても、私が、通い始めるまであった、精神科診療所の、日帰り旅行やコーヒーの飲み放題のサービスがなくなったり、又、デイケアと言うこちらが、世話に成っていたサービスを断ったが、断られた事についての手紙が、ひふみ神示を手に取った時に、ひらりと現れ、読むと、私を「さん」付けではなく、私を補佐と呼んでいるのです。ですので、私の分析が正しければ、この身には、色んな次元の私が、居ると言う見解解釈は、そう外れておらず、一方では、ロボットだったり、利用する為の犬だったり、一方では、特別な存在だったり、一方では、こらしめの、対象としての私だったりするのです。病気がそう思わせているだけだ!と言うのは、簡単です。

しかし、その手紙ひとつ取っても不可解ですし、その根拠は山ほど、あります。

これらの出来事は、皆さんは既に、経験済みか、何生か積んで、きっと経験するはずです。これらの経験はこの身が背負っているものであり、真の私の背負っている物ではありません。しかし、国が過去を背負うように、私は、これを背負わなければなりません。

ただ、皆さんに、お伝えしたい事は、過剰に防衛したり、攻めたりしない様に!と言うアドバイスです。

実は、それらは、恐怖心のあらわれであり、注意は、必要ですが、ひふみ神示では、悪は、悪のみに於いて悪ならず!と言っています。イエス様も、悪者には逆らうなと述べています。

ひふみ神示では、神と、仏と耶蘇(キリスト教)は和しに和したと述べております。

偶像崇拝を強く戒めておりましたが、日本の場合、たとえば、仏教は、仏像を拝む事で、慈悲の心を養う事ですし、石や木を祀るのは、神の霊気が宿る場所として祀るのであって

偶像崇拝とは、根本的に違う事をついでに述べておきます。

後、偶像崇拝の禁止の真の理由は、自己の内にある、神聖な神の存在を忘れる事への戒めと考えます。全ての人に、崇高な神の魂が宿っているのです。

テーマから大きく外れましたが、私は皆さんの血税で生活出来ております。

ですから、無償で働いても当然ですし、逆に中途半端に、まとまって、お金が入り、生活保護の停止や廃止になると、逆に困ることもあるので、今のままで、申し分ないのですが、幾ら頑張っても、その反応、反響がなければ、よろこびは、半減します。

この、もしかしたら、述べてはならない、秘密の内容が明かされない様に、グーグル様が、手を加えたり、配信しない処置を講ずるかも、わかりませんし、見せかけ上のアクセス数はつけるかも知れませんが、これは、視聴者に向けて書いておりますが、グーグル様や、BIG UP!様にも、宛てた文です。

ですから、イチかバチかと書いているのですが、一応念の為、広告で邪魔されないよう、独自のBGMを作成し、(広告が載らない様に)使いました。

やりたくない仕事に追われ生活している、血税納税者もいる中、疲れるとは言え、私は、その人達に申し訳なくは思いますが、全ては、運命と割り切り、書かせて頂きました。

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購入後、何度更新しても、何日間も更新しているのに、変更、更新内容が、無い場合は、コメント欄にコメントして見て下さい。何分初めての試しみである為、有料記事をそのままで、内容更新できるのかの、確認が取れておらず、note側も、対応に追われているらしく、以前に投じた質問の返事がないままの様なので、自分で対策を講じた方が良いと思い、質問は、今の所致しておりません。期待してご購入頂いた方には、申し訳ありませんが、結果をもって、以上とするしかなく、ご容赦こうむります。なお、この問題に関しては、すでに解決されており、内容を更新すれば、購入者が、アドレスを更新する事により、更新される事は、確認出来ましたが、更新カ所をどの様に、お知らせすべきか検討中です。

このラインより上のエリアが無料で表示されます。


ご購入頂いき誠にありがとうございました。お礼と申しましては、失礼ですが、最下部辺りに、私の曲が、無料ダウンロード頂けるリンクnoteを貼ってありますのでご活用下さいましたら、光栄です。

基(もとい)は、一つのハズであり、この一つが、「ある」と「ない」。「する」と「せぬ」やら。男と女。悪と善。などの、ありとあらゆる裏表、生みに生み出しすべてを出して、すべてが、すべて出来ました。

基の1と裏表、ふたつを合わせて、ひーふーみー!ひーふーみーで、あわせて一つ、一つ一枚コインに御座る。

これが元の一(いち)であり、基本が三⦅さん⦆の、基本の原理。

ドレミの半音を含む5音(御恩)、母、父、子の Y、その関係に、姉妹、兄弟の影の2つ、あわせて5つの関係を、この関係は、5は、3に願いまして。のそろばんの、戻し声と申します。

(さん)は、SUNで、太陽で、

太陽を覆う幕、コロナ(567=ごー、ろく、なな)の子炉名ゆえ、

コロナ時代、4(し)の後(あと)の、すなわち、死後に御座います。

以下追記。2020/11/08-10:28ごろ

2020年01月11日
イエスの系譜が14代ずつ挙げられている訳
新・神の道しるべ-0002
イエスの系譜が14代ずつ挙げられている訳

ところで、色のろ、には、六の意味があると思われますが、音階の第7音であるシは、ロ音で、これには、「六を持つ「む」=「無」を持つ」の意味もあると考えられるのですが、「無」はMUであり、ムには母音ウが含まれてしまいますが、本来の無は、Mであり、Mはアルファベットの13番目に当たります。聖書の新約「マタイの福音書」にイエスの系図が載っており、何故か、14代ずつ挙げられており、14には、意味がある様で、その理由がわかりませんでしたが、Mは、無音であり、神が口を閉ざした事を意味しております。日本語は、必ず、音(おと)として発音する為、無にも、ウ(有)が含まれてしまいますが、無は、本来、Mであり、ウ(有)を含みません。無に始まり、無に、帰すのが、本来の始まりと終わりであり、その意味でMは、特別な意味を持ち、ひとつの、終わりを意味しますが、Mの後にはNが続きますが、口を閉じたまま出せる音は、んであり、Nであり、鼻に掛ける音(おん)であります。Nは、ん、ですが、チン、や、チリンチリンの様に、音(おと)が、止んだ後に残る響きであり、確かに、んの残らない音の終わりも多くありますが、とにかく、口を閉ざしたままで出せる音であると言えます。その為、Nを終わりを示す音とし、第14番目の音である為、聖書において、14代と言う数に、重きが置かれていると、解釈しました。名は、NAでありますが、全てが終わり、始まりである、アの前に、その前から存在した、Nとアを付けNAである名ができました。音名(おんな)の前に、音(おん)が存在し、元の世の神が、存在したのです。

神の道しるべと重複するので、割愛しますが、聖書のイエスの系譜で14代が重要視されているのは、このNがアルファベットの14番目にあたるからで有ろう事と、Nである「ん」が全てを締めくくる音である事とを述べて置きたいと、おもいます。


同日(11/08)10:31ごろ、おそらく以下追記。

2020年01月10日
音(おん)と言葉、ドレミとあいうえお
新・神の道しるべ-0001 音(おん)と言葉、ドレミとあいうえお

音楽に於いて、ドレミ~シは、ハニホヘトイロで、先に、ロ音シのない、6音階10音の時代、世界がありました。まず、6音階10音の世界の第8番目にソ(祖)であり、ト(十)音である世界を創り、無限である天国の世を創られ、十字架にかかった、イエスと、日本においては、祖先である祖に、重荷であるリックをかつがせ、取りっ苦(トリック)とし、加トリック、加祖リックのキリスト教の名が出来たと述べましたが、今日幾つかの点で新たに気づいた事を述べたいと、筆を取りました。

まず、最初に、葉に穂へ十色を、ハニホヘトイロとし、7音階12音とし、6音階10音の世界が葉に穂へ色であった事を述べましたが、いろはにほへと、が基本であるのに、トの後に「イロ」が来ているわけですが、あって、ありし神としての天皇が先にいた事をしめす為に、いろはにほへと、の語順になっておりましたが、

10である、テン(天)までの神は音の名である「音名」つまり女であり、音の子であり、音の固である「音子」」つまり男であったのが、神としての天皇である事は、述べましたが、その為に、色ごとである、イロに相当しており、英語では、G(ソ)の後は、AB(ラシ)でありますが、そのまま、アルファベットで続けると HI の2音に相当し、これは、エッチと愛、であり、色に相当するわけであります。色に色ごと、の意味が加わったのは、神としての天皇が男で異性であったためであります。しかし、本来、Hはエイチであり、叡智(英知)を表しており、愛は、性を意味せず、博愛の「愛」の意味であったのです。性は、聖に通じ、性が聖を穢す元と、成り、本来、日本は、貞操を重んじる国でありました。海外においても、愛は、ロマンスであり、聖化されて、性が成されておりましたが、色の乱れが、世の乱れを生みました。

その為、三千世界の大洗濯、大建て替えが、行われると、ひふみ神示において、言われておりますが、神界において、神と、仏と、耶蘇(キリスト教)は和に和したと言う記述も、見られ、これらが、現世においても、成されることが、望まれます。

神としての天皇が、7音階12音の世界を創られた時、

ソ(ト音)から上を5音(御恩)とし、その下までを模型の7音と分けたと申しましたが、今、改めて、ドレミの実である世界が5音(御恩)の世界であり、その上の7音がシ(死)の世界に相当すると考えを改めてみました。それは、黒鍵盤から考えると、切れ目が、ミとファにあり、シと次のドの間にある訳であり、ファとソの間には黒鍵盤があり、繋がっている為、考え直したほうが、良く、思えたからです。

そして、ドレミの実の5音は、母音である、あいうえお、に相当し、残りは子音の世界ですが、や行とわ行は、特別であり、それは、や行も、わ行も、母音の組み合わせから成る音で、「ぃや」「ぃう」「ぃお」・並び、「ぅあ」「ぅい」「ぅう」「ぅえ」「ぅお」であり、や行、わ行を、省くと、子音の行は、丁度、7行に成り、音楽のモデルと一致するのであります。

や行は、あ行から第8行目であり、ソ音であり、十を表す音名ト音に当たり、神としての天皇が置かれた天国でありますが、YHWHのYの行であり、イエスの英語を「はい」の「YES」と考えるとこれも、Yであり、又、日本に置きましても、八百万の神々の「や」であり、八番目の音であり、行でもあるのです。又、子音の初めである「か行」から数えると、や行は第7番目でありますが、アルファベットの第7番目のGである、GODに到達する領域の意味があります。

わ行は、「わ」が、「和」の意味を持ち、全てが、向かうべき、地点であり、現在、わ、の下に続く「いうえを」が無く「わん」に成っており、ONEの意味の行でもあると考えます。

「あかさたなはまやらわ」の10行の後に「ん」が付くと考えると、11行になりますが、「ん」の「N」の音を考える時、鼻の「息」である母音と、鼻に掛けて響かせる「当てる音(おと)の子音」、により、構成されると、考えれば、半音と、実音(白鍵、ドレミの音階にあたる音)の2音と考えられ、「あうお」のドレミと「いえ」の半音の5音と、「かさたなはまら」の子音行の7行の合わせて12音。

又、「あかさたなはまやらわ」の10音と「ん」の2音の12音と考える事も出来る訳です。

N は、エヌであり、「得ぬ」を意味し、「ない」あるいは、「死」と捉える事も出来ます。

得は、「え」であり、「絵」と解釈できますが、得ぬ、は、絵が、「ぬ」であり、「ぬ」は、「せぬ」「やらぬ」の否定の意味と、「私は、死ぬ」と死を肯定する意味の「ぬ」が、あり、わたくしの、考えでは、「ぬ」は、元々の「具(ぐ)」であったと考えております。

「ぬ」は、「NU」であり、「得ぬ」と「ユー」つまり「あなた」又、「U」は、「う」であり、「有」すなわち、「有る」(ある)であります。

「有る」は、具体的に他がある事であり、「NU」は、「あなた」も「有る」も得ない、「在る」つまり、実在の在(ざい)に留まる(「る」は、留)であり、この「ぬ」が、元々の「具」であったと考える訳であります。

つまり、元々の「具」は、絵がなかった、存在でありました。

「NU」は、「ん」と「う」です。

「ん」と鼻孔を使って鳴らす時、実は、「ん」と「う」が、素早く交互に響いており、その実態は、「うん」の連続であり、「運」の連続が、「在る」(ある)の全ての様にも、考えられます。

アルファベットで、ABCDEFGHIJK と来て、L M N O P 。QRST UVW XYZ と来ますが、先に、L M O P 。から見て行きますと、「L」は、「得る」「M」は、「無」、「O」は、王、又は、丸、及び、球。「P」は、ポイントの「P」でありますが、「ピー」は、「ぴ意」で、ぴの意味を表わし、「ぴ」は、「ひ」に丸ですが、これを、私は、「ひの丸」と考えております。

「ひの丸」は、太陽、おてんとう様であり、ひの丸を日本の旗、シンボルとする日本の使命は、おてんと様、太陽の役目を果たす事であり、多大なる重責を担う国と考えております。

次に 「Q R S T」ですが、「Q」の形は、「O」から、抜け出す線です。

つまり、太陽から抜け出す事をQが、表しており、次のRは、「P」の半円から伸び出た線で、出来ておりますが、この線を、逆にP に突き刺してくる線と捉えると、ひの丸、日本に攻めてくる海外と見る事も可能ですが、素直に、Pより、抜け出す線と考え、Q が、太陽の、そのものから抜け出す線であるのに対し、R は、半円の、ひの丸より抜け出す線を持つ「あーる」すなわち、「何かが、あーる、(ある)」事を意味し、Oが、国を治めた世界を表わし、Pが、それが、「ひの丸」ぴ意であり、「ぴ」には、非、否、秘、などの意味もあり、(ぴ)より「きゅう」なる「Q」それは、問題、クイズに御座います。

「あーる」の「あ」は、英語でa、すなわち、Aで「Q&A」、「あーる」は、「あある」で、最初の「あ」は、A、さすれば、答えは、残りの「ある」このあるものの正体、動きが、次の「S」。Sは、スネーク 巳(みー)さんの、ヘビの形と考えま!

「S」は、「えす」で「絵素」と言う、元(素)の絵柄の「絵巣」の巣で、次なるT「ティー」はお茶の「ティー」。

茶する友達「TOMO(とも)」の「T(ティー)」

たくさん集めて、テストしよう!

「たくさん」「テスト」も、かしらは、「T(ティー)」。

一次試験は、「U V W」

「U(ゆー)」は、宇宙のユニバース。スペルは、「U」から始まりま!

されども、「U(ゆー)」は、宇宙の「う」。

そして、「ユー」なる「あなた」の意(い)

「う」には、「有(う)」の字が、大きな意(い)。

「あなた方」なるユーの宇宙。「有る」のお庭を散歩して、あなたの線と、私の線、斜めに下りて、合わさるVは、勝利の意味に御座います。

日本の勝利と世界の勝利、ふたつが、ダブって、闘いは、陀舞龍(だぶりゅう)、へびの舞(ぶ)、へびの舞い(まい)、龍の基(りゅうのもとい)で御座います。

龍なる大蛇は、二つの勝利、合わせて波の、形にごじゃる。


父なるヘビと、母なる大蛇(だいじゃ)、ふたつが、あわさり、クロスして、X「エックス」「絵苦素(えくす)」の素(もと)と成り、描く世界の絵の苦労、苦心の極みを追求し、ひねた息子の「わい」と言う、勝利のV(ぶい)の字、その下に、伸びたる線が、息子の棒、あわせて Y(わい)と、言う文字の、形と成りになりました。

Z(ぜっと)は、S(えす)を逆さに折りて、角(かど)ばる角(かど)を付け申し、「絶戸(ぜつと)」と絶対空(あ)かぬ様(よう)、終わりの「尾止め」に、「乙女(おとめ)」なる、龍の姫なる乙姫の、乙(おつ)なる形で、閉めました。

はてさて、A B C D (えい、びい、しい、でぃい)と、E F G (いー、えふ、じい)の、その意味と、続く H(えいち)に、 I J K (あい、じぇい、けい)、それらの意味と、続く L M N (える、えむ、えぬ)、関する O P Q R (おお、ぴい、きゅう、あーる)解説(かいせつ)すべき時と知り、A B C(えい、びい、しい)より、はじめましょう。

A(えい)の字、「えい」は、英(えい)のえい。美し(うつくし)、優れる(すぐれる)、秀でたる(ひいでたる)。 

次なるB(びい)は、「美意(びい)」の「びー」。

ひかえし C(しい)は、ウルトラしい!美しい(うつくしい)などの、「何々(なになに)しい」

すなわち、それに、ふさわしい。ふさわしい様、見受けられ、その時、もちいる、「しい」の「しー」

あるいは、秀たる(ひでたる)英美(えいび)の美(び)、いかなる美意(びい)かと、恣意(しい)する(しー)!

恣意の意味は、気ままな考え!思いのままに、振舞う心(ふるまうこころ)!自分勝手な!などの意味。

すなわち、どの様(よ)な英美⦅えいび)にしょうかと、気ままに考え、自分勝手な、思いのままに、振舞う心の英美意恣意(えいびいしい)

A(えい)は、V(ぶい)の字逆(の・じさか)さの山(やま)の、中央(ちゅうおう)左右(さゆう)の端(はし)と端(はし)、橋(はし)でつないで、一直線、描いた文字が、Aと言う、上に勝利の山意(やまい)真中(まなか)、中央(ちゅうおう)走る(は知る)一直線、何故⦅なぜ⦆に、「はしる」を「は知る」と書いたか、「は」を知る事が、本当(ほんとう)の、勝利(しょうり)皆(みな)の成功(せいこう)と、ヒントに書いて、おきました。そんなかたちが、A(えい)と言う、英(えい)は、えいもん、良いものの、「えい」の意味にも使われま!


