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世の中どうよ

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世の中、社会、不満もありましょう。憤りもありましょう。ほっとするニュースがあればいいですね。自分もその中に確かに存在する、その世の中。少しでも別の視点があれば、シェアしたいなと思…
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#教会

Facebookだけではもったいない

Facebookだけではもったいない

Facebookに、忠実に投稿をする教会の牧師がいる。教会や自身の運営する行事の宣伝もあるし、少々おちゃらけた記事で楽しませてくれることもある。中には、きれいな花などの写真を掲げて、聖書の言葉や、それについての簡単な解説を、連日誠実にアップしている人もいる。いい記事が多い。伝道の目的であるのだと思う。聖書の言葉は、人を救うことができる。困難にある人や、道を求めている人に、光を投げかけ、立ち上がらせ

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伊集院光さんに学ぶ

伊集院光さんに学ぶ

「伊集院光の100年ラヂオ」をお聴きの方も多いだろう。
 
ラジオ放送が1925年に開始したことは、歴史を学んだ中学生なら皆知っている。それが大きく世界を変えたことの意義までは学ばないが、この年は三つの出来事によってかたどられ、記憶されることになっている。そして来年がそこから百年の節目である。
 
それで2023年4月から、NHKに残る音源を発掘して紹介し、ラジオ放送について振り返るという企画が始

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免罪符

免罪符

「免罪符」という言葉は、特にカトリックの方面からは、適切な語ではない、と言われるかもしれない。プロテスタント側からの悪いイメージで広まった言葉だ、と見るべきだろうか。しかしそう言うと、そもそも「プロテスタント」という呼称も、いわば悪口である。だからそちらに走っていくのを一度止め、「免罪符」または「贖宥状」の、本来でないかもしれないが、一般にもたれがちな理解に戻ろうと思う(宗教的な意味から離れること

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プロならば

プロならば

勤務する塾の前に道路があるが、信号無視は決してするな、というお達しになっている。生徒や保護者の目があるかもしれないところで、教師らしからぬことをしてはならぬ、という意味である。
 
学習塾の職員による不祥事が、今年大きく話題になった。被害に遭った子どもたちやご家族には、ここからも申し訳ない気持ちが起こる。不祥事というより、犯罪であり、取り返しのつかない深い傷を遺すものであった。これを受けて、スマホ

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リスボン地震に思う

リスボン地震に思う

万聖節。ご存じない方も、その謂われなどについては、ウェブサイトに良い説明が多々あるのでご覧くだされば幸いである。西洋のお盆のようなイメージで想像して戴いてもよいだろう。キリスト教が聖書から考えたお祭りであるようには思えないが、その前夜がいわゆるハロウィーンであり、日本でも近年有名になった。
 
1755年11月1日の朝、当時世界最高の都市の一つであったポルトガルの首都リスボンは、この万聖節で、賑わ

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不愉快なことは聞きたくもない

不愉快なことは聞きたくもない

自分にチクりと刺さるような指摘があっても、それを好んで受けようという気持ちは、なかなか起こらないものだ。
 
それでも、友情というものは、敢えて友に苦言を告げるという場合があるだろう。そのようなことを教えてくれるのは、表面的な関係の間柄では、なかなかないものだ。友だからこそ、踏み込んだことに言い及ぶ。だから、その言葉をありがたく思う、いうことがあるだろうと思う。それは、その友との間に信頼関係がある

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コロナ禍はまだ顧みる段階ではないが

コロナ禍はまだ顧みる段階ではないが

命に関わる情報なので、迂闊に素人の発言に全幅の信頼を寄せることはご遠慮ください。しかし、本当かどうかご確認戴くことは歓迎したい。
 
2023年5月中旬から、新型コロナウィルス感染症の新規感染者数や死亡者数を発表しなくなった。それは、医療機関に、逐一所定の形式で毎日報告する義務を課さなくなったということである。医療機関は、少し助かっている。但し、それが感染に関して安全になった、ということを意味する

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命の福音

命の福音

ある有名なタレント(?)が、先般急逝した。恐らく自ら命を絶ったものと見られている。こうした報道を垂れ流すことは、あまりよいことではない。また、その人となりをよく知っているとも言えない者が、とやかくその人のことを言うことは、さらによくない。それで、その人自身のことではなく、周辺のことを少し考えてみようと思う。それでも、関係する方々は傷つくかもしれない。だから私の呟きを正当化するつもりはないが、遅れば

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AIと礼拝説教

AIと礼拝説教

教会の説教が、(いまChatGPTで代表されている)AIにより作成されるとどうなるか。
 
こういう懸念は、ChatGPTが知られるようになってからも、すぐに聞かれた。最初は、そんなもの使い物になりませんな、みたいなコメントが見られた。木で鼻を括るという表現はそぐわないかもしれないが、高みから見下ろすような声のように私には聞こえた。
 
だが、その後そのAIの力が政府レベルで世の中で明らかになって

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WBCチームが羨ましい

WBCチームが羨ましい

WBC(最高の世界野球)大会が終わった。やはり自国チームが勝つと盛り上がる。私も片手間ではあったが、楽しませてもらった。ただ今回は、質的にも教えられることが多かった。
 
年長の経験者が、へりくだり、よく選手全体の世話をしたこと。その場にいられなかった仲間との一体感すら伝わってきたこと。監督も選手とのコミュニケーションをよく図っていたこと。その監督が選手を、選手が監督を強く信頼していたこと。目標は

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耳ざわりのよい言葉

耳ざわりのよい言葉

耳ざわりのよい言葉について考えてみる。
 
などと言うと、クレームの嵐が襲ってきそうである。「流れに棹さす」とか「気の置けない」とか、正反対の意味に勘違いして使われる言葉が、毎年言葉の調査で報道されるが、「耳ざわり」もその部類であるかもしれない。推測するに「耳触り」だと思い込んでの誤用であり、「耳障り」という意味を思いつかない人たちの使い方ではないか、という気がするが、的を外しているかもしれない。

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本質が露呈し始めているために時代は急に変わる虞がある

本質が露呈し始めているために時代は急に変わる虞がある

日に日に情況が変わる。感染症と医療の現場、また経済的目論見。大切にしなければならないものが、たくさんある。それらをどう成立させていくか、そこに政治的手腕が発揮されようが、民主社会であるならば、一人ひとりがそれを担っているはずである。都合の好い時だけ、政治が悪い、と言い放ち、自分が正しいというテリトリーを守ろうとすることが、知識人の中にも蔓延している。これではむしろ、ただのガス抜きを演じているだけと

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空白の30年間

空白の30年間

偶々テレビで、久しぶりに統一協会について語る有田芳生氏を見た。かつて社会問題化したときには、この人の命懸けの解説が、適切な判断がなされるために、貢献していたのだが、久しぶりだというのは、その後、テレビで同様に統一協会問題で解説をするという機会が、殆どなかったように見受けられるからだ。
 
つまり、そのような解説は、もはや視聴率に影響しない話題となり、マスコミが取り上げなくなったからである。だから、

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刹那主義の見直し

刹那主義の見直し

  今さえよければ
  今倖せなら
 
歌詞にもあるこうしたフレーズの考え方は、しばしば「刹那主義」と呼ばれる。「刹那」は仏教用語であり、最小の時間単位とも言われる。一秒の何十分の一か知れないほどの、まさに瞬間であるが、これに「主義」が付くと、いまこの瞬間だけの感情に身を任せ、過去も未来も何も気にしない、という生き方の姿勢を意味することになる。
 
そんな、後先も考えないような生き方など、よろしい

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