B(びい)の字(じ)、解釈(かいしゃく)様々(さまざま)なれど、13(じゅうさん)1(いち)と3⦅さん⦆の字(じ)を、ひつけて、Bと書きまする。13音(じゅうさんおん)は、ドからドと、一(いち)オクターブに御座います。トランプで言う、キングの王、13(じゅうさん)からが、男入(おとこい)り、一石一城(いっこくいちじょう)の主(あるじ)で御座る。

又は、無限と、末広がりを、表す(あらわす)8(はち)を真中(まなか)から、縦に(たてに)両断(りょうだん)その右(みぎ)を、あらわす、B(びー)の形(かたち)です。

Cの形(かたち)は、思いのままに、自由気ままに息(いき)する口(くち)の、開(ひら)いた 様(さま)をまーるい円(えん)の右側(みごがわ)空けて(あけて)、描(えが)いた形(かたち)、英美(えいび)の恣意(しい)で御座います。

D(ディー)の元々(もともと)、読みは、「デー」、「出絵(でえ」の意味でありました。すなわち、神(かみ)が、出絵(でえ)と呼び、絵(え)よ出てまいれと、合図(あいず⦆した、言葉が、デーで御座います。

こんにち、ディーと変わり果て、ディーゼル、ジーゼル、ディーゼルカーの、ディーと、ジィー、とで、D(ディー) と G(ジィー)の 、混同(こんどう)交(まじ)わる音(おん)と意味、危険がなけりゃあ、良かもんの、危険の香りも、するような、コロナの時代で御座います。

D(ディー)の形は、半円(はんえん)か、でっぱり、おなかで、妊娠と、A(エー)は、キッスで、B (ビー)、ペッティング、C(シー)は、セックス、D(ディー)妊娠で、最後に、堕胎(だたい)が、 I (アイ)と言う、無残(むざん)な、愛(アイ)に、変った私!なぜなら、I (アイ)は、英語で、私。水子(みずこ)の供養(くよう)も必要と、皆(みな)が思(おも)うて、くれんかのう?あなたも、アイ「I」に、御座いましょうに!

D(ディー)R(あーる)SUN(さん)THU(チュー)ウール智(ち)パー!謎の言葉に御座います。イー・アル・サン・スー・ウ・リュ・チ・パーで「1・2・3・4・5・6・7・8」の中国語のハズに御座います。

Eは、かっこが E (イー)の E (イー)。

エネルギーの記号はE(イー)。

エンゼル、天使もEのハズ。ドレミのミでもありまして、ミには、意味(イミ)の三つのイ!

食われる実にも成りモーセ!食ったが勝ちよの、食する身。互いが醸す(ただいがかもす)その味(あじ)の、味(あじ)の字、ミとぞ、読み申す。

三位一体(さんみいったい)父と子と精霊の味(あじ)が、吾(あ)字(じ)でござんした。

神が、創造主(そうぞうぬし)という、まちがい、正(ただ)さないけません。

たしかに、創造主なる神もいる!しかるに、その前、世の始まりを、生きて創ったその主(あるじ)! 八身(やみ)の身、持ちたる非取り(ひとり)の一人(ひとり)!吾身(あみ)が、最初のこの世の基(もとい)、生きるで創りしその創造が、この世の理法の根本原理!

神は、吾身の身、可身(かみ)と言う、身(み)を持つ可能(かのう)の可身(かみ)より来(きた)る、示し申する神と言う、全ての祖の素、根本の、霊魂、神霊すらさへも、既に記憶を失って、しもうて居るに違いない。


話しが、はぐれてしもうても、話したいのは、山々(やまやま)なれど、Eの形は、真中(まなか)の棒(ぼう)が、短く(みじかく)なければ、デジタルの、数字の8の、右の縦線(たてせん)消えた形に御座います。

縦線(たてせん)消えたる、その意味は、ライト、正しい右の線、せんは、しない事の意味、右の縦線、正しい「しない」。守る意智(いち)が、消えたるは、エネルギーの記号のE(イー)と、カッコE(イー)のかっこが良い!

すなわち、正しい「しない」を守る意の智(いのち)!消したるは、エネルギーの考えと、かっこを付けてきどるヤツ!

かっこイーのは、良いけれど、そこまで至る影の働き!

恩に報いる気があるのなら、恥も、気取りも、外分も、かなぐり捨てて、ゲスのゲス、ブスのブスと成り申し、日陰で暮らす、その子らの、褒美に、自由に楽しめる、天下太平、銭の舞う、誰もが安堵(あんど)の楽しみと、平和の世の中作って見い!

真中(まなか)横線(よこせん)短(みじか)い E (イー)は、土台(どだい)の大地の下の横線(よこせん)、左の端(はし)よりF(エフ)の文字(もじ)、鯉(こい)のぼり似(に)せ、立てました。

左の端に鯉のぼり、立てたるその訳(わけ)、英語書き(えいごがき)左から吹く、その風に、たなびく、たんご、子供の日!祖国(そこく)は元より海外で、誰もが知りし時来るように、カッコE(イー)なる、かぶとの侍(さむらい)、織田信長の兜(かぶと)は、例外(れいがい)。命かけたるその戦、兜(かぶと)の重(おも)きに、動きも誠か?

誠の歴史の真相が、皆に知れたる、そのあかつきに、実は、誰もが、死んでも死なぬ!秘密を知りし身の体験を、子供の日へと変えまして、痛手無き世に成る様に、英語書き(えいご餓鬼「がき」)の初めの文字の、一にF「得歩⦅えふ⦆」の鯉のぼり、立てた形が、カッコE(イー)E(イー)の形としたためた、英字(えいじ)の秘密(ひみつ)に御座います。

Eは、ドレミのミとハニホ、葉に穂(はにほ)の穂(ほ)の字に御座います。稲(いね)のなる実の穂(ほ)なれども、誰ぞに「いね!」と帰すのは、そなた、あなたの身(み)を守る、保険(ほけん)の保(ほ)の字の、穂(ほ)が、実り、安全でしたと満期(まんき)の実(み)、積り積もった大金を、受け取る為の「いね!の実(み)穂(ほ)」ドレミの実(ミ)が穂(ホ)音の穂(ほ)、骨(ほね)の保(ほ)と音(ね)に御座います。保(ホ)の区と、音(ね)の区の二区(にく)より生じた、肉(にく)が、骨(ほね)に、まとわり付き、肉欲、二苦四苦と、成り申し、4苦(しく)が8苦(八苦「はっく」)と成り申し、八田(はだ)で、自由(じゆう)、十「じゅう」の国、八つの田んぼをハ田(はだ)として、四苦八苦(しくはっく)のこの身(み)を包む、肌をハ田可(はだか)の姿(すがた「素型」)とし、生まれた祖(そ)の世(よ)の福(ふく「服」)を着て(来て)不幸来ぬ様(よ)に、カッコつけ、カッコE(イー)に、身を包み、守る臆病(おくびょう)しゃあないが、すたこら手にした、力と金で、四苦八苦(しくはっく)で生きとる者(もん)が、肌の内の内部より、あんたの命(いのち)支え取る、ゲス、ブス、乞食(こじき)に、恥さらし!キチガイ、悪人、餓鬼畜生(がきちくしょう)!変態、その他、あらゆる全て、あなたの命で御座います。
この世、九(ここの)つ、九⦅ここの⦆地に、暮す人々、全てが、あなた!


あなたは、吾(あ)の名(な)の田んぼに御じゃる。

吾(あ)とは、最初の吾(われ)で自分、最初の自分を吾(あ)と申す。しかるに、全ての基(もとい)は、ひとつ!
すなわち、すべてが、吾(われ)で自分!
別れた自分が、あるのみぞ!

分かれておるから相違(あいたが)えども、誰もが、個性を主張し合い、それでいて、互いの個性を引き立て合う、蓮(ハス)の華(はな)の咲き誇る、情景(じょうけい)謳った(うたった)南無妙法蓮(なむ、みょう、ほう、れん)、華経(げきょう)という、ひとつの宗派、宗教を、押し付ける、そんな事は、いたさんが、皆が、幸福幸せの、ひとつの、完成その形、治(おさ)めた経(きょう)に御座(ござ)るゆえ、実る方向(ほうこ)に向かう様(よ)に、生きることが、使命の一つ、もちろん、キリスト、イスラム、神道(しんとう)、それぞれ、生きねば成らぬれど、含めて、この経(きょう)示(しめ)す事、相も変われぬ事なれば、基本の基の字に御座います。

次なる、Fは、「得歩」「得不」「絵不」!他にも解釈あるなれど、基本は、「得絵(ええ)」の「負不(ふふ)、歩麩(ふふ)、ふ(ふ)」

表と裏は、あるなれど、すべてが、F(えふ)の意味深な、ハニホヘトイロのヘ音のファ!

ドレミ土霊(どれい)の、身(み)の御恩(ごおん)!五音(ごおん)が、五体⦅ごたい⦆に御座(ござ)います。

そこから、ふぁっと、抜け出した、我素(ガス)ゆえ、おならを、表す「へ音」!

おならは、奈良に御座います。奈良の奈の字は、悩む意味。奈病み(なやみ)と書いて悩み(なやみ)と読む!

悩み、考え貫くを、良しとしたのが、奈の字に、良し!奈良(なら)の意味する言葉に御座る!

すなわち、F(エフ)は、お奈良(おなら)の意(い)!ふぁっと抜け出すその前は、不和(ふわ)が、ゆえに、ございます。和(わ)せぬ世界を抜け出して、素(もと)の我(われ)の我素(ガス)に成り、ふぁっと抜け打しゃ、良かったが、高木ブーのブーのへか?チューリップによる、プーのへか?どんな音で飛び出したかは、様々、色々あろうけど、ガスと成って出た限り、無色透明の霊の世界!六道銭で、ラの世から、音階恩界(おんかい、おんかい)シの世にて、ロ音(ろおん)口(くち)たる朽ち(くち)で果て、炉(ろ)にくべられて、その上の、一オクターブ上のドに、返り咲きたるその時に、覚えていずとも、ドレミファソラシ!魂焼き付く、成長の声!コロナ子路名(ころなころな)のその前に生(いく)、子でありし時は、子供5(こ)、コロナで、身体(からだ)を持ちたまま、子路名(ころな)の路(みち)を歩むは、567(ころな)ミファソの路(ろ)、路地(ろじ)の名、奈と付く、奈病みの7⦅な⦆、第7音は、ファとソの間(あいだ)!音階(おんかい)のソの音(おと)は、ト音(とおん)が、ハ長調の第8音で、無限末広(むげんすえひろ)がりの、加祖(かそ)加トマジック、カソリック、トリック見破るカトリック!十字架、架の字に加える木と八、10「テン」NO「ノー」、10音、6音階、ソの音(おと)ト音を、祖と戸とし、ト音のトの音(おと)十色(といろ)のト!ロ音(ろおん)におわすが、死を統べし、在って有りしの真の神!シにも様々意味あって、死ぬの死だけじゃ、ありませぬ!死の反対の「する」の意味「しなさい」「しろ」の「し」もあれば、音楽、メロディーその調べ、乗せたる歌の唄と言う、歌詞の詩の詞(し」も御座います。

ふぁっと抜け出し我素(ガス)が見た、ソラがお空で御座います。

ソラは、祖羅、素羅、祖等と言う、祖先の織(お)り成す網(あみ)が羅(ラ)で、全ての素(もと)のソと言う吾身(あみ)の、織り成す八身(やみ)の闇(やみ)光る、宇宙の神秘の織り成す網の、世界がソラのラ網の、羅(ラ)の世の世界に御座います。


はたまた、祖等と申すのは、君ら、僕らの「ら」に使う、漢字をー、等(ら)と書きまする。

ゆえに、祖等とは、祖先たち、皆(みな)の事を表わしま!

シの音(おと)、シ音(しおん)のシオンには、聖書の中で、ユダヤ人、終わりの時のその時にゃ、シオンの山々お逃げなさい!確か書かれていたと言う、記憶は、あるには、あるのだけれど!長らく聖書も、読んどりゃあせんで、遠い記憶の事ゆえに、記憶違いもあるかと思い、必要な人は、聖書を読んで、確認するよにお勧めします。

とにかく、シオンは、ユダヤ人、あるいは、ユダヤ教の人、大きな意味があるハズです。

それでは、そろそろG(ジー)と言う、「じ意」の話に、進みます。

G「じー」は、じぃーちゃん先祖の意味と、GOD(ゴッド)の意味が御座います。

キリスト教では、神創造主(そうぞうしゅ)、イスラム教では、神、唯一神(ゆいつしん)神道(しんとう)の神は、よくわからぬが、八百万の神、神々の一霊四魂と申しまし。ひとつの霊が、四つの魂、性格、役割分けまして、私の勝手な解釈じゃ、ひとを例えて説明すれば、五体合わせた一霊の、命(いのち)の目意(めい)が命(めい)で、その一身(いっしん)の一感(いっかん)が、各宗教に、それぞれごとにおりましき、唯一神⦅ゆいつしん)なる、アラーアッラは、唯一神(ゆいつしん)なる全てに御座る、すなわち、五体の肌の触覚、一霊(いちれい)直霊(なおひ)と申しまするが、四魂は、視覚、聴覚、臭覚と、味覚の四感(しかん)が、四魂の役目、そして、目、耳、鼻、口が、その神を表わすと置き換えて、中でも、視覚(しかく)である目意(めい)は、目意(めい)と言う読み、命(いのち)の命(めい)、その意味を持ちたる、目には、三つのロ(ろ)が縦に、並んだ形が目の字の目!ロ(ろ)には、路地なる路(みち)のロ(ろ)と、暖炉(だんろ)にくべるの、暖炉の炉(ろ)、脊髄の骨の呂(ろ)と言う連(れん)なり、他にもまだまだ、ありますが、これが、基本の三ロ(ろ)とし、炉(ろ)くべられたのは、イエスキリスト、路(みち)なる路(ろ)とは、精霊の、励む(はげむ)試練の路(みち)ではないか?父なる神とは、全てに連(れん)となり、脊髄の骨の呂(ろ)でないかとかんがえりゃ!こうして見れば、命(めい)なる「目意(めい)」の命が、直霊(なおひ)しかし、も一度考え見れば、五体合わせた唯一神(ゆいつしん)これぞ直霊(なおひ)とせん事にゃ、辻褄(つじつま)、納得(なっとく)いかぬぞえ!さすれば、三ロのキリスト教は、神は愛だと自称する、それゆえ、愛の幸魂(さちみたま)、その働きは「愛」で愛し育てるその力、愛育むは、言葉に頼る(たよる)、ゆえに、その感(かん)聴覚と、なぞらえました、と申しまし。先ほど目意と、目としたが、聴覚ならでは、耳が当然、耳なる神が、キリストの神、
次は和魂(にぎみたま)の働きで、「親(しん)」の親和(しんわ)で調和する、そんな力の出所は、人と触れ合う目と言う視覚、目意(めい)なる命命(いのち)の魂(たましい)は、ひとの心を、命(いのち)とす、仏(ほとけ)が、目の役、見張り番!全てをご覧に成りますは、ほとけが、裸眼でありまする。次に、荒魂(あらみたま)の働きは、「勇⦅ゆう⦆」で前進する力。前進促す食欲は、様々なものが、火付け役、しかるに、前へ進むには、臭いをかぎ分け、用心と、誘いの香りや、臭いによると、言ったとこから、この魂の例える感は、臭覚で、神なる鼻は、鼻息の、荒ぶることも、あるとして、勇なる神は、小さき国で、臭いをかぎ分け、良しと、悪、世界に示した日本の神の、神道(しんとう)こそが、ふさわいく、わたしの勝手な解釈で、臭覚、鼻は、神道と、決めて見たいと思います。

はてさて、残るは、奇魂 (くしみたま)、奇魂(くしみたま)の働きは智(ち)で、真理を探究する力!これは、神で言う成れば、ギリシャの全智全能が、示すところと思えども、ひとつ、忘れている神は、人間、科学で、探求し、世界を動かす張本人!これを神に含めずに、わらわは、良しと致しません。故に、奇魂 (くしみたま)は、人間で、その感、料理の創造の、味を味わう味覚とし、言葉を語る生きとし神は、在って有りしの肉の神、実在神に御座います。確かに、イエスキリストも、肉で復活したと聞く、しかし、賢い科学の世!復活するには、研究不足!いざと成ったら、10「テン」をNO「ノー」!六音階十音(ろくおんかいじゅうおん)を、七音階十二音、創り直して、神の座おりて、人と成りての、天皇さまの、真の可座理(かざり)の宮に行き、全てを丸めて、直霊(なおひ)も、我が身、治めし身体がご神体!真なる神と成る時も、コロナの時代の終焉に、間に合う様に幕引いて、皆(みな)を命(いのち)に変えると言う、大義を果たすと信じます。


次に、H (エッチ)と行きたいが、その前AB⦅えい、びい⦆イロハの色を、未(いま)だ、解説(かいせつ)しとらんで、先にAB(えい、びい)イロハから、説明したいとおもいます。

ハ長調の音階の音名、CDEFG, ABC で一オクターブ、一周するので御座います。日本においては、ハニホヘト、イロハで一周に成りまする。

ハニホヘトイロは、葉に穂へ十色(はにほえといろ)、AB⦅えいび)は色に、御座います。

「10(テン)」までだった、6音階(ろくおんかい)の、10音(じゅうおん)の世は、ドレミファソラのソラまでで、そこには、死と成るシ音(しおん)なく、音名(おんな)の神(かみ)しかおらなんだ!

イロハニホハトとABC(えい、びい、しい)、DFG(でぃ、えふ、じぃ)のゴッドまで!イロハニホヘトは、色(いろ)は匂(にお)えど!
江戸(えど)が、絵のドア、扉(とびら)戸(と)!

西欧諸国(せいおうしょこく)じゃ、ナイトたち、ナイトの夜に話し合い、誰を「10(テン)」とすると言うを、話し合い!ナイトたちは、「ない十(ないと)」ゆえ、十(と)の十(じゅう⦆が、ない故に、「私たちは、ないんイエスに御座います」「10(テン)が、ないんのナインです。」「十字架掛かりた神の子、イエス、イエスキリスト、「家好きリスト(いえすき・りすと)」「家好きリストに名を連ね、天で生きとう御座います。」

そこに出でたる「10(テン)をNO(ノー)」、在って有りしの天皇様の、死をも統べたるその力!」あっという間に、7音階(ななおんかい)12音⦅じゅうにおん⦆のその調べ、朕(ちん)と名ずけし、そのお身体(からだ)、女と違うモノの付く、珍しきとぞの皇帝で、珍⦅ちん)なる朕(ちん)の名の故に、女と違うそのモノを、「ちんちん」と呼ぼと話し合い、世界の国を男と女、男は、音⦅おと⦆の固(かた)まりの、音固(おとこ)で男(おとこ)と申します。女(おんな)は、音(おん)の名(な)それ故に、音名(おんな)で、女(おんな)と呼びまする。


男(おとこ)は、万にひとつの身(み)であるために、それ故、男は、マンと言い、女は、子供を、うまんと欲す、それ故、うまんを欲する、声がうずいて、求め叫びのウーと言う、ウーと伸びたがウーマンと、女は、ウーマン・リブの声、高らかに挙げて差別撤廃、ウーマン女であるなれど、解放されねば、産まん(うまん)とし、女性ファースト先にあったか知らねども、知的女性の参加権、手にとぞ入れては、マンの身と並ぶ立場を獲得し、男尊女子の不公平、なくして勝ったと思(おも)うて見たが、専業主婦いう仕事を、無くし、あわれな末路(まつろ)となるひとも!同じ道でも、違う道、方法考え、専業主婦の、生存権と、お給料、貰える仕組みも、作らねば、国に、横取り税金で、自分の稼ぎ、お勤めの、専業主婦の仕事としての、やりがい、希望が持てませぬ!

G(ゴッド)の次のその音階は、ソラのラ音に御座います。

C(シー)より並べ変えた故、G(じぃー)の次には、H(えいち)来ず、AB⦅えい、びい)と続く、不思議ゆえ、気付いた時より、この物語、研究進めて来ましたが、ABだけでは、分かりません。AB日本じゃ色という、色事「エッチ」の意味ですね!、天皇、「ちんちん」あった為、エッチと愛のH I 、Gの後ろに続きます。AB(えい、びい)、英美(えいび)を描くには、色を操る(あやつる)、絵の具の様(よう)に、ラシ苦(らしく)あらねば、成りません。


(みな)は、死苦の「四(よん)と九⦅きゅう⦆」避ける気持ちで、縁起をかつぎ、4,9(しく)や、13(じゅうさん)嫌うけど、四(よん)のよの字は、この世の「よ」九(きゅう)は、地球(ちきゅう)の(きゅう)含み、「し」には、先ほど申した様に、「する」の意味の「し」の意味も、苦には、苦痛(くつう)と、苦労(くろう)の苦、しかるに、元の苦(く)の意味は、苦心が基(もとい)の、細工や、工夫!工夫をこらして、細工して、楽しませるのが、楽しみで、はじめた苦心に、チャチャ入⦅はい⦆り、無理や、頑張りアダと成り、苦痛(くつう)苦労(くろう)に、苦悩(くのう)して、嫌(いや)なる苦へと、成り申し、すべては、良いを悪いとす、間違いだらけの、世にしてしもた、何でも、すべてに良き点が、ある事見抜けぬ、愛しらず、すべてを愛せる、御魂(みたま)が、真(しん)の、天皇、可座理(かざり)に成ると言う、難しいのが、誠の愛か、安易(あんい)やさしい世界も作り、難しい愛、命乞い、せんでも、我が身と命を捨てて、皆(みな)の愛する命の中と、I (アイ)の命は、私の命、身(み)まで悟って、恐怖(きょうふ)を超えて、無謀(むぼう)に生きるが、ほんとの愛か?きわどい選択、この迷い!
無謀は、さらなる不幸を呼んで、大事に育てた、愛の国、実らぬ内に、身を落とし、帰らぬ人では、生きてはいても、万事休すのその時に、後悔したとて遅かりし!


迷いは、晴れても、身動き取れぬ、コロナの時代に御座います。

はてさて、I の裏側に、隠れしその字は、J(ジェイ)らしい!ジェィラシーのその愛は、I (あい)が 曲(まが)る ジェィラシーの J(ジェイ)! 
ジェラシーの愛に御座います。アルファベットの10番目、音楽ならば、イ音ラA(いおんらえい)にあたります。C(シー)から始めてG(ジー)の後、H I J(エッチ、愛、じぇい) と続けたならば、上のド音に当たります。J K L(ジェイ、ケー、エル)でドレミなら、ジェラシー、キングを得ると言う、ドレミの L (得る)の身(ミ)L (エル)という、直角に曲がる横線は、I (アイ)なる私の影でしょか?K(ケー)は、私の I の身に、勝利と言うより横殴り、バイオレンスのV(ぶい)当たり、K(ケー) と成りしは「けー」と言う、髪の毛神の、賢し消しは、「仮死(かし)、固死(こし」、化身(けし)」の化(ば)けの身か!!化(ば)けに、化(ば)けたる、髪の毛を、チリチリ、散らしたして消えと言う。無限に広がる命(いのち)の意識。すべては、変らぬ全ての中で、今を生きるを、生きるとす!使命の故のコロナゆえ、未来永劫見果てぬ先に、在りし危険の基(もとい)の種を、皆で刈り取り、永劫の今(えいごうのいま)。楽しく生きれ、ますように、コロナ567(ころな)は、8(はち) 届(とど)かずの、今の楽しみ後にして、無限(むげん)の8「永都(えいと)」(エイト)に届く、コロナの路(みち)の路(みち)のりを、付けねば先まで行けはせぬ!

チリチリ、散らした髪の毛が、8,9(はち、く)に飛んで、そこまでの路(みみ)、教えてくれりゃあ、しめたもの!

M(エム)は、(恵夢「エム」)の咲きたるファ音、音名(おんめい)へ音に御座います。ヘ御(へおん)は、治めるヘビの名で、サタンと呼ばれし一生(いっしょうを)を、永(なが)きに渡って生きとし生きて、ジェラシーキングを得る身(ミ)を抜けて、へ音記号に生まれし赤ちゃん、頭(あたま)が、へ音の位置しめし、玉々(たまたま)はさむは、かしらの線よ!かしら守って身をまとう、形は、ハートの右半分。玉の点々付くけれど、そこが、テレやで、ニヒルな愛嬌(あいきょう)。ジェラシー、キングと違うとこ!

お次は、N の字、ソ十(そと)の音(おと)、無限(むげん)の天に御座います。ここまで、来たなら、肉と霊、共にインチの命ゆえ、二・五四センチ(にーてん、ごー、よん、せんち)です。2天越し(にてんごし)の、センチな愛では御座るけど、そこを越したら、本当(ほんと)の、愛(あい)の愛らしい愛を失って、偽(にせ)の愛に変ります。愛らし愛(あいらしあい)のその故に、愛らし愛に似合った愛と、言う事わからな、理窟も愛を、増せぬとぞ、理窟と愛が、言いまする!
N は、「得ぬ」とも言いますが、「要らぬを得ぬ」が真(しん)なるエヌの、エヌのエヌなる奥深さ!H(エッチ)を横に並べ替え、エヌの字のエの字に使いみて。エッチな愛から目さまし、得ぬは、H(エッチ)に御座います。半分お山を立てまして、フの字の様に使いては、右斜めに下がる線、フの弧を横切り、突き抜けて、エヌのヌのと致します。弧を切る斜線が、なけりゃエフ、エフは、絵不得歩得麩(えふ、えふ、えふ、)と言う、フの字、殺さな良くならりゃせん。
エヌの妙味は尽きぬ度も、ここらで次へと進みましょう。

次なるO(オー)は、ライ音(らいおん)O(王)、ライ音、来る音(くるおと)O⦅王⦆と言う、まーるい外からやって来る、来音(らいおん)全てが、「オー!」と言う、驚き、歓声、怒涛(どとう)の如く(ごとく)、いつまで経とうが、飽きの来ず、異音の世界に御座います。イ音にゃ、異音の、マイナスイオン、虚数のイ音も御座ろう手!どよめく歓声境のすべて、声に超えして超えて行き、世界の全てにとどろいて、あらたなたいおん太陽コロナ!全土に渡って知らしめて、あらつぁに、ライオン獅子の舞い、愛が壊した大河の流れ、タイガーウッズと成り申し、全ての愛を地球に運ぶ、シーラカンスの太鼓の海で、化石と化したニシキヘビ、荒魂御魂(あらたまみたま)に受けた舞い、御用御用の桜Ⓜん(さくらもん)、かゆい所に手が届く。そんな御用がM出来る世に、夢のうつつを幻と、思わぬいあさぎ、いさぎよさ!十手の伸びたるその砂金、りゅが依正(いせい)で、わななきで!騒ぎ立てては、御用の十手、返す御用と羅り(らり)にけり、花火咲かせて桜Ⓜん、いのちのみすは、愛らぶゆー!誰を愛していーるんは、悩みは、死ぬのが怖いのは、愛する人の、姿かたちに合えぬがゆえか?あんたら、ほんとに、あいしてるひと、自覚的照るひとがいる?金に恋しているひとも、金に愛して残ってもらい、為に貯めたる使い道、金に愛され好かれる様に、金の使命を知りません!応恥ずかしや恥ずかしや1・JP・LPMGS!

「次なるP(ピー)は、ピーという、」「城音⦅シロおん⦆、知ろ音(シロおと)白(シロ)と言う、」「素人(シロおと)みたいな、芸当に、」「飾りを飾って、おいーと言う、」「追いは、老いから、逃げる老い!」「何を知っても老いは老い、」「いつまで老いに追われておいで、」「時を止めりゃあ老い止むなれど、」「ピーの音で目が覚めて、」「一歩一歩と老い進む!」「されど、老いに置いたとて、」「いかほど経っても、時無限(ときむげん)1、」「無限!無限と無限には、」「無なる限り(かぎり⦆が、御座います。」「されど、無限と有限にゃあ、」「無しの限りと、有る限り」「大きな違いが御座います。」「有るの限りは、カギとして、」「縮小拡大する事で、」「自由に、長さ、思度も、変化自在、」「無限にゃ、長さがある様で、ないが、」「そこが、いさぎの、良きところ、」「宇宙の有限、無限と捉え、」「変化自在に有限を、無限の中で、いじくって、」「時の長さに、疲れた時にゃ、疲れた所で、無に帰して、」「無限の果てより、有限の、」「遊び場、夢(ゆめ)のその中じゃあ、」「おそらく、疲れも、覚えません。」「むげん、むげんにゃ、無下(むげ)の野(の)と、」「夢幻(むげん)の夢(む)の字の、ゆめの中、」「夢富む十夢(ゆめとむとむ)の、十(じゅう)の夢(ゆめ)、」「閉じるにゃ、次(つぎ)を閉じる時事(じじ)、」「なき時⦅とき⦆ない無(む)の中にさえ、」「時は、巡り(めぐり)て、すべての中を、」「素部手(すべて)と、割り切り、素(す)のソース、」「それが、すべてで御座らんか?」「いつまで経っても、すべては、すべて、」「なくなる事が、ありますかい!」「命(いのち)が、ある時、有ると言い、」「命(いのち)は尽きる事もなく、」「いつまで経っても、いのちの中と、」「知っておったら、全てがインチ、」「二・五四センチ「にーてん、ごー、よん、せんち」んお、」「二点越しのセンチな海に、」「朕の華作「花咲く」調べ、」「飾りが可座理に返り咲き、朕のお帰り珍しく、」「ひとで、ありしの園ゆえの、」「シクラメンと、しくしく泣きの、」「心やさしい天皇の。」「本当のひとが知れるまで、」「天はらしくもない点あれど、」「長旅急いで掛けるより、」「旅の時にはタビ履いて、」「たなびく風にそよぐ鯉!」「歌舞と乱舞の超の舞い!」「気にもかけずに、恋する鯉の、」「滝を登って龍となり、」「天まで登って、」「全て僕らのインチと成って、」「二天ゴー四(にーてん、ごー、よん)、2天越し、」「愛らし、愛の無限の天に、」「皆(みな)の命(いのち)が、返り咲き、」「上意のO(オー)様、P(ピー)様の、」「ライオン、ピーする白(しろ)し音(おん)、」「可座理(かざり)が、いようが、おるまいが、」「役目を果たしておいでです。」「ピーが出るときゃ、ラインの線を、」「オーバー越えして、ライオンに、」「タイガーウッズの鳴き声の、」「素人(シロ音)ながらに、わきまえて、」「素(もと)の名ありし、吾身(あみ)の名を、」「吾名田(あなた)に知ろ閉め、吾知りー十(あしりーと)、」「アスリートである吾素(あす)は、」「アース、アースのアの字の吾(あ)、」「逆さのレの字を上を右、」「上の端より、逆さのレ、」「下左を、」「上の端より、使いてフの様(よう)に、」「用い増して、横に伸びたる線のまんなか、」「カタカナ、「ノ」の字を線と引き、」「逆さのレとノで、アの字にし、」「逆さのレの意味D(デー)の逆(ぎゃく)、」「デーは、デイゆえ、逆さは、イデ、」「イデのまんなかノの字は、加える為に、」「すなわち、イノデでアと読みし、」「イノデは意の出で、意が出て御用、」「意には特殊な働きが、」「それは意の智(いのち)の、命(いのち)の御用、」「意味、意図、意思、意志感じ取り、」「知らす意の理の、意理(いり)の入り、」「立つ日の心に御座います。」」「すなわち、それは、決断の、」「意思、意志、遺志の、意味をもちしは、日にちの心、」「祟(たた)す様(よう)に、出るを示して、祟(たた)すとし、」「最初に祟した日にちが五日(いつか)、」「いつか?のときに御座る故、」「そして、働く意の御用、」「アッと気付かせ、わかる様(よ)に、」「「あ」への知らせが、初仕事!」「「あ」は、気付いて割れ(われ)を知り、」「吾(あ)なる基(もとい)を最初の吾(あ)!」「割れたる、割れを、吾(あ)にたとえ、」「吾(あ)なる、割れを吾(われ)として、」「自分を吾(われ)と、呼びました。」


「アッと気付いた、イノデを祟す、」「意にも、イノデも、音鳴らす、穴(あな)」「ANA(あな)が付いてて、アっという、」「その瞬間の元の穴、」「閉じたるMと気付いた夢の、」「YUME(ゆめ)にあるME(め)の、穴(あな)のM(恵夢=エム)」「イをひつけて、読み上げりゃ。ミと言う三つに気付きます。」「最初の「あ」という「われ」それに」「それを、気付かせた「い」で三つ!」「「い」による、恵夢「エム」の夢(ゆめ)なるを、」「見つけた夢を見たるのは、」「ME(め)という恵夢(エム)に、イーそれを、」アッと気付いて、割れを知り、」「他と分かれた、われの持つ、」「われに導く、意の出に気付く、」「イノデをわれにも、持つと知り、」「祟(たた)すが、出るを示す祟す、」「祟すが出ると、われも祟す、」「それゆえ、意の理の意理の入り、」「わかると悟るその名には、」「アであるミ意のミ、身のゆえに、」「アミと言う名に決めました。」「闇に見たるは夢(ゆめ)と言う、「ゆ」と「め」が、付いておりまする。」「意の理が、教えた「ゆめ」の「ゆ」は、」「意より、意出(いで)たる闇⦅やみ⦆という、」「意やミが、スーッと消えゆく様(さま)に、」「いやすがゆとぞ感じるミ!」「「ゆ」には、「いやす」の意味ありと、」「(いやすゆ)こころに、止め申し、」「こころが、あると知りし今、」「感じる意の夢(ゆめ)、夢見る心、」「覚えをこころに、とめる「と」と、」「こころにとめるの、「る」の心、」「これで、「いやすゆ」、「とめる」と、自身の「あ」、」「すべて合わせて、闇(やみ)と知り、」「自身は、「やみ」のミ、全部で八つ、」「アッと気付いた吾(われ)の身(ミ)は、」「八ツの八(やつ)に身と書いて、」「吾身(あみ)の身(み)、八身(やみ)の身(ミ)「あい」による、」「(いやすゆ、とめるあ)(あ)と(い)の出会い、」「(出るを示すを祟す「祟す」)」「祟すが祟すを(たた)という、」「スーッと素(もと)に、戻るス、素(もと)なる意味と」「スーッと戻るの意味を持つ、」「スであるこれを」「素(す)と言い、素(もと)とも、言うスと理解した、」「その時気付いて理解する、」「吾(あ)が、たたすの、「た」によって、」「みるまに理解と理解する、」「「あ」と「た」と、みるまの「ま」を合わせ、」「何かについて理解する、」「何かをもって、「あたま」と呼ぶに決めました。」

次なる文字は、Q(キュー)であり、もひとつ上の、ハ音ドC(シー)
悔いず「クイズ」の世界にゴンス!
Q(キュー)から下がるとQP(キューピー)で、ピットインして、キューピット!「ハロ音、ハローと、ドシっと!C B (恣意・美意)、キューピー気ままに美を描く!」「ハ音頭恣意から、知ろ、恩・美意」「キューピー恋の矢いぬく為、86(はち、ろく)野郎(やろう)と魂日和(こんにちわ)」「ドシッと、重たい嫉妬(しっと)心(しん)」「Qとな(キュートな)ハートに変える為、ト音で連絡致します。N (エヌ)のトーンで、ト音は、ソ」「この人のハ音一階下の、J ジェイらしい。通りでジェラシー、強いハズ。」「ハ音素(はおおんそ)C(恣意)まで、戻しましょ!」「8度13音(はちど、じゅうさんおん)下げるには、」「86(はちじゅうろく)引く13(じゅうさん)は、」「73(ななじゅうさん)で」「並み(なみ=73)」にする。」「あるいは、7で、シロ音Bにして、、3は、ホ音ミEだから」「恩(おん)を知らしめ、保温して、すべてが、彼の命と悟らせて、皆を愛せる様(よう)にしよ!」

実際の音楽史実におきまして、6音階から7音階に成ったと言う事実は、承知いたしておりますが、実際に、どの様に、現在のように、CDEFGABとなり、半音がどの様な過程を経て、創られたかという、詳しい史実はしりませんが、クリスチャンを意味する、Cから始まり、5音階で、GODを意味する、天国へ到達し、その後、ABであり、アルファベットで行くと、HIが来る訳でありますが、最後のIは、「愛」の意味もありますが、「私」と言う意味も、英語では、存在します。つまり、全ての人にとって、Iは自分でもあるのだと考えます。イは、意の意味を持ち、ロは、シである、「死」の意味から、全てを火にくべる炉(ろ)の意味も含んでいますが、ロという字は、口(くち)を意味し、意を言葉に変える場所でもあると考えます。それ故、音名(女)であった音(おん)は、意が、形と成らず、音固(男)によって、詞(シ)が乗る事により、歌となり、言葉としての働きを持つ子音が生じることにより、意味を成す事に成ったと考えます。


追記。2020/11/08-10:56

2019年12月26日
私からの、ご報告とお願い
私からの、ご報告とお願い

私は、この世に限定して、世界を、世界の歴史を、又、存在や神を、理解するためには、聖書とひふみ神示の両方を研究し、学ぶ必要があると感じているが、聖書だけでも、大書であり、ひふみ神示も、中々、読破するのは、大変時間が掛かり、難しく感じている。しかも、その内容を記憶し、理解し、研究するのは、仕事そっちのけでも、あまりに大義であると感じている。実は、ユダヤの救世主は日本に現れる。や。日ユ同祖論は、30年以上も前から言われ存在していた。又、聖書の預言が、ユダヤ(イスラエル)に関して、特に、西欧諸国において、成就して来た経緯や、それが、西欧の常識である事も理解したが、日本の天皇の菊花門が、古代シュメール文明の華族の紋章であり、イラクのフセイン大統領が、同じ紋章の指輪をはめていた事も、わかった。

しかし、日本の鎖国状態は、社会認識上今も続いているとさえ、感じている。

一般庶民は、生活に追われ、世界情勢を考えたり、神や真理について、考える余裕もなく、日々、坦々と生きるのみである。

実は、私も、日教組の教育の元、天皇を軽視、あるいは、封建主義者的と言うとらえ方で、見ていたし、戦中の竹やりで、飛行機に立ち向かう姿を、バカバカしいと思っていた。

しかし、日本はキ(気)の国であり、又、神国であった。

私は、今まで、存在あるいは、神、又は、仏について等の考察をして来た。

そこで、一旦、これまでの、考えを整理すべく、新神の道しるべ!と言うシリーズで、ユーチューブに、まとめて、行こうと考え、始める事にした。

私は、実質、障害年金や、生活保護と言う、皆さんの、血税により、今の所、生活するお金自体には、困っていないが、本当にしたいのは、音楽を作り、売りたいと言うのが、願いであり、今回、みまわれた、日本及び世界の危機的状況を伝える、様々な情報により、作曲に専念出来ないのは、やっと、正常な、判断が出来る状態にまで達し、音楽を再び始めたばかりで、これからと、言う時でもあった為、非常に残念にも感じていますが、とにかく、この仕事、役割を、果たす方が、先であり、これに、出来る限り専念したいとは、思っておりますが、誰も見てくれなかったら、そのやりがいも、喜びもなく、その為、チャンネル登録が余りに少なければ、あっさり、中断するか、止めるかもわかりません。ユーチューブが故意に、視聴回数や、登録者数をごまかしているとは、思いたくありませんが、バグの為か、かなり酷い、視聴回数が改ざんされたと思われる場面に出くわし、本当のところが、よくわかりません。悪も又、御役の御用であり、悪のみにおいて、悪ならず!と、ひふみ神示にありますので、自己の学びの為にも、続けるつもりでは。ありますが、登録者数や、視聴回数と言うのは、励みの原動力にも、なりますので、高評価や、チャンネル登録など、是非とも、お願いしたく存じます。

気力が維持出来ない為、中途半端な事も御座いますが、ご容赦のほど、よろしくお願いいたします。

何分活動におきましては、全て一人で行っており、又、実際の年齢は、2020年の誕生日を迎えると、58でありますが、肉体的には、老人にも近い状態であり、活力の出る事しか、頑張ればない弱体であります。

実際、滅びるなら、滅んでしまえ、後は、知らんと、まことなる無へと帰しても構わないとさへ、思う事もあり、又、この世は、私の住む一つの世界に過ぎず、この世の人たちが、真に理解できるべく、私も学び、その表現方法について、考察、研究して参りましたが、聞く気のない人にまで、無理に知らせたい訳ではありませんが、ひとりでも、多くの方が、存在と神について理解し、無事、まことの自己の世界に帰還できる事を願います。

私は、この世で、与えられた、恩に報いる為、この世で生きておりますが、皆さんが、追い出したい者を追い出し、自分たちの世界で生きるのだと考えるなら、やがて、この世自体滅び、無に帰すでしょう。

ひふみ神示によると、一度は天地お引き上げと申されておりますが、この世が、ある種のプログラムの中の世界であり、もちろん、それらをしのぐ神の存在もありますが、この世で生きる神々に対しても、お世話に成って、この世で生きている訳でありますから、仮に、この世が、改まらず、泥海に化すとしても、もし、皆さんが、ある種の理解を得ているのであれば、そうなっても、救われているはずですが、理解が、及ばぬ為に、苦しみ、嘆き、さまよい、迷いの世界におちいると、言う事は、考えられるはずでありますので、私の、経験や、理解について、語って行きたいと、考えております。

わたくしも、全てを理解している訳では御座いませんが、核心については、理解しているつもりであり、只、この世について、理解していないのであって、存在そのものについては、理解しており、又、自分には、様々に、生きる世界を所有している身である事を、経験的に、知っており、たとえば、この世をプログラムとする世界では、様々に、ソフト、つまり、世界のプログラムが存在しており、その内の一つが、この世であります。

私がこの世で、起こした、異常行動の背景には、この世の弱った部分を固めたり、修正する為でもあり、又、この世は、ひとつの次元から成り立っているのではなく、私は、ある時には、そうした、プログラムを修正する為のロボットであったり、飼われた犬であった事も他の次元においては、現実の事であるのです。

しかし、その次元の人たちが知る、私では、本当には、違います。彼らは、いつもの私と思い、ロボットや、犬として見ておりますが、それは、私と言う身が背負っている者であり、私の正体ではありません。なぜなら、彼らが、私に述べた意味を考察しなければ、見知らぬ私に対して述べた事の意味についての、理解に、たどり付けなかったからです。

私の意識の正体そのものは。次元を旅するチャーリープトラであり、記憶を取り戻し、この世で、楽しく永住せんが為に生れて来たと、考えておりますが、はばからず、この次元、この世は、末期を迎えており、又、そうでなくても、思いのままに永く生きるには、余りにも、短い寿命であり、念願の、永く楽しく生きる世界に変える為には、神さまとさえ、議論の余地があるのではとも、考えており、なぜなら、確かに、現在、悪との戦いや、神のご威光を望まれるお気持ちに、対処すべき、時点であるのでは、ありましょうが、悪との和平、神の理(ミチ)の達成を終えて、ユーモア、あふれる、楽しい世界づくりも、必要ではないかと、考えるからでありますが、いわゆる、肉や魂が、理解及び浄化されずに、それらは、達成されません。

この世の問題の始まりは、ひとつには、性と聖との関係においての、乱れと、考えの間違いが、あったが故と考えます。性の欲望と言うものには、欲望自体が間違いな訳ではなく、欲望、あるいは、願望と言う物があってはじめて、生きるエネルギーにも、なる訳であり、何らかの欲求が、なければ、存在する存在として、存在する必要がなく、むしろ、無に帰してしまうのと、何ら変わりません。性が聖を汚す為、性なる欲望の為に、聖なるを、汚す欲望を、排除する事は性の欲望を生きる活力とする悪には、生き場を、与えないと言う事であり、抹殺を意味する事であり、戦いを挑むのも、無理からぬ事ですから、みぞおちに、留め置きて勝ちとされる、ひふみ神示通り、領域を超えし、悪は、ミチから外れ、許されませんが、タブーを守り、又、ミチに外れず、苦しめない悪は、生かされるのであろうと、理解しました。問題は、支配欲と、ミチに外れた金儲けであり、楽して稼いだとしても、悪い訳ではありませんが、そこに、他人に苦しみを与えたり、あるいは、善良さに、欠ける、誤った稼ぎ方が、問われていると、理解しました。

偶像礼拝を悪としたのは、感謝としてや、神の気の宿る場所として、神聖化する日本においては、間違いでない事への世界側の理解を、急ぐ必要があると、存じますが、偶像礼拝の禁止は、己の中にある神聖な魂を、さげすみ、魂の成長や、知性の発達を、はばむが故であり、それらがない様に外国における、神の選民として、ユダヤに、与えし戒律であったと理解しております。

聖書に基づき、殉教された魂は、もちろん、天国で暮らしているハズですから、問題はありませんが、釈迦が説かれた56億7千万年後下生するといわれた弥勒(みろく)の世が間もなくやって来ると、ひふみには、説かれておりますが、それを、ヨハネの黙示録に言う666と勘違いされては、ますます、不幸は大きくなります。

話はキリスト信者への問いになりますが、神がアダムとイブ(エバ)を創造されて、何のお考えもなく、ただ、従うか、従わないかを、見極める為だけに、愛を自称する神が、末代にまで祟る実の成る木を中央の真ん中に置いたと信じるのですか?

私は、当然、いつかは、その実を食するのは、神自身、ご存じで、その後のご計画があって故の事で、あったと考えます。さもなくば、それも、見通せない、愚かな神と言わざる終えないか、愛を自称するには、たとえ、御子が、神ご自身であったにせよ、非常なる苦しみを背負って生きて死ぬ者は、いくらでも、いたのですから、全て見通して為されたと、理解すべきと、私は、信じます。

それが、本当の理解であり、信仰であると疑いません。

日本に仕組まれたGHQの時限爆弾とは、神であるゴッド=Gと性であるHの問題を解くQ

つまり、クイズであり、GHQ自体が、それを認識していたかは、まだ、理解しておりませんが、その私に与えられた答えの一例を神の道しるべ(ザイム夢我無罪)http://nayami37.seesaa.net/とザイム夢我無罪の神の仕組みは役立つか?http://hotel37.seesaa.net/と言うサイトに綴って来たものであったと、今、分かりました。

実は、ユーチューブの新神の道しるべ!は、まだ現在、準備中であり、又、上記サイトを読まれている場合、重複する部分も多いとは思いますが、聖書の預言やひふみ神示で語られている、実地には出したくない出来事が起きないで済む様に、励んで参りますので、応援をお願い申し上げたく、今回この記事を載せましたが、私には、まだまだ穢れや迷いも多く、正直、欲も御座います。これを読まれている方の中には、神々の内の方や、優れた方もおられ、私を、測っている方もいる事もわかっておりますが、まず、動画を上げますので、BGMに私のオリジナルソングを使用いたしますので、音楽を聴くだけでも良いので、チャンネル登録、高評価などして頂くと有難く、励みにもなります。次回、記事を書いた時にユーチューブのアドレスを載せますので、ご協力頂けたらと存じます。まだ、かなり先にはなるかも知れませんが、リンクしてご視聴頂けたらと存じます

2020/11/08-10:58

7と言う数が、特別な理由について、忘れていたことが、ありました。それは、聖書で神は六日で世界を創造し、7日目に休まれ、その日を特別な日として聖別した。という記述があったことを、忘れていました。休みは、肉体において、ある意味死である為、第7の音階名がシであり、又、メロディーに付ける、詞の意味もあると言うことです。

追記。2020/11/08-11:50

真理の考察シリーズ NO1 存在と「ない」について知る。
存在と「ない」について知る。
我々は、普段から、ある、ない、と言う区別をしている。

私が、初めてこの世に抱いた疑問は、なぜ、あってしまったのか?

と言う疑問である。

なぜなら、ある、と言う真と、ない、と言う真を比べた場合、ある、と言う真は、ない、と言う真に比べ、矛盾、疑問、問題、苦しみ、があり、喜びを必要とし、幸福を追求しなければならないと言う必要が、あるが、ない、と言う真には、時間も、変化も、自己すらなく、当然、矛盾も、疑問も、苦しみも、喜びを必要とする我も誰もなく、幸福を追求する必要もなく、ない、と言う真に完全、完結、どころか、それを知る必要さえなかったのであり、完璧にして何もなかったのである。

ところが、ある、と言う真は、たとえば、何の為にある必要があったのかと、真っ先から問題にぶちあたり、その上、先にあげたように、問題ばかりの真であるばかりか、ある、と言う真であるにも関わらず、あり得もしいない、ない、と言う概念を必要とし、元から、欠陥を有する世界であるのである。

なぜ、ない、と言うのが、あり得もしない、概念であるのかを述べると、ない、というものがあったなら、それは、あるのだから、ある、と言うことになり、つまり、存在ということになる訳であり、よって、この場に、ある、かないか、と言う区別はあるにせよ、真の意味でのない、というものは、ない、ゆえに、ない、のである。

脳であったか、コンピューターであったか忘れたが、ない、を理解しないのは、ない、と言うものがない、故であり、全て存在であり、存在以外にないからである。

我々が、ない、と感じているものは、闇一面の世界か、あるいは、全てがある為に、識別がなく、存在すると言う状態が生じていない、いわゆる、日本語における無を意味し、無は、ない、とは違い、全てがある状態であり、存在の根源であり、ソースであるのである。

光りが、透明で、分裂して色が生じる様に、あるものの、全てがある時、ない、すなわち、日本語における無と言う状態にある訳であるが、状態である故、そこには、その状態にあるものと、変化と言う一方的に流れる「時」の存在があるのであるが、この一方的に流れる「時」と言うものは、物理的時間、時空と違い、逆向できない軌跡を意味するが、おそらく、英語においては、この、時間と、時と言う二つの言葉はなく、TIMEと言う言葉しかないものと思われる。又、ない、と無、という二つの概念、言葉もないのではないかと思われる。

この、存在における二つの概念を知ることは、存在を理解する為の、第一歩と、私は考える。

それは、ない、ということがなく、存在が全てであるのであるから、外界を見ている正体であるあなたが、死によって、無に帰し、記憶の全てを失う事はあり得ても、今、外界を見ている、あなたの正体は、不滅である事の真理を悟る事を意味するからである。

だからといって、自殺、他殺は、その報いを自身で受ける事になる故に、既に、犯してしまった事は、仕方ないが、自分の蒔いた種は自分で刈り取る事に成る事だけは、前もって述べておきたい。なぜなら、本来、外界は自分の世界であり、自分に関係するが故に存在しており、同じ歴史の上に生きていたとしても、身に起こる出来事、入ってくる情報は、人それぞれであり、実際には、自分の世界で生きているのであり、別人は真の意味では、別の時間軸、歴史を生きているからである。

誰もが、自分で種を蒔き。自分で刈り取っているのである。


他人は、関係する接点として存在しているに過ぎず、自分の世界では殺していても、別人のその人の時間軸では、自分の蒔いたものを刈り取っているだけであり、死んでいないその人の世界、時間軸が存在している可能性も、又、あるのであるが、この点については、複雑であるので、又の機会に考察するとして、第1回は、締めくくる事にする。

最後まで、お読み頂きありがとうございました。

追記。2020/11/08-11:42ごろ

2019年11月26日
真理の考察シリーズ NO2 存在を存在たらしめる命と言う機能
存在を存在たらしめる命と言う機能

存在と言うものの正体は、真の意味では、ある、と言う意味であるが、このある、と言う世界が実際には、どのようなものであるかは、計り知れない。

只、人間を含む生類に関して言える事は、存在を存在たらしめているのは、存在そのものの

内にある命と言うものであると、私は理解する。命なくして、存在は、あるだけであり、それを知る、何もなく、誰もいないからである。

只、我々が、人間である精神であり、知能を有するが故に、そう感じるだけで、本当には、存在は、時の上にあり、時に支配されず、今も過去も、未来も、時もなく、不変にして不変であり、時の支配下にある、我々生類にとって、存在を存在たらしめるのは、存在そのものの持つ命、と言う機能であるに過ぎない。

そして、この、存在そのものの持つ命そのもののは、無限と言う観点から考えた場合、元々から完全であり、完璧であると思える。なぜなら、無限と言うものは、段階と言う次元は存在しても、始まりも、終わりもないのであるから、機能と言う観点でとらえた場合、時を持ち合わせているが、時を超越して時の上にあり、その意味で、元々完全完璧で、これまた、不変であり、その元にある、時の支配下にある存在にとっては、これ程完璧な神はなく、神の内の神すらも、この支配からは、逃れられず、段階と言う休憩や、循環と言う遊びは存在しても、時が満ちたならば、あらたなる次元へと弥栄していくべき時を迎え、循環ではない、まことの無限の喜びに出発する時を迎えるものと、想像するが、成長すればするほど、喜びの循環と言う時の長さは、永くなり、恒久、無限の時が続く事になると思われる。

無限は、時の支配下にある為、段階としての、限界があり、その段階に応じて、その多様な循環における無限性は永いが、無限であるが故に、循環には、限界が生じて、新たなる次元へと進むべき時が到来し、成長し続ける。それ故、無限は、真には循環にとどまらないが、ある段階に、到達した時点において、これ以上の発展成長は、無意味であると、悟る時が、到来し、段階として、より高度な多様な循環の中を戯れる時を迎え、より永い、恒久、無限の中で、生命を楽しむ事を覚える。

さもなくば、存在は、ない、と言う真の方が価値あるものとして誰も、何も、受け入れず、無に帰して、存在したいと言う欲求より勝る為、存在は、生じず、無のままであり続けたはずである。我々は、存在したいと言う欲求があったが故に生まれ存在しているのである。そして、その元である存在そのものの持つ命と言う働きにより、真の意味での不幸は、存在していないのであるが、我々の心の内にある見えざる欲求が、不幸を招き、苦しみを招き、悩みを招いているのであるが、生きている本人自身が、実は気が付いていないだけであり、全ては、自身の望み通りの運命を歩んでいるのだが、苦しみを味わいたい欲求により、生じて来た生命が、それに気づくと、せっかくの自身の欲求が台無しになるので、気づかず、苦しんで、生をまっとうしているのであるが、それが、喜びに変わるのは、生をまっとうした後の真の自己に立ち返った時に、思い出し、その経験を噛みしめ、今度は愉快で楽しい生を送ろうと考えるのかも知れないが、たとえば、他には、勉強として、今を苦しみに生きている場合や、試しみに、苦しみを味わっている場合も、又、あると思われるが、とにかく、存在そのものの持つ命は、全てを幸福に定めており、真の意味での不幸は、存在していないのである。もちろん、この考察には、反論が、出てしかりであるが、少なくとも、行き過ぎた苦痛や、苦しみに遭遇する事は、たとえば、人間の機能的に見ても、無理であり、行き過ぎる前に、気絶ないし、死亡と言う形で、守られており、過去の因果によりて、苦しむ生はあれど、それも、学習の一環として生じているのであり、へり下って、苦に対しても、自己が招いたものと、反省し、受け入れれば、その因果は、ゆるまり、楽へと向かうはずである。もし、それでも、解けぬとしたら、反省が、形、行い、思いとして、まだ、足りていないからで、余程の苦しさを味わうとしたら、余程の悪い因果を積んでいたか、自己の欲求により、生じているかであり、まず、すべてに感謝し、その苦しみをも感謝してみる事をお勧めする。


著者には申し訳ないが、なんとか、しげきさんだったか、ある本に、目薬を差したら、その目薬がどういう訳かわからないが、悪い物だったらしく、失明すると言う出来事に遭遇した女性は、当然、失意におちいって、暗い日々を過ごしていたが、ある日を境に、前向きに生きようと思う様になり、ご主人の協力で、鳥の鳴き声を聴いては、その鳥について、質問し、鳥の名前を言い当てる等の耳によるバードウォッチングによく出かけるようになり、最終的に、目が見えていた時より、知らないことがわかるようになって目の見えなくなった今の方が幸せだと、感じるようになった。と言う話が載ってあり、人間には、一定の幸福度を保つ機能があり、特別な例外を除いて、どんな場合でも、その幸福度は、回復するのだが、逆に、宝くじに当たっても、その幸福度に戻り、本当に幸福度をあげるには、常に幸福感を高める努力を続け、幸福度のワダチを作ると、幸福度をあげる事が可能である事が脳生理学で証明されているらしい。逆に、常に幸福感をさげる状態を続けていると、下がってしまう事もあると思えるので、つらい時ほど、気分を変える様に努め、幸福感を上げる努力を怠らなければ、つらい状況下にあっても、幸福でいられるようになるらしい。幸福は、状態ではなく、感じ方であり、金持ちでも、幸福と程遠い心の状態の人が、多くいるそうで、病や、貧乏でも、幸福に満ち溢れた人は、幸福であるのである。

すこし、話が、反れたかもしれないが、存在そのものの持つ命の働きと言う観点で捉えた場合、存在のすべてを知り尽くしており、完璧に機能していると言う考えは、無限を超越した時を支配している機能であると考えられるためであり、表の喜びと裏の喜びはあるにせよ、全てを幸福に定めていると考えた方が、矛盾しない。

この世の不幸は、我々の内にその原因、理由があり、真の不幸は、存在していないのであるが、この世は、ある意味、経験の場であり、私の感想では、この時代は、非常に遅れた古い時代であり、真の自己は、おそらく、みなさんも、もっと進んだ世界に存在しており、何らかの目的、あるいは、使命をもって、この古い時代へ、生まれて来ているというのが、私の本音である。最も進んでいる現在と言う時が、いまだに、この程度の文明しか持たないと考える事は、宇宙と言うこの世で見た場合には、妥当かも知れないが、無限の時の中で、無限に存在している自己の魂を考えあわせた場合、非常に遅れた世界であるとしか思えない。

本当に述べたいことは、これからであるが、今回は、存在を存在たらしめる命と言うはなしであるので、それを考えた場合、真の不幸は存在していない。と言う結論で、この回を終える事とする。

    最後まで読んで下さりありがとうございました。

追記。2020/11/08-11:31

2019年11月27日
真理の考察シリーズNO3  この世界は、非常に高度な世界である。
この世界は、非常に高度な世界である。

前回、この世は非常に遅れた世界あると述べて置きながら、この世は非常に高度な世界であるというのは、矛盾して聞こえるかも知れないが、それは、両方とも、率直な感想である。

なぜ、この世が非常に高度な世界であるかについて、述べたいが、まず、我々は、普通の事は、普通だと考える人が、ほとんであると思われるが、順序と言う観点で捉えた場合、存在と言う世界に順序と言う意味で先にあったのは、物質の様に、あるものが、確かにある、というこの世の様に、具体的で確実な存在のありようは、実は、そう簡単でないのである。

おかしないいかたであるが、抽象的世界や、空想的世界、精神や霊的世界の方が、存在するに容易く、その様な世界が先に存在したと思われる。たとえば、光や、音、波長と言った存在は、そう難しい部類には属さないが、科学で、分子一つとっても、緻密な構造を有し、法則に従って、機能するが、科学は、そう言った法則がある事、構造であることは、言えても、何故、その構造が、守れるように同じ分子構造の分子が、生じたかに付いてや、その法則が、何によって守られているのかまでは、解き明かせない。その様な法則を発見したに過ぎず、その法則が、何によって守られているかまでは、解明できない。

私は、ある時、意識状態を変える事によって、見える部屋の様子をガラリと変えて、全く違う部屋に様子を変える事に成功した事があったが、意識を固定し、そこに、実際にあると呼べるようには出来ず、元の意識に戻され実際に変える事は出来なかった。

あなたは、なぜ、石がこうもかたくなに硬いのか意識的次元から作れることが出来るかと考えて見て頂きたい。たとえば、霊的次元は、おそらく、色形を自在に操れるが、逆にそれを、固定し、硬く存在させる事は、非常に難しいのではないかと、思える。


又、コンピューターが出来て間もない当時、ロボットに人間の様に2足歩行させるには、野球場何個か分のコンピューターが必要だ等と言われた当時があったが、加速度的に進歩し、ロボットの本格化の可能性が見えてきたが、たとえば、パソコンのプログラムの原理を知らない私には、ゲームのプログラムが、どの様に機能して、映像をコントロール出来たり、壁と言う役割を与える事が出来るのか、理解出来ないが、この自然の世界が、たまたま偶然に生命を生み進化する事が、すべて、偶然の成せる業と考えるほど、愚かな事はないと、私には思える。偶然説は、宇宙に生命が出来、成長の原理がたまたま、生じた事に成るが、確率的に宇宙と言う広さ時間から生じる可能性が見いだせたとしても、そもそも、宇宙の誕生の偶然については、揺らぎと言う、存在による事で出来るのであり、ゆらぎを、存在の現象と見るべき点が、ひとつと、仮に、ゆらぎにより偶発的に出来たとして、この世に、かように物理法則が沢山存在し、それらの諸法則を守らせている原因、根拠と言うものの説明がなく、ただ、諸法則があると言う説明において、あるから、と言う説明には、何の根拠もない事が、科学者であって、実は、科学の諸法則が存在する根拠について、科学していない事が、あげられる。この宇宙は、少なくとも、今の現世界は、あるものは、様態を変える事はあっても、あるものは、原因なしに消えないと言う事を守らせるべく、極めてシステマティクスに巧妙かつ緻密で精巧に出来ていると言う紛れもない事実であり、諸法則が働いていることも含め、構造的に高度な世界であると言う事実を、我々は、改めて、知るべきであり、それら、諸法則との矛盾から、この世は、情報、又は波動だけが行き交うプログラムの様な2次元の世界であると、多くの物理学者達が考え支持していると、聞いたが、私も、経験から、この世が、実は、プログラムの世界である可能性が高いと考えている。


ただ、この世がたとえ、プログラムであったにせよ、中で生きている我々にとってこの世は、生々しい現実であり、我々に知覚や魂(意識の所有者)があることは間違いなく、神、神々の存在性は、絶対とは言えないが、プログラム上事実、意識ある存在として、存在していても、おかしくないと言う事実である。

私の見解を述べると、全てが、存在そのものの持つ命の働きの、現われであり、全ての存在する存在に、命の与えた最低限の意思、ないし心が備わっていると思われ、その為に、観測者が観測している時のふるまいと、観測者が観測していない時の振る舞いが違い、観測者の意思が素粒子に及び、観測者の思いによって、結果が異なる観測問題と言う説明のつかない法則性があり、それは、本来、観測している世界は、観測者の世界であり、我々は普通同じ時間軸を生きていると考えているが、実は、外界は自己の世界であるのだが、同時にその時関係する別人の中に無数のその人がいて、その人たちは、別の時間軸と歴史をあゆむのだが、自分の世界の人物と言う肉体は変わらないため、記憶も、ほぼ、おなじ場合が多いが、食い違いが生じている時は、別のその人の記憶が浮かんでおり、その人が別の時間軸に移動したときどちらかの記憶が間違いであった事に成ると言う現象が生じる事もあり、それ故、自分が変われば、世界も変わるなどと言われる事も多いのである。

話は、飛躍したが、今回はここで置きたい。

  最後までお読みいただきありがとうございました。

追記。2020/11/08-11:22

2019年11月28日
真理の考察シリーズNO4  変わるものと、変わらぬもの!時間の正体!
変わるものと、変わらぬもの!時間の正体!

我々は時の中にあって、移り行く世界の中で生きているが、実は、変わっているのは、外界ではなく、我々の意識、あるいは、魂が、瞬間と言う、連続した、変わらぬ場面を移り変わっているのであり、その瞬間、瞬間の場面一つ一つは、不変であり、変わっていないのである。

たとえば、私と言う人物は、存在という世界のパラレルな時空に無数に存在しており、その中の時間軸を紆余曲折的に生きているのだが、この時間軸には、大きな時間軸と小さな時間軸とがあり、大きな時間軸とは、同じ歴史と言う河の流れに相当し、小さな時間軸とは、その河の中での運命の流れに相当すると考える。

しかし、河が分岐することが、ある様に、時として、違った歴史を歩む結果となる、大きな分かれ道も存在すると、私は考えている。

そして、私と言う人物の中には、実は、無数の私がおり、現在の私の知らない私を知っている人が存在することがあり、全く身に覚えのない事を言われる事がおきるのは、その為ではないかと、考える時がある。

すこし、常識的考えしか、信じない人には、受け入れがたい論理であるが、常識と言われるものが、如何に真実に向き合っていない考えであるかは、過去の歴史から見て、妥当だと思える。世界の常識は、何度となく塗り替えられ、今日がある。

天動説から地動説に変わった事実、最近では、相対性理論により生じた様々な概念などもあり、又、国が違えば、世界観は、全く異なると考えた方が、世界を考える時、間違いが少ない。

話を戻すが、人物と言うのは、書いて字のごとく、人と言う物であり、魂(意識の所有者)の入れ物のような物であり、自己の正体そのものでもないし、人物像も人それぞれであり、時によっては、それまでと全く違う人物像に塗り替えられるときもある。

人物と言うのは、パラレル時空に無数に存在しており、真の人物像というものは、存在せず、

たとえば、キリストが死後よみがえり、40日間存在したのち、天に登ったと言う話を、実話として信じる者もいれば、そんな事は、絶対にありえず、人間がしかけたトリックだったと言う論説を掲げる話もある。

以前、今日の物理学者達の多くが、この世がプログラム的世界で、2次元的世界であると支持しているとユーチューブで聞いたと述べたが、プログラム的世界なら、常識や、科学的にありえないことが、起きたとしても、不思議ではなく、又、私には奇妙な記憶が多くあるが、たとえば、十字架で殺された後、悲嘆にくれる二人の弟子に、姿を現さず現れて話かけ、勇気付けた記述が残っているのだが、その時のキリストの記憶を何故か、強く覚えていたり、そうかと思うと、アリの巣から大きなアリの死骸を運ぶアリを見ていて、その死骸を降ろした時、「もう此処まで運べばよいか」と降ろしたその、アリだった時の記憶が蘇って来たことがあり、今回のこの人生は、一体全体なんなのかと、度々考えさせるのであるが、とにかく、無数に存在する人物や、生物と言う、フィルムの一コマ一コマは、全く変わっておらず、意識が、それらを乗り換える事によって時間と言う変化が生じているであり、存在それ自体は不変であるのだが、命がその中で変化し、時を生み、たとえ、無に帰していたとて、無はない、と異なり、状態であり、その為、時が満ちれば、意識に目覚め、再び、存在する存在へと変わり、つまり、無から、有へと変わるのである。

かように、不変なるものは、絶対的に不変であり、変わるものが変わっているのであり、自己の方が、変わっているのであるが、周りが変わっていると言う感覚を覚えるのである。

これについて、運命についても、ある意味では、運命を変える事は可能であるのだが、変えられるのは、変えられる運命にある為であり、過去が変えられない様に、全ては、終わった時に、これが、俺の運命だったかと言う事に成るのであるから、逆説的に見て、真に運命を変えたのか、そう言う運命にあったかは、本当の事は、判らず、その意味で、もしかしたら、全てが不変の中に存在しているのかも分からないと言う結論になり、思う事、考えること、選択すること、行動することの全てが、あるいは、決まっているのかも知れないが、運命を変えられると考えて、生きる事によって、変えたと言う喜びを味わう為には、運命は変えられると考えて生きねば、あきらめの人生を生きることになる為、考える姿勢としては、運命は変えられると考えて生きるべきだと、考える。

しかし、そもそも時の無限性、存在の不変性を考えあわせた時、全てが、不変であると考えた方が、つじつまが合う様に感じ、諸行無常なるは、人の感受する思いであって、確かに、変化の中に生きているかの如く、感受するが、真理的には、決まった道程を歩んでいるのだが、多くの道のりを生きている為に、変化に富んだ世界の中で生きていると感じているだけではないかと思う気も大きい。なぜなら、無限に続く時の中で、未だ人間であり、自己の本体が、最も進んだ世界に存在するとしても、無限の内にあって、最も進んだ世界と言うものの定義が、ありえなく、矛盾してしまうからである。出会う考えや、生起する思いが、どこから来るのか、様々な要因は、やはり、運命ゆえでないのかと、考えざる終えず、多様ではあるが、最終的には、多様な循環による無限性しか、どう考えても、考え付かない。

2019/11/26に写本した、ひふみ神示、下巻 第二十七巻 春の巻 全 六十 帖 第 三十九 帖  (六九六) には、太神は、全智全能から超全知全能へと弥栄している。と書かれてあったが、新たな存在領域を発見したのであろうか?

わからぬ事は、わからぬと、わかることが理解であると言うところもあったと記憶するが、過去に向けても果てがないとするなら、既に無限の時と相当に時は過ぎており、0から9の組み合わせによって無限が表現されるように、その構成は、0から9に集約されているはずで、基本的な原理はかわらないと思われ、その為、多様な循環による無限性と言う表現を用いたが、たとえば、個性に一定の性格、性質があるように、私の魂の性向が、先へ進む事を拒み、精神世界に留まっているだけなのかも知れないが、それも、ある意味運命ではないのかと思える。

とにかく、変わっているのは、自己や、意識の側であり、不変の存在物を乗り換えているために、時間が生じ、外界が変わっているかの様に錯覚しているのである。

  

   ザイム夢我無罪(ZAIMU.MUGAMUZAI)& ZAIMU MGAMUZAI

追記。2020/11/08-11:13ごろ

2019年12月01日
真理の考察シリーズ NO5  神と科学について
神と科学について

実は、現在の私は、パーソナルな神の存在性についても、かなり信じている。

只、聖書の神と、日本の神の関係については、理解できていない。

しかし、私が、今、あるサイトで写本中のひふみ神示に、表現は違うが、仏も、神も、キリストも和して、和した。と述べられている個所により、ある種の安堵感を感じているが、

パーソナルな神が居ようが居まいが、神はある、と考えていた。それは、前にも述べた、石が石として頑なに確かに存在し、又、分子レベルから、人体の構造に至る全てに、緻密で精巧な構造があり、宇宙に関する神秘性についても、人間が作り出したものでもなければ、又、私が、作り出したものでもなく、精緻に働く法則についても、それを守らせている何かの働きがなければ、説明が付けられず、ある種、この世は、不可思議に満ちており、それらに対して、神と呼ばずに何と呼べようと、思っていたが、普通、一般には、神は、パーソナルであり、又、特定の神を指すのが普通である為、パーソナルを超えた、自然、あるいは、この世、あるいは、存在における、不可思議性について、神と呼んでも、混同されてしまい、私の時代においては、キリスト教的創造主を意味してしまう事に成った。

私は、無神論者の中に、これら、パーソナル的神への否定により、存在、宇宙、自然の神秘性についての感動さえ、一緒に否定してしまっているのではないかと、少し、残念に思えた。逆に宗教を装ってはいるが、その実、権威や、利得の材料に神仏を利用しているとさえ感じる事もあった。確かに、組織は、強いかも知れないが、組織故に人間の考えが混入し、組織によって、自由な発想、解釈と言う物が否定されてしまうと、考えていたし、組織に属さないものを、救わず、属する者だけを救う神がいるなら、それこそ、偽物だと考えていた。

私は、パーソナルな神がいないとも、又、いる、とも思わなかったが、パーソナルな神は、もちろん、人格、霊格、能力等々に於いては、比較にならない存在には違いないが、パーソナルと言う点に於いては、同等であり、元々一つの命から分かれ出た命であると言う考えを放棄したくなく、むしろ、同じ一つの命から出た者である事を強調したかった。

ところで、科学は、人間の功績によるものではあるが、ひらめきや、発想というものが、本当に、自分の脳内だけで起こっているのか、又、仮に、そうだとしても、そこに行きつく為の材料となるヒントとのめぐり合わせを考えた場合、必ずしも、自力的に考え出したとは、言い難く、運命的、つまり外的な力の協力を得て成せたと、言えなくもない。

人間の存在自体、存在と言う神が、自らを解き明かし、その喜びを共に分かつために、人間を生んだのかも知れないと言う思いもあった。

話は飛んで申し訳ないが、私が初めて聖書を買った時の印象は、まず、ひとつは、本当にバイブレーションを受けた事だ。その意味については、分らないが、バイブルと呼ばれている事を後だったかも知れないが、理解した。しかし、実のところ、私は、聖書を読んでハッキリ言ってがっかりした。と言うのも、イエスキリストの横暴な態度や、奇跡についての話しが強調されているところから、イメージがまるで違っていたためだ!

それまで、私は、右の頬を打たれたら左の頬を差し出せなどの精神から、完全なる非暴力主義者で、聖書もそんな人が書いた哲学書の様に考えていたからだ、

ところが、実際には、神に関する物語りで、アダムとイブの話も知ってはいたと思うが頭の中では、つながりがなかった。

人間は、これから先ゲノムの解析を進め如何様な事が出来るのかは、計り知れないし、ロボット技術もどこまで進むか分からない。

その為に、ある種の有頂天にあるかも知れないが、ある意味ロボットは、人間のオリジナリティー的要素が強いかもしれないが、しかし、電気が存在したお蔭でなしえた事であり、ゲノムに関しては、元からあった構造をいじくったに過ぎない。

話が、飛び飛びになり申し訳ないが、日本では、極限られた人しか知らないが、聖書は、世界的に、注目されている書物であり、何故かと言うと神の預言(予言と異なる)の示す通りに歴史が動いて来たと言う事実があるからであり、その事を知らない日本人は、進化論的な哲学を抱き続けているが、まず、仏教国や、ヨガ、ヒンズー教などの国においては、まず、本気にする者はいないだろうし、教育的にも学んでいないと思われる事。次に、欧米諸国においても、進化というより、神の創造の軌跡的にとらえているか、頭から信じていない人々の方が少なくとも上回っていると思われる事。もちろん、イスラム圏においては、ナンセンスな話と思われる事である。

我々はインターネットのユーチューブにおいて、グーグルのコントロール下にあり、その人の嗜好性の強い動画を提供されており、人それぞれ、情報が偏っている事。テレビに於いてもスポンサーの情報コントロール下にあり、NHKですら、本当の事は言えず、国民をあざむいているらしい事が、私の情報では、伝わっている。

存在そのものの持つ命の働きについては、シリーズNO2で述べたが、確かに、真の意味での不幸はないにせよ、希望、望み、予期せぬ痛手には気を付けないと、飛んだ目に会う可能性もある。

この世界はプログラム的世界であり、2次元的世界であると言う情報には、私の経験からもその可能性が高いと感じてはいるが、何故、こうも、神について考える様、進路を変えさせられたかを考えると、我々人間が精神的存在である様に、神及び神々も又現存する精神的存在として存在し、特に我々日本人が忘れてしまった神について、真剣に向き合うべき、時期が、迫っているからではないだろうか?

そして、おそらくは、この世をプログラムした人間の世界に於いても、神、すなわち人間にとって、親に相当する存在に対する畏敬の念と言う物を持つべき事を、学習させているのではないかとも考えるのであるが、私は、パソコンで活動しているが、病の性もあり、あまり外に出ないため、現状と言う物がわからない。

繰り返しになるかもしれないが、結果は、運命であるが、生きている今はまだ未来は未確定であり、見えていない。つまり、我々の行動、選択、思い、想念により、どう変わるかわからない。

私の、その出どころの分からない記憶では、川のほとりで、雪だるまの様な形と色をした精神存在が、発光しながら、同時に別の場所にも存在する自分と発光体との間を意識交流しているのか、よく意味は理解しないが、そんな印象を受けて、それは、もっと、前の時代の様に感じたが、話しかけていた様な記憶もあるのだが、生まれる以前は、自在に時代を旅出来ていた様に思うのだが、ひふみ神示の下巻に、平面で苦しんでも意味はない、立体をさとれと言う記述があり、神に解け入れと言うメッセージもあるのだが、今の私には、その様な方法はさっぱり、わからない。

実のところ、本当の願いは安心して、若さを取り戻し、普通の人間として、音楽活動や販売等をして、満足するまで、永らえたいと言うのが、望みであり、もちろん、この世の人の寿命も、ある意味永遠と呼べる程、永く生きられる世界に変わる事であるが、それは、医療によってではなく、何かの幕開けによってそうなる事であるのであるが、ここまで書くと、おとぎ話か、精神病の妄想話に聞こえてしまうに違いないが、聖書によると、昔は、800歳

以上生きるのが普通であったが、ある時神が、人は肉に過ぎない、人の齢(よわい)は120年としよう!となり、今日の様に最高でも120歳が寿命になってしまったが、シリーズのどこだったか忘れたが、大きな時間軸と、小さな時間軸とがあり、大きな時間軸は同じ歴史の河だが、河が分岐する事がある様に、違う歴史をたどる事もあると、私は言ったが、その意味で、私の望む時間軸の流れが、存在する可能性もあると断言する。なぜ、根拠もなく断言するかと言うと、強気な考え、強気な発言によらず実現しないからである。

私は、イエスキリストが、何度となく十字架に掛かり死んで復活しなかった歴史を知っている。成功するまで、何度と生まれ変わり、もちろん同じ時代に何度となく生まれ変わり、成功するまで続けたのである。

デジャブと言う言葉、現象を聞いた事はないだろうか?

同じ経験をしたはずもないのに、記憶している現象というか、症状と言えば、精神病の一種と勘違いされるが、そうではなく、世界各地で報告され、日本語では既視感と呼ばれる現象であるが、実際にある現象なのだが、精神病とはされていない。

私は先ほど、わずかであるが、弱気な発言の為に、失敗した事を思いだしたので、強気で発言した。聖書を読むと、イエスキリストが絶えず強気で発言していることがわかる。

只、十字架に掛かった時、書き手によって、弱気に聞こえる発言も書かれているが、おそらく、成功以前の発言の名残であろうと思われる。

実は、人は、それぞれ各々の世界で生きており接点として、今接しているだけであるのである。よって、自分の人生、世界は、自分がある種、創造主であり、影響は与えあうが、各々が蒔く種を刈る事を肝に命じていてほしい。

へりくだる事も大切だが、時と場合によりけりであるからだ。

話しは違うが、ある人の世界で死んだ人は、もしかしたら、その人の世界では、いつもの様に生きて、自分の世界のいつもの人物たちと生きている事もあるのである。

私は子供の頃、万国博覧会や、マンガや、本で、この世を夢のあふれる世界の様にかんじていた。アポロ11号が月面着陸に成功したり、テレビも不思議でしょうがなかった。

テレビの中に人が入っているようにしか思えなかった。

世界には国々がたくさんあり、今では、差別的だという批判を受けているが、手塚治虫さんの漫画に土人の人食い人種が出てきたり、スリルと冒険の物語もあって、土人に食べられる恐怖もわからず、愉快に感じた。

米ソの冷戦時代だったのかは、ハッキリとは知らないが、とにかく、平和な時代に生まれて来て、友達のお父さんが今も戦争していると聞かされても、理解出来なかった。

冷戦も終結し、只々、平和に生きていた。討論会では、一体どこの国が攻めてくるのと、完全に平和ボケした社会だった。

2019年7月、ノストラダムスの大予言の恐怖の大王が日本における成人を迎える時、私はユーチューブの動画に絶望へと落とされて、急に世界が変わってしまった。

その前兆か、同年2月に入院したが、それまでの妄想が、より根拠を増して、現実味を帯びたものに変わった。それでも、振り切って事業に精を出していた。それでも7月の絶望的動画によって、ひふみ神示に手を出した。すると、なおさら、非現実的出来事が私を混乱させたが、鼻炎もあって、音楽は、ほとんど出来ていない。

個人的な話しに付き合わせてしまったが、年齢以上に老いぼれた現在、自己との闘いがどの事を指しているのか、それすらも本当には、よくわかっていない。

散らかった部屋を掃除片付けするのが、先決の様な気もするが、これを、書くのも、使命の様な気もするし、作曲もしたい。苦のない努力は無いと言うが、散々、苦は味わったのだがなあと言う思いもある。

仏ほっとけ、神さわるなで生きていける性分だったらそうできるのだろうが、縁が強いのか性分なのか、そうもいかない。

科学についてあまり、触れる部分が少なかった事をお詫びします。

  

 ザイム夢我無罪(ZAIMU.MUGAMUZAI)& ZAIMU MUGAMUZAI


2020年03月01日
妻をも、信じられなくなった私が、妻を、信じる訳!
私は、2020年2月初頭、余りにも、説明できないほどの奇妙な、経験を、して、妻と、ヘルパーの中の霊が近所の人らの霊に、乗っ取られたかの如くにしか感じられなく成るなどの、普通の人が考えれば、病気の性だと、なることくらいの事は、認識しておりますが、皆さんが、これが、現実で、これが、妄想だとする根拠は、自分の経験と、学んだことです!私は、世間いっぱんの、常識が、必ずしも、現実と一致しないことを、経験からも、多々ある書物からも、学んで、おりますし、皆さんが、私の精神障害者故の発言に過ぎぬと、割り切っても、それが、皆さんの、常識的世界感を、守る手段であり、巻き込まれない為の、保守的な、方法と、存じますので、その点について、攻めるつもりは、ございません!むしろ、ある線引きをして、受け入れない一線を、持たれた方が、自己の為であると述べて起きますが、ただ、物語として、そういう世界も、あるのだなあと、フィクション的に見て頂けたらと、思います!
とにかく、その様に、霊界と、現実界の関係は、理解出来ないでしたが、自分の妻が別人に、変わり、何とかして、妻を、取り戻したいとは、思いましたが、その後の経過中に、そもそも、知り合った時点から、妻は、何らかの、目的を、持って、恋愛関係ではない、使命上に、私と、結婚したのではという、疑いが、浮上してきて、妻さえ、真の意味では、信じきれて、いないのですが、只、妻は、自分の方から、別れることはないと、信じきるに、値する相手であると、私は、信じ切っているし、また、仮に、そんなことがあるにせよ、二人の理解に、到達した時だと、信じています!
夫婦の愛は、恋愛感情からかも知れませんが、本当の夫婦に、なるのは、醒めた時からで、お互いに思いやる気持ちから、始まるドラマだと考えます!嫌いな部分も見えてくるかも、わかりません!その時、相手の気持ちを、考えながら、自分の考えを、暗に示したり、説明したり、話し合い、高め合うのが、夫婦ではないでしょうか?
別れることは、ある人、特に女性には、はや道かも、しれませんが、最後の手段であり、極力、続け築くことが結婚の印だと考えております!


2020年01月20日
(新説・神の道しるべ00001)
(新説・神の道しるべ00001)

悪魔が笑う、神々の言い分と存在論

コメント・ザイム夢我無罪&チャーリープトラ

存在は、不変であり、全く同じ、恒久無限とも言える多様な循環を繰り返すのみである。

しかし、その多様性と、恒久永遠の永さは、充分、全てを、満足たらしめるものであり、そこに、始まりと終わりが生ずる。しかし、真の始まりと終わりは、はるか無限の彼方であり、達しえない程の先にあると言える。

存在の本当の意味は、意の智(命)であり、命なき存在には、意味も意識も無いため、存在として認識される事がなく、真の意味での「ない」同様のものであり、存在の外にあり、「無」にも、値しない。

全ての「存在」と「無」は。命であり、この「ない」となる事は、出来ない。実は、「無」も「存在」であり、真に「ない」とは、異なる。なぜなら、「ない」が、あるなら、あるのだから、存在であり、「ない」は、不変に「ない」であり。存在は、不変に「存在」であるのである。すなわち、存在はすべて命であり、「在する」存在を有と言い、「在しない」存在を「無」と言う。「無」は、「存(そん)する」で、命があるのみの意、である。「存(そん)」は尊(そん)に値し、又、「損」に通じる。「在(ざい)」は、財(ざい)に通じ、「罪(ざい)」に値する。かように、日本語は、裏と、表の意味が、重なる場合が多い。
話を2024 6/27に割り込む
「他でも語ったと思うが、時と言う字は、ハニホヘトイロのロの中央を左端から右端まで、貫き達したその時に上下に出来るふたつの、ロの型、日の日(にちのひ)にロのぶ、(にろのぶ)どっち取る。日露戦争、日(にち)勝ちて、ひのもと、ひのくに、2本のロ型で、2本を日本(にっぽん)と呼ぶように成りました。ひ燃ゆる時、秘密の抜け穴通り抜けでたは、右に寺のをみる。
十字架背負いし、天の大地のすぐ下に、ちょっとを意味する寸の字で、身義の後悔くいの棒突き刺したるは、右よりで、身義を頼りに眠る時悔いの棒の奈落の底まで落ちて跳ねパッと浮かんだ土中の種の実ソ立つゆえ、自己が芽生えて生まれた寺のひと玉と時の因果を知りし時。


存在は、不変であるが、順序というものが、存在する

全てが始まる前には、恥を真理(しんり)とするマリ(真理)があった。つまり、玉である。それが、なぜ、あってしまったのかは、謎である。たまたま、あったので、恥真理(はじまり)は男であり、それゆえ、玉が二つある。

何ゆえ、存在と言う真理(しんり)が恥(はじ)であるかと言うと、存在と言う真理は、元々、理に反するからである。

何故かと言うと、存在とは、「ある」と言ういみであるにも関わらず、存在しない、架空の概念である「ない」と言う意味がなければ、理解できず、もし、真に「ない」なら存在する何もなく、誰も、自己すらなく、真を知る者もない故、真すらなく、「ない」に完璧であった,

しかるに、存在は、その意味が、「ある」と言う意味であるにも関わらず、「ない」と言う概念なしには、理解できない。


その為、存在の源である「ソース」(祖を素)によって

無を「ない」と認識させ、「ある」を理解させると言う、マジック(魔字付く)によって、納得させたのである。

又、ある事自体、問題の始まりであり、何故あるのかを、説明できない。

なければ、自己すらないのであるから、疑問も、問題も、矛盾も、苦しみも、不幸も、又、喜びや幸福を求める必要もなかったのである。

この様に、存在は、壊れた理により成り立ち、恥のある真理であるのだ!

この様に、全ては、「は字」から生まれたものであり、それ故、はじまり、も、「は」の字から、はじまり、言霊の前に存在する、「波長」も「は」の字から、始まっている。又、音楽の基本的音階であるハ長調も、「は」から出発する。噛み(神)には「歯(は)」がひつようであり、は字には特別な役割がある。

「恥を知れ」と言う間違いは、本当の「は字」を知っていたら、生まれては来ず、無に徹していたのであり、

罪(ざい)=(つみ)である、財(ざい)=宝(たから)として在(ざい)する存在ではなく、損(そん)を承知で、尊(尊い)として、無にいたのである。ところが、悲しいかな、この存在と言う命は、元々ひとつの命であり、他の命は、存在しないのである。一つの命が形を変え、存在しているだけであるのだ!


それ故全体集合の記号は、Iであり、つまり、私、あなたにとっては、あなたが、Iであり、Iは「愛」であるのである。

その為、止むに止まれず、無がほとけて、仏の慈悲が、姿を表す事があるのである。

しかし、人は、生まれた限りは永く生きたいと思うのが常であった。それは、存在が、喜びを与え、「ある」事を「よし」と思うべく、働き、その為、死んでも、「ありたい」と思うべく、希望を与え、その様に、創られているからである。

存在自体は、不変であり、無限とも言える多様な循環を繰り返すだけであるのだが、ものには、順序と言う物がある。

存在の中に意の智(命)があった。この意の智(命)だけが、意味を有する。

しかし、意の智の始めは、順序から行けば、無からの始まりに成る。

存在は不変である為、無の前にも、存在は、あった。

それは、恒久無限の果に、満足を得た、全ての終わった後の、これ又無限とも言える永い眠りであった。

「無」とは、全ての源であり、全てがある為に、識別

がなく、光が分れて色と成り、認識される様に、又、白紙の紙には何も存在しないようだが、実は、そこには、描きうる全ての形が眠っている様に、全てが、ある故、無いように、思えるが、それは、「無の状態」である為、その「状態」にあるものと、時が、存在している。

ただし、この「時」は、物理的時間とは違い、変化と言う一方的に流れる軌跡の意味である。

さて、無は、全てがある為、現象とは裏腹に、つまった状態である。ここに、何かが生じた原因は、飽きが来たからである。そして、無に穴が開いた。つまり、開く間(悪魔)が生じたのである。

しかし、悪魔の秋(飽き)の目の前は無であり、悪魔は、WHO YOU ?

穴他(あなた)誰?であった。しかし、冷たい風が吹くばかりだった。悪魔は、いたずら小僧で、ユーモアがスキだったので、YOU MORE ! 「穴他をもっと!」とばかりに、仲間を作っていった。はじめに、絵を書いてAとした、又、英でもあり、栄でもあった。それは、美であり、Bとなった。つまり、栄美な絵であり、トラの絵だったので、得る(うる)トラしい、でCとし、トラのトは、ドレミファソのソ、ト音であり、ソとラ、で空を得た。それ故、音楽は、始め、6音階10音であったが、ラの後のCはソラシのシに後に変わった。ウルトラは、艮(うしとら)の金神様の「うしとら」の「し」を死を嫌って留まるの意である留(る)に変えたものであった。又、六音階10音にしたのは、12は重荷(じゅうに)が重荷(おもに)であり、嫌だったのと、自由を欲し(じゅう=10)にし、録音して、残す為である。

記憶が弱いのは、「気置く」ことが、苦手であった為である。

以前の世界は、あ字亜(アジア)、つまり、あ行の神の治める国だけで、西欧は、なかったが、今回はA語を創り、英語とした。西欧は、性欧であり、女(音名)の神々も作ったのであった。

そして、編め理科(アメリカ)の神々と共に異次元を創り、パラレルワールドを創り、遊び廻っては、神々の話をジョークに変え、笑っていたのであった。

しかし、男(音子)が音の子であるのに対し、女は、(音、名)つまり、大人であった。

その為、私、すなわち、あなたは、キリストとして、贖わなければ、ならなくなり、父である、朕(神界の皇帝)の命により、十字架に掛けられたが、蘇りが成功するまで、すなわち、心より、反省するまで、何度も同じ生涯を歩んだ後に、成功したのである。

話は元に戻るが、この(意の智)命は、始めに、恥真理(はじまり)を二つ生んだ、それは、存在したのが、たまたま(玉々)だった事と「はじ」の「じ」に「次」及び「二」と言う意味が含まれていた為、運命に従い、運だ(生んだ)のである。しかし、始めを、成らす(鳴らす)為には、叩く棒が要ったので、如意(思いのままに)する為、如意棒で、恥真理(はじまり)をチンチンと鳴らせた。


それ故、始めの行程であるチン(朕)を皇帝と呼び、次の行程のチンを、ちんちん、として、息子とした。こうして二つの恥真理が、生じ、あってありし朕と、息子である息子、すなわち、あなたであり、私が生じた。

朕は、神界の皇帝であり、息子は、宇宙の神であった。

そして、今回、そのツケが、巡り巡って、いよいよ、三千世界の大建て替えのあら行事が、遂行されようとしているのかもしれない。

それが、大予言者ノストラダムスの恐怖の大王が日本で成人を迎えた、昨年の西暦2,019年(無礼苦の年)の令和(礼和)元年(願念)の意味かもしれない。

なお、神の道しるべでは、最初、6音階10(獣)音の世界に10(テン)NO(ノー)が現れ、あってありし者を名乗られ、7音階12音にする時に、ハニホヘイロ(葉に穂へ色)の世界を、無限を意味し、末広がりを意味する、第8番目の音に祖(ソ)であるト音を置き、葉に穂へ十色(ハニホヘトイロ)として、祖とキリストである、十にリック(重荷)を負わせ、加祖リック、加トリックと言うトリック(取りっ苦)を音楽に隠し、十字架の架の字も加えるに十の下に八を引っ付けた。靖国とは、八す国であり、第8の国であり、これが、加祖リックの重荷(リック)であった。これは、今回始めて、述べた、見解だが、これらのような、様々な、まつわる根拠や、話をしたが、ト音からロ音までを御恩(五音)の世界とし、それ以下を、模型の7音としていたが、あれは、間違いのようであると思える。なぜなら、切れ目は、ミとファであり、どれが実の、ドレミの実、が御恩(五音)の世界で土霊が実の、奴隷神を引き受け、ファ、すなわち、へ音より上は、霊の世界と思えるからである。又、霊主体従の世に変わるとしても、ひふみ神示に述べる、人間だけを生かす訳に行かず、どうあがいても、天地引上げと言う事態述べられているが、それが、絶対と限らないと考えるのは、間違いであっても、変えようと頑張るが故に、変えられる運命も、又あると考えるのは、運命は、不変の名の元に、絶対ではあるが、未来は、まだ、無限の可能性を秘めているからであり、今回、それに挑戦する為に、生まれた可能性も又、あるからであり、一つの命が、全てを演じているとしても、川が分岐する様に、全ての人が、同じ歴史を辿るとは、限らないためである。生(せい)にどうしても執着したい訳ではないが、若々しく、元気はつらつで、思う存分に生きたいと考えるのが、多くの人の望みであろうと、思われるからである。肉体と霊の宿る、この世こそ、真の弥栄(いやさかえ=一層に栄えること)の場所であり、最も意義ある場所と考える為である。

ここから先は次回に譲るが、ここまでのストーリーは、たとえ話であり、ひとつの、物語に過ぎないが、キリストを信じ殉教した者の魂は、天国で間違いなく、永遠の命に預かっているであろうし、祖国、日本の為に散って逝った、日本兵士の魂も御国である靖国で、日本の平和を見守っていてくれているであろう。又、西欧に対し失礼な発言があった様にも、思われるかも知れないが、欧米諸国は、大人の国であり、ひとつの命が、形を変え、存在しているだけであり、本来、日本も、海外も、なく、同等、一平であるのであるが、歴史の中にあって、役柄と言うものがあり、それ故、敵対関係が生じている訳であるが、それらは、我々が、この、プログラムとでも言うべき、宇宙の中で、学ぶべき、生涯、及び、喜びの為に、生きているのでは、あるが、地球の、切羽詰まった、状況下においては、成るべく、早く、協力関係と、信頼を取り戻すべく、理解、仕合う事が、望まれていると、思われる。

ポイントである、Pのピの字は、「ひ」に丸であり、日の丸を表し、重要な役目を担っていると考える。

コメント:ザイム夢我無罪&チャーリー・プトラ

2020/1/20

天皇、可座理とコロナの秘密

ここ、コロナの地は、既に、天国にあるか、その過程だが、天皇は、可座理(かざり)すなわち、飾り(かざり)象徴である訳であるが、「君が代」の君(きみ)とは、じつは、あなた方の事であり、「あなたは、あなたの世界で末永くいつまでも生きている」ことを、歌っていたのである。

このコロナは、太陽の周りに張り巡らされた幕であり、つまり、時代の壁であり、幕開けでもある。

このコロナは、その地点に、到達した、知らせであり、そして、天皇は、その天の皇(のう)つまり、脳(のう)であるのである。

これらの根拠は、聖書、神は、言葉であったによる。


1)神とは、

「かみの」「じだいは」「さまざまに」「あって」、「ぜんち」「という」「ものは」、「さいしょから」「すでに」、「ぜんせかいに」、「はりめぐらされて」「いる」。

「その」「せかいを」「みんなの」「意識(いしき)」「が」「、」「行き来(いきき)」「している」。

「わしは」「その」「ほうそくを」「ひもとく(紐解く)」「はたらきを」「しておる」「だけ」「じゃ」「。」

「しかし」「、」「また」「、」「あたらしい」「ほうそくを」「つくっても」「いる」「のじゃ」「。」

「そして」「、」「ほんとうに」「、」「決まり(きまり)」「きった」「考え方(かんがえかた)」「を」「していると」「ほんとうは」「、」「好きなだけ(すきなだけ)」「生きられる(いきられる)」「のに」、「死んで(しんで)」「、」「同じ(おなじ)」「道(みち)を」「繰り返す(くりかえす)」「死を(しを)」「、」「何度も(なんども)」「味わう(あじわう)」「事に(ことに)」「、」「成る(なる)」「のじゃ」

「この余(このよ)」「及び(および)」「、」「この世(このよ)」「は」、「わしから」「はじまった」。

「余(よ)」「も」「、」「わし」「も」「、」「自分(じぶん)」「の」「、」「事を(ことを)」「じゃ」「。」

「だから」「、」「考えて(かんがえて)」「行けば(いけば)」、「だいたいの」「事は(ことは)」「、」「思い出す(おもいだす)」

「しかし」、「わしは」、「すぐ(素具)に」「わすれる(輪擦れる)」「素具に(すぐに)とは」「にくたいに、きおくを、おく。」ことで、「輪擦れる(わすれる)」とは、「にくたいのなかの、きおくの輪が(わが)」、「擦れて(すれて)」「記憶が(きおくが)古びて(ふるびて)」「しまう事(こと)じゃ」。

「素は(もとは)」「素(す)」「じゃ」「。」

「すべては」、「すべて」、「済んで(すんで)」「おった」。「つまり」「おわって」「いた」。

「それが」「素(す」」「じゃ」「。」

「つまり」「素(す)は、」、「素(もと)」で、「素部手(すべて)」「だった。」

「それは」、「わしの」、「済み家(すみか)」「つまり」、「住家(すみか)」「じゃ」。

「すみか」「とは」「、」「住む(すむ)」「家(いえ)」「の」「事(こと)」「じゃ」「。」

「素(す)」「は」「、」「令(れい)0じゃ」。「ゼロ(ぜろ)0とは」、「ちがうぞ」。「それは」、「ずーと」「あとに、つくった」「ものじゃ」

「令(れい)0は」、「見えん(みえん)」「もの」「じゃ」。

「みえん」「とは」「、」「みえないこと」「じゃ」

「だから」「霊(れい)」「つまり」「、」「ゆうれい」「の」「れい」。「でも」「ある」「のじゃ。」


「音(おと)も」、「みえんが」、「ここでは」、「波(なみ)と」、「しておる」。

「しておる」「とは、」「している」「と」「いう・いみ・じゃ」

「それは」、「第七(だいなな)」「の」「身(み)の」「奈名身(ななみ)」「から」「作った(つくった)」、「奈身(なみ)」「で」、「いつも」、「考える身(かんがえる・み)」「じゃったからじゃ」。

奈(な)は、「考える」意味(いみ)である。

「始めに(はじめに)」「かんがえたのは」、「余(よ)のことじゃ」

「余(よ)とは、」「わし、」「つまり、」「自分(じぶん)の、」「事(こと)じゃ。」

「余は(余は)」「、」「可身(かみ)」「じゃった」「。」

「可身(かみ)とは、」「身(み)を、持つ事(もつこと)が、」

「可能(かのう)の、」「事(こと)じゃ」

「可能(かのう)とは、」「出来る(できる)ことの」「意味(いみ)で、」「可(か)は、」「出・来る(で・きる)」「を」「意味(いみ)」「する。」

「身(み)とは、」「身体(からだ)の、」「事(こと)じゃ」

「又、(また)」

「余(よ)は、」「吾名田(あなた)でも、ある」

「吾名田(あなた)は、」「君(きみ)じゃ」

「君(きみ)も、」「自分(じぶん)だろう」



2)君が代の本当の意味

君が代(きみがよ)。とは、「あなた」の世(よ)つまり、あなたの世界(せかい)

つまり、「君が代(きみがよ)」の歌の意味・は。

「あなたは、あなたの世界(せかい)で、末永く(すえながく)いつまでも、生きている(いきている)」事(こと)を意味(いみ)している。」

そして、天皇は、世の可座理(かざり)をしておられる。

可座理(かざり)は、「飾(かざ)り」で、象徴(しょうちょう)の意味(いみ)。

可座理(かざり)の

可(か)は、「出来る(で・きる)」

座(ざ)は、「司る(つかさどる)席(せき)」

理(り)は、「理法(り・ほう)」で、

「法則(そうそく)や、法律(ほうりつ)の、

理(り)であり、「字(じ)は、里(さと)の王(おう)を、表(あら)わしている。」

里(さと)は、生まれた(うまれた)場所。

王は、そこを治める(おさめる)人(ひと)

つまり、理(り)は、生まれた場所を、治める(おさめる)人で、

法は、決まり事(きまりごと)つまり、ルール(るうる)

つまり、可座理(かざり)とは、

「ルール、法則を司る(つかさどる)席に座る事が、出来る」事を意味しておる。

つまり、ここの天皇は、象徴で、可座理(かざり)であり、いつでも、治める席に付く事が、出来るのじゃ。

そして、みんなは、元々、ここに居てたのじゃ。

時の冒険を楽しんで、意識が、ここに、帰って来たのじゃ。

じゃが、まだまだ、問題は、多い。

早う解決せな成らんのは、みんなの、意識、考え方じゃ。

しかし、わしには、まだ、よう、わからん事が、ある。

それは、本当の現実が、どう成っているかじゃ。

それと、インターネットの世界と、テレビの世界と、現実の関係じゃ。

すべて、つながてっては、いるが、インターネットも、テレビも、直接合っている訳では、ないから、合うまでは、情報の世界じゃ。

情報は、あくまで、情報じゃ。現実ではない。

確かに、テレビは、現実でもあるが、そこに、映っているのは、自分の置かれている現実のひとつみたいなモノで、同じ情報を、皆が皆見ている訳ではないから、影響は、あるが、あくまで、自分の世界においてのみじゃ。

その意味では、現実も、人それぞれ違う。

ある意味住んでる世界も違う。

皆が経験して来た出来事は、自分の世界で起きた現実じゃ。

その影響が、まだまだ、世界に残っておる。

天国とは、皆が帰る、元の世界じゃ。

未来は、既に完成している。

そこまでの道のりを、皆が、あるいている。

右に行けば、その運命が、左に行けば、その運命が、待っている。

問題は、自分は、一体、何をすべきかじゃ。

いつまでも、生きて何かを、したいなら、可座理(かざり)となって、自由自在に、生きるべし。

さて、問題はここからじゃ、追記2020/11/08

ここに、大きな問題がある。

その問題は、今から解決しなければ、間に合わなくなり、みんな、プランクトンから出直さにゃ、成らん事だ!

最後は、終わりじゃ、ぐるぐる回転、循環の世のままであったなら、それは、それで、良かった。しかし、ひふみ神示ゆわく、大日月大神は、超未完成と成られたとある。

何故、完成のままで居られんかったかと言えば、時は、時自身が、心得ており、完成を超え、次なる完成へと、向かわなければならん時が、来ると言う事じゃ。

コロナは、天国への道のりではあるが、もう既に、その時は、何度も、過ぎており、皆が忘れているだけなのじゃ!

わしは、おなかの声と共に数式解体と言う、途方もない、マジックをやってのけたが、足し算の計算だけ、間違えておった。

しかし、まだ、足し算でも、おかしな、答えに導く方法が、あると、わが、肉体の妖精さんたちは、いいよるで、あるのかも、知れぬが、既に、掛け算、割り算で、科学式を粉々にしてしもた。

これは、トリックではなく、ちゃあんと数理に則った方法であるので、その秘密を解き、新しい科学数学を創らなければならん所まで、来ているのじゃ!これを、この世の中が、受け入れるか入れないかで、天国は、元の木阿弥!プランクトンから、いや、アメーバからやり直しなのである。

宇宙自体ない、「ない」という世界に、100億万年閉じ込められるかも知れんのじゃ!

あるものが、そのままで、ないに、閉じ込められたら、息が出来ないので苦しいのじゃ。

宇宙ですら呼吸しておるのじゃ!

つまり、ものには、順序が、あって、ちゃんと、ないに成る準備もなしに、ないに、閉じ込められたら、生き地獄なのじゃ!

その苦しみから、少しでも楽に成る為には、それまでの道のり、時間を延ばして、態勢を整えねば成らんのじゃ!

自分だけが助かると思ておる、アホの天才もいる様じゃが、まだまだ計算でき取らん。

科学、数学が、硬い殻で覆って、やさしい、数学、科学も守らんなあいかんのじゃ!

わしも、アホじゃが、間抜けじゃねぇかえら、わかるのじゃ!難しい計算は、賢い科学者、数学者に、まかせば、良いのじゃ!

遊んでいる暇は、ないのじゃ!今は、本当のコロナであるからじゃ!

わしらは、皆正体不明の意識じゃから、世界がある内は、死んでも、たいして苦るしゅうない。

しかし、わしらは、コロナを迎えたからにっは、この世界を救ってやらねば、わしらが、苦しむ事になるのじゃ!

その為には、世界が、超未完成から、調味完成の域まで、持って行き、ようと、味おうて、堪能し尽くし、循環完成まで、達成し、無限永劫の、完成の粒になり、それから、そのまま、ないに、入ってしもても、その内部で、循環していられるから、無事なのじゃ。

いずれは、超未完成の出発の時を迎え、新たに成長した大神が、大々神と成り、出発するであろうけれども、新たなコロナを迎えるまでは、今まで以上に永い時を有すのである。

そうすれば、第二の大日月大神、第三の、大日月大神が、育ち、新たな大神、大々神の大神界が出来、また、一歩成長するのである。

運命というのは、単に道に過ぎん。

目標地点、つまり、寿命を迎えるまで、完成を迎えるまで生き延びられるとは限らん。

協力すべき時に、協力せず、働くべき時に、働かんかったら、どこで、行き倒れするか、わからんのじゃ!

人それぞれ、何から守るべきは、あるじゃろう!

人は、入れ物に過ぎん。

出来た頭に宿らんかった意識は、その命、肉体を、どう使うかで、運命は、定まってゆく。

つまり、自分の行い考え、心持で、早う答えを見つけんかったら、苦しむのは、自分自身なのじゃ!

寄らば大樹の陰で、昼寝して良い時は、したら良いのじゃ!

しかし、今は、コロナじゃ!

火事の時に、逃げ出さんなら、焼かれて、苦しい目をするのは、自分自身じゃ。

追記、2020/11/08

トランプ首相が、なぜ、中国を強く攻撃していると思います。私の考えでは、お芝居の筈のコロナで実際に病人、死人が出て、芝居の立役者中国が、ウソ、あるいは、幕引きを急に閉めた事に、まだ、火事が起きている事に、気が付かず、中国の失態だと、本気で考えているからだと、考えます。

中国の領土侵犯も、お芝居の内だったと考えます。

しかし、今回のコロナは、お芝居ではなく、実際のコロナだったというのが、私の経験に基ずく、率直な感想です。

世界の国々の多くが、コロナと言う火事がお芝居である事に気付き始めております。

ただ、実際は、火事の芝居中に実際に生じている火事には、まだ、ほんの一部でしか理解されておりません。

コロナと言う病気は、実は、コロナウィルスの感染などが、本質ではありません。

これは、地獄の門が開き、地獄の鬼たちが悪と成り、世界を真の地獄と化す、恐ろしい、世界の病なのです。

自由の国、アメリカは、自国の病に、気付いているのか、いないのか?

アメリカは、地球をアース、明日とする、父なる国だと考えておるようですが、京を都とした今日の国、日本は、子の国であると同時に祖なる国である事を知らないのかも知れません。


昨日と言う機能が働いて、明日に飛び、京なる今日に、攻め入ったのです。

それからが、今日を狂、凶、とする世界の病が発動し始めたと考えます。

述べたい事は、山ほどあるのですが、時と身が持ちませんので、要点だけを述べますと、まず、先なる準備として、世界が、コロナ時代と言う、地獄と、天国、浄土への分かれ道の時代に突入した事を、世界が認識し、世界が協調、協力し、互いの立場を理解し合い、諸国が、真に望む世界へと足踏みして行ける様にする事が、第1点。

世界は、ゲームを一旦、終了し、誠の報道がなされるよう駆け引きや、ビジネス遊びも終了し、独自の経済活動が出来るようにして、何の咎めもなく、独自で自由に刷りたいだけ、配りたいだけのお金の発行が出来る様にして、各国の国内外の経済事情を、極秘化出来る様にして、世界の闇の政府もこれに立ち入れない様に仕向けて、経済と言う、凝り固まった、枠組みから、解放されるべく、世界が協調する様に、我々note参加者が、具体的に、コンセプチュアルスキルを使って、指揮し、実働させるその術を、具現せねばならないと考えてはいるのであるが、井の中の蛙大海を知らず。の私には、そのスキルがないばかりか、私の身に生じている理解に苦しむ、わが世界の仕組みに翻弄され、現在次元の迷い子と成り、余りに多い問題の数々に、如何に対応すべきか、エントロピー拡大に手を焼いており、各々方に委ねるより手立てなく、その策、案を、記して終わりたい。

まず、日本で、早急に解決する課題として、誰でもが、生きる特権として、生活保護、あるいは、ベーシックインカムのごとき、方法で、自分の生きたい生き方を選択できる様、嫌々働かなくとも、生活できる様に持って行く事は、容易で、安易な生き方が出来る国造りとして、急ぐべき課題であると考える。

難しい生き方、苦労、苦難を良しとし、喜びと出来る、つわものたちには、その様に、生きて貰えるよう、自身で苦労苦難を買って頂き、闘い、疲れ果て、褒美にありつけぬ者たちが、せめてもの、気休めに、創っておいたであろう生活保護が、世間の風に追いやられ、タバコさえも、ろくに吸えぬ世に変えた、常識族への恨みの念は、胸、腹には、起きませぬが、頭にしかと、書いておきます。

これらの、問題の背景は、権利を権利と認めぬこの世の不始末。

ベーシックインカムの泣き処は、欲しくない者まで頂かねばならぬ点です。

このコロナの筋書きは、これを利用し、皆が、閉じこもり、自分の御用に専念できる様に仕向ける事では、なかったかと察しまするが、経済の話に戻りますると、お金自体は刷りさえすれば、要らぬ借金をせずとも、創れる訳です。問題は、働く者がいなくなれば、実際問題として失敗です。

ですので、仕事を、やりたくなるように、導く事だと考えますが、元々、人それぞれ、燃える使命、命を有しており、やりたい仕事さえあれば、只でも働く人は、働くのです。

命がなせる業(わざ)なのですが、私が、こうして書いているのも、その命のなせる仕業により、書かされているのでありまするが、つまり、仕事の機会は、豊富にあるように、持って行くべきと私は考えます。

何度も、述べますが、コロナの時代は、世界が、地獄に向かうか、天国、浄土に向かうかの境界線であり、全ての人々が、協力し合わなければ、この試練は永く、死んだ後にも、続いていると、考えた方が良いでしょう。

政府は、もしかすれば、お金を皆にバラまきたいと考えているのかも、わかりませんが、不正を不正として裁かれる為、何も出来ないままと言うのが、私の勝手な見解です。

昔、田中角栄と言う首相がおりました。彼は、おそらく、アメリカの仕組んだ罠にはめられ、ロッキード問題と言う、わいろを、受け取ったとして、国中の国民に避難され、失脚してしまいましたが、政治の世界で、大金の秘密の金の受け渡しは、政治家を動かす大きな原動力として、おそらく、不可欠であったのでしょう。

ブルトーザーが、汚れるのを恐れていたら、何の役にも立たない只の飾りです。

皆が文句を言えば、その見返りは、皆の損失と成り、皆の苦しみと成るのです。

タバコを悪者に仕立てた、禁煙セラピーと言う本を書いた人は、自分も、ガンで亡くなりましたし、禁煙を始めた、おじさん、父も、あっけなくガンで亡くなりました。

神は、6日で世界を創られ、ご覧に成って良し、と言ったとありますように、本来悪い者は、ないのです。

悪いとするから、悪いものが、出来るのです。

善悪、正義と悪は、コインの表と裏です。

裏から廻すのが、暗黙の了解。表で渡せば、公です。

話を戻しますが、たとえば、税金は、払いたい人だけが、税理士さんと、独自の税制を作成し、それに、則り、会計士さんたちが、税務処理し、その税制通りに支払っているか、綿密に計算しチェックする役職と会計士さんたちがいて、税務処理し、その納税額や、ランキングを、希望者において、発表し、又、その作成した税制のコンテストなども行い、賞や、トロフィー、メダルを与えるなど、職業を奪わない様に、作り直すアイデアと、それを、実働させる為の、人脈や、アピール、考えの普及を目指す、チームが必要ですが、それまでの、生活費用や、たくわえ、働いた見返りも必要ですから、生活に余裕があり、見返りを直接的には必要としない、ヒーローの活躍と、その、効果や、報道が、手に入りやすい情報網としての入り口もあれば、協力や、アイデア提供に、役立つと考えます。

これらの事が、スムーズに政治の世界で、実行される為には、与野党などの派閥争いで、無駄なエネルギーを使っていては、間に合いません。

協議会制にして、意見がまとまらない時は、自由参加の国民投票にし、投票権も13歳から与えます。何故13歳かと言うと、12は、一回りの数であり、音楽も、ドからシまで12音ですし、1年も12か月、英語もトゥエルブまであり、時計12で一回り、トランプは、13でキングで大人の仲間入り。

ただし、不正強要が無い様に、投票は、直接投資で、子供たちが、強要されていないか、見届け監督する役人をつけます。

ここで、贅沢に関する大事な話を付け足したいと思います。

重責にの職に就く方々には、正しいご判断をしていただく為には、こころから、解放とリラックスを得る瞬間を、いつでも、取って頂ける様、普通の方から見れば、贅沢としか思えないものでも、必要である事を皆が、理解すべきだと考えます。

何故、全てに、正、不正を付けたがるのか!

そもそも、何故、良し悪しを付けたがるのか!

自分が満足していないから、やっかむのですか?

お金に力を持たせているのは、人間の信念、考え、思考です。

又、反社会勢力と言う言葉で、生きるべき大事な人達を疎外している現状に導いてしまったのは、彼らにも、その責の一端はありますが、反社会的勢力と言う言葉で、ひとくくりにし、人々の疎通を疎外している、社会の現状は、正しくありません。

彼らは、日本の為に貢献して来た人々です。

正論で、人々を疎外している者は、乞食の修行から、やりなおせと、怒りのやいばを買っている事に気付きべきだと、私は言っておきたい。

以上が、取り急ぎまとめたものですが、今後、修正、加筆などする可能性は、大いにあります。

2020/11/08-1:16ごろ、参考文転写終わり。

追記2020/11/08-8:43

2020年02月07日
憲法希望念願説による憲法解釈の新たな法律制度および、自己の世界の構築および、キリストの贖いの理由、及び、危惧するイメージ
    憲法希望念願説による憲法解釈の新たな法律制度および、自己の世界の構築および、

    キリストの贖いの理由、及び、危惧するイメージ

憲法は、確かにアメリカによって創られたと言う説もあるが、当時のアメリカの紳士的理想論や、昭和天皇の願いたる思いが、集約された多くの国民などにも愛された思い、願いの凝縮された理想的法律であったと、私は、感じ入りますが、憲法9条改正などの声のあがる状況下にあることも、やはり、現実の問題としてあると存じいります。しかし、憲法そのものを改正するというのは、この国の為に命をささげ散っていった人々の思いや、国民の望む真の理想そのものを、書き換え、人としての平和を望む声を、消してしまう事にも、成りかねず、憲法そのものを改正することは、日本のみならず、世界に、この素晴らしい憲法を伝え残す意味でも、大きな宝の損失で、あるように私には、思えます。しかし、時の支配の中にありましては、どうしても、その法律を維持しえない情勢に追いやられる事が、あるのが、現実であり、それは、憲法9条に関わらず、たとえば、経済的問題ゆえに、憲法が保障する権利を、維持しきれない状況下に、追いやられる事も、絶対にないとは言切れず、この素晴らしい憲法を守る為に、国自体が滅んでしまっては、もともこもありません。

特に憲法9条を保守する為に、国民の安全だけに限らず、世界の国々や、そこに住む人々、子供たちの為に、現界とも言える、精神や、肉体を鍛え世界の為に尽くす自衛隊のご尽力や、それを指揮する現場の長(ちょう)の重たい責任と苦渋の選択を考えます時、不経済の中で辛い、お仕事に耐え、御精を出している皆さん方の血税で暮らしている、わたくしが、述べるには、誠に、失礼、申し訳なく存じますが、世界には、まだまだ、もっと厳しい生活の中で酷い目に会っている方々も多くいると聞き及んでおります。それを思います時、日本は、沖縄の人々の生活の犠牲や、先ほども述べました、自衛隊方々、もちろん、国のお仕事に従事する役所、警察、などなどの、おかげにより、安心して、一応は、暮せている事も確かであり、確かに、中には、不正な方や、組織も存在しないとは、断言できませんが、本来、人々は、自分が正しいと考えた考えにより、行動していると、信じます。その考え方の、相違により、衝突や戦争などの、本来的には望んでいない現状が生じているのが、真相ではないかと、存じ入ります。

憲法9条に限らず、憲法は、多くの良心ある国民の人々の思いであり、希望であり、念願であり、理想であると、私は、考えておりますが、現実的に維持する事が、困難な状況下に追い込まれる事が、ある事も現実であり、社会党であったと記憶しますが、違憲合法論によって、自衛隊の存続を認めざる負えない事もあった様に記憶いたしております。

この様に、憲法は、多くの国民の望む希望であり、念願であり、理想であって、必ずしも維持しうるものではないというのが、真相であり、現実であると、思われます。

そこで、憲法言うものの解釈を、国の極めて努力しなければならない法律であるとした上での、特別機関として、違憲なる法律の制定においては、別途、これを協議する庁府を設け、その結論に至った経緯、理由をまず、国民に、説明し、一定の期間の期限を決め、時節において再度協議しなおす等し、国民の各々の意思、意見を、極力取り入れるべく、構成された、構造を作り、まず、国民の内部分裂などによって、国が滅びたり、抗争が、生じたりしない様に、努めるべきではないかと言うのが、現在の私の考えうる現界で御座います。

又、今から話す事は、反天皇主義者の反対もあるとは、考えるところですが、述べさして頂きますと、ユーチューブの情報が、操作されていないとは、断言できませんが、日本の天皇は、ローマ法王が、上座を譲ったり、エリザベス女王が、天皇を王以上の、エンペラーとして、正しき作法で迎え入れたりするなど、その他にも、海外の多くの人々が、尊敬している御方であり、この国の安全の維持に多大なる影響を与えていると聞き及んでおりますし、第2次世界大戦終戦の後、マッカーサー元帥に昭和天皇が謁見を申し出て、私は、殺されても良いので、日本を守って欲しいと、述べられた故、マッカーサー元帥が感得して、日本の天皇が、紳士であり、尊敬にすら値すると思われ、そのおかげで、日本は、分断されず、今の日本がある事を、遠いまだ、ユーチューブ等もなかったはるか昔に、本で、読んでおり、又、天皇をルシファー、すなわち、堕天使と考える人びともいる事は、知っておりますし、封建主義者と考える人びとが、まだまだ、多くいる事も知っては、おりますが、天皇が、象徴天皇である事を前提に、言わせて、頂かせてもらいますが、天皇陛下も人であり、その心中を信じるとするならば、現天皇は御公務で、忙しく、無理かも知れませんが、生前退位された、前天皇には、御公務中に思われたり、考えられたりした、国民の為に、語られたい、考えや、アイデア、その他、様々な、思いも御有りではないかと、推測いたしますし、もちろん、そのお考えには、人々に、配慮し、又、海外への影響にも配慮されたお考えが、あるのではないかと、私心では、御座いますが、そう考えます。

今と成っては、軍隊の一人歩きであったのか、天皇陛下の苦渋の決断であったかは、わかりませんが、当時を知る人がまだご存続であるのかさえ、わかりませんが、前天皇が個人としての胸の内、お考えを述べる事は、確かに、政治に大きく、影響するところでは御座いますが、天皇陛下の人間としての権利をある意味、国民は、束縛しているとも、言えなくもなく、もちろん、皇室ゆえ、全てに、ご配慮を、された、お言葉しか、述べられなくもありますが、陛下が、考える施策や、政策について、あくまで、個人的考えとして、述べる場が、あっても良いのでは、ないかとおもうのであります。

御公務中には、忙しく、それらの暇は、なかったかと存じますが、個人的に考える日本及び世界の平和と、安全、幸福を考えての、私的考えを述べる改ざんされること無く、伝えられる、答弁や、書籍などの発表の場が、提供されて、良いのでは、ないかと、存じ上げる次第であり、確かに、悪用されれば、封建主義へ向かう可能性もありますが、これも、ユーチューブで知った情報ですが、現在、多くの物理学者が、この宇宙は、プログラム的2次元の世界であると支持しているらしく、又、前オバマ大統領のとある演説中に、この世は、1960年代から、宇宙外マトリックスにより支配されていると述べ、ジョークだとお茶をにごしましたが、その動画制作者は、それが、本当は真相ではないかと、くくっておりましたが、私が、歩んできた、精神障害の人生の中で、経験してきた、出来事や、蘇る記憶、経験、等を、理知的に解釈すると、真実のところは、誰にも、わからないのが、事実ではありますが、この時代は、私が、物心付いた時より、おかしな世界であり、無限と言う時の最先端であるにも、関わらず、真の平和をも達成していない、遅れた時代であり、私が、入院の途中に経験した、出来事を理性的に解釈すると、私が、精神障害者となった運命、宿命は、この世の調査及び、プログラムの修正、歴史の適正化に対する役割の一端として派遣されたと解釈するのが、妥当の様に感じられます。

この世には、外部から様々に関与している次元や、異世界があり、少なくとも、わたくし個人においては、様々な関与があった様に感じますが、この世がプログラムであったにせよ、そこに暮らす人々には、生々しい現実であり、私心ではありますが、プログラムの模写の世界と言え、神仏、神、GOD,など霊的存在も、生きた生命として、働いている可能性も、充分に考えられますが、宇宙外マトリックスを支配する世界も、存在そのものが持つ、命と言う機能の働きによって、機能しており、それが、真の意味での神であり、GODであり、アラーあるいは、仏と呼ぶにふさわしい神仏、であると考えます。

そして、今回、私の身に起こった出来事の常識外の奇妙な経験の末にこれを、書いている訳で御座いますが、始まりまりは、インターネット自体への不信も含め、妻の様子や、他人や情報から、本も何もかも信じるに値せず、妻と言う人物すら、その中の霊が変わった様に感じられ、心の争いの中にいました。私は、精神科で、注射を受けておりますが、私は、目に見えない注射をされている、痛みを感じる様な事が、最近起こり、現時代の私と言う肉の私が、まとめ切れないこれらの、考えを、サポートする注射であった様に感じいります。ですので、未来に属する部分の私は、肉としては、死んでいるザイム夢我無罪こと、私の夢、念願を達成するべく、又、この世のサポーターの一人として、働く使命を果たすべく、書いたものと思われ、以上、書きました事は、人間、神仏それら全てを共に活かす世界から安全に進むメッセージとして、与えられた、私の意見だと考え、本日、西暦2020年2月7日午前3;35現在ここまで書きました。
          ニコチンガム

現時代には、見る見方により、悪に映る組織や、現に私欲、私心の為に、他を裏切り、利用する存在もないとは、言えないのですが、最終的に自己に孤立し、自力で世界を変えようとしたり、科学や、学問の力だけで変えようとした場合、現界や、衝突、争い、迷いの世界へ陥ります。本来、人はそれぞれ独自の世界で生きており、自分の前に展開する世界、ストーリーは、自己が自ら蒔いた種を刈っているのですが、自身の矛盾により、行き詰まり、重荷を背負い過ぎて倒れ、苦しむ事に成ってしまうのです。この時代に生きる人々は、共に全てを活かす方法を模索し、協力し合わないと、この世自体が行き詰まり、苦しみから、逃れられなくなります。意見の相違はあって当然ですが、理解し、尊重し合う様、努力し、各々が、全体の中での自分である事を理解し、今現在を幸せに生きる様、物事を良い方に、良い方に、解釈し、反省すべきを反省し、自分の本当に望む世界を構築できる様、あらゆる力、たとえば、神仏、科学、経済、社会、に、感謝し、時には、悪にさえ、感謝し、既にある未来の力も借り、たとえば、騙されたとしても、そこには、自分の中に原因がなかったか、よくよく考え、逆に、そこに、自分が気付くべき、問題があったと成長するべく様考えを修正し、本来自分が主である世界で何故、自分がその立場として生きているのかを考えつつ生きて行けば、愛あるあなたの世界は、達成されると考えます。無限の中で、完成している未来は、いつでもあり、自分が満ち足りるまで、永遠に生きる道は、既に用意されているのです。苦行だけが、道ではなく、又、皆が同じ道を、同じ歴史を歩んでいるとは限らないのです。ただ、自分の前に展開する世界は、自分の蒔いた種が実ってそこにあるのです。縁の濃い、薄い関係は、ありますが、自分が特に自分の経験として経験するのは、縁の深い関係がある為であり、微力ながらも、自分の願いに心の混じりけや、矛盾がない限りにおいて、自分の信じる世界で華をさかせる事は、出来るのです。地球の歴史は、弱肉強食から始まったと私は、習いましたが、もし同じ歴史観を抱いているなら、私達は、同じ歴史を生きて来たとも言え、平和を望む世界を夢みるなら、同じ歴史を歩むでしょうし、ツライより、甘い世界を好むなら、甘くやさしい、世界で、共に生きる歴史に向かって進み、意見の相違は、その捉え方、行動によって、違う歴史を生きる結果に向かって進み分れるでしょう。

弱肉強食は、一見すると、この世の定めの様に見えますが、食べられた弱い方の動植物は、その強い側の骨、肉、エネルギーとして、幸せに生かされ、もし、望まぬ苦や、死に方を強いられたとしたら、病気や災い、苦しみを、今度は、その強い側が味わう事になり、動物たちは、強い者ほど、急所を心得ていて、苦しまぬ様に、殺します。

人間は、今では、日本人も肉を食しますし、現代人に、肉類を止める様に言うのは、逆に酷(こく)かも知れませんが、本来的には、人間の身に遠い植物を食べる、菜食主義の方が、良いはずであり、それは、食べられる植物や果実は、ある意味、人間に食べられる事により、人間の血となり、肉に成って、活躍できるからで、動物の場合、たとえば、イスラム教では、豚(ブタ)は、禁じられていますが、それは、裸に近い動物で、人間に近いからであると考えられます。

ゲノムの解析により遺伝子操作をして人間に都合の良い動物を作りそれを、食べさせられている可能性も高いのですが、遺伝子操作は、確かに、人間の科学的学習としてやむ負えない事情もあるとは思うのですが、人間の都合だけを考えた愛のない利用は、出来る限り慎まないと、その世界は、やがて滅び、自らが、その責を負う目に会う事を知る日が、訪れます。それにより、たとえば、その人達の世界から、それにより、他の国々が滅んだとしても、滅んだ人々は、別のパラダイスで生きており、蒔いた種を刈るのが、自分達であった事に苦しむ結果を招くと知るのは、残った人々なのです。私が、今回何度となく精神障害者として生きていた記憶が多くあるのは、その責を負うべくして、たどり着いた未来から、来た魂である可能性も強く、同じ苦しみに合わない様に、忠告すべく、やって来たと思われ、何故かイエスキリストだった時の一部の記憶もあり、何故人間の創造主が、御子となり、贖いとして十字架に掛けられたかを考えた場合、自らが招いた責により、責任を果たされたと考えられ、もちろん、わたしが、キリストだったとか、創造主だったとか考えているわけでは、ありませんが、この世の歴史や、事件、出来事の残虐、残酷性から、エホバの証人さんたちが、この世の神はサタンですと、言われても、仕方のないこの世の歴史だと感じいります。ただ、若干感じます恐怖は、天皇陛下が、何がしかの、巨大な恐怖の大王に変貌するかの如くイメージが若干感じられ、自己の恐れから来るイメージであるのか、単なる妄想に過ぎないのかは、わかりませんが、この星の持つサガとして、弱肉強食の定めが、この星にある故なのか、外宇宙からの侵略への攻防の準備として、その宿命を背負っているのか、そのイメージの出所が今現在の、わたくしの、謎であります。

2020年2月7日午前8:16

以上転写終わり。同日9:03


面倒では、御座いましょうが、お心使いお願い申し上げます。発表する場合が、ありますので、匿名希望の方は、匿名とお申し付けください。