よっしー@ホロスコープカウンセラー

「こんなハズじゃないのに」「もっとがんばらなきゃ」そう思ってるアナタに、人生がラクにな…

よっしー@ホロスコープカウンセラー

「こんなハズじゃないのに」「もっとがんばらなきゃ」そう思ってるアナタに、人生がラクになる攻略本。アナタの魅力、アナタが知らないだけかも。

記事一覧

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記28.昭和のお仕事:お茶くみ

あ。そういえばワタシが就職したころはちょうど平成に入ったタイミングで、昭和じゃなかったわ。 すっかりウソをついていました、、、 でも、じゃあ平成かというと、行って…

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記27.昭和のマナー研修

え…まだまだ人生の半分も終わってないわ💦 もっと早く進めないと💨 さて、私が社会人経験した、記念すべき第一社目の様子を思い起こしてみようと思う。 平成になったば…

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記26.オンナ恐怖症

中高生時代、ワタシは男子とはあんまり上手くコミュニケーションがとれなかった。なんだかヘンに意識してしまい、「みんなトモダチ~」のノリではどうも接することができな…

いまのリアルな出来事

職場で、起こってほしくない、でも起こるのも時間の問題だろうと密かに思っていた(あ、だから起こってしまったのかしら!?)アクシデントがついに起こってしまい、ワタシ…

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記25.母への失望

とうとうお金を払って勉強するフェーズを終了し、カネを得るために何かをしなければならない歳になってしまった。ワタシは、当時一部上場企業だった住宅機器メーカーの支店…

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記24.就職活動2

時はバブル崩壊する少し前、それでもまだまだ世間が浮かれていた頃。 大企業がこぞって就職内定者をごちそうしたり、旅行に連れて行ったりして囲おうとしていた超売り手市…

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記23.就職活動

これを書くのに、当然ながら短大時代のことを回想しているのだが、あまりにも中身が薄っぺらなことに我ながら驚いている。そりゃあ2年だし、結構短大ってレポートやらなん…

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記22.なにをやっても中途半端

短大生だった頃のワタシは、ひとり暮らしがしたくてたまらなかった。クラスの友人や、サークルの子がひとり暮らししているのが羨ましくて仕方なかった。通学に1時間半くら…

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記21.矛盾してる言動

短大での思い出に「これがあったから今の自分がある」とかそんなドラマティックなものはなかったけど、けれど、その2年が、もしかしたらワタシの視野とか度量なんかを少し…

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記20.模倣で学ぶのが得意なHSS型HSP

短大に入り、サークルに入ったワタシは”新しい自分”を発見していた。 オンナ友だちのように、オトコの前であざとく「ふわふわする~」ということはできなかったものの、…

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記19.裏でアレコレができないから

縁とは不思議なものである。 短大に入って、はじめてできた友だちが同じ県出身だった。4人組で4人とも、だ。 すごくない? そのうちの一人は、入試のとき席が前後で、な…

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記18.みんながドン引きのワタシの進学

書いていて改めて実感するが、中高生時代、特に高校生のころの私はどう思い返してみても 無 だった。 大人にはわかってもらえない 同世代に溶け込もうと必死に努力して…

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記17.変わった学校、だから惹かれた

高校は、本当に行きたくて入った学校だった。のちに母が「あの時の頑張り”だけ”はホンモノだったね」と何度も嫌味を言ったほど。偏差値的には足りなくて「そこはやめとけ…

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記16.ドラマのような親友が欲しい

大人同様、同世代ともうまくいかないのが如実になってきたのもこの頃だ。 以前少し書いたけど、部活(吹奏楽部)でもパートの子たちにハブられていた。いつも隣のパートの…

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記15.建前や世間体…大人がキライ

中学生のころ、大人が本当にキライになった。 なんていうのかな、それまで(…ひょっとしてダメなヒトたちなのかな、それともワタシの勘違いなのかな)と様子見だったのが…

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記14.学校でニガテだったもの、ほんとにそうなの?

中学生活も半ばになると、あの頃のワタシはどこへ!?ってくらい自信も自尊心も失っていった。 部活ではパートのメンバーに仲間はずれにされ、誰とも話せなかった。 理由…

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記28.昭和のお仕事:お茶くみ

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記28.昭和のお仕事:お茶くみ

あ。そういえばワタシが就職したころはちょうど平成に入ったタイミングで、昭和じゃなかったわ。
すっかりウソをついていました、、、
でも、じゃあ平成かというと、行っていたことは紛れもなく昭和のものだったと思うのです。平成ってもう少し違うと思うんだよね。

というわけで、昭和のお仕事をご紹介しようと思います。

今もやっている会社、あるのかしら? まさか、この、令和の時代に!?
あったら教えていただきた

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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記27.昭和のマナー研修

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記27.昭和のマナー研修

え…まだまだ人生の半分も終わってないわ💦
もっと早く進めないと💨

さて、私が社会人経験した、記念すべき第一社目の様子を思い起こしてみようと思う。

平成になったばかりで、バブル期が終焉を迎える頃。しかし、世間はまだまだそれを感じることも少なく、その第一社でも
・女子の制服は近所のクリーニング屋にツケがきく(会社払い)
・仕事で使う文具類も近所の文房具屋でツケがきき、いま裏紙で作っているメモ紙

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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記26.オンナ恐怖症

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記26.オンナ恐怖症

中高生時代、ワタシは男子とはあんまり上手くコミュニケーションがとれなかった。なんだかヘンに意識してしまい、「みんなトモダチ~」のノリではどうも接することができなかったのだ。

ここでの記事にもよく、モテなかった と書いているけれど

ワタシのなかで、男子とはそういう存在で

だからといって別に(付き合いたい)とかいう願望もさしてなく

一度高校生のとき、好きな男子に告白したのだが
(じゃあ、どうな

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いまのリアルな出来事

いまのリアルな出来事

職場で、起こってほしくない、でも起こるのも時間の問題だろうと密かに思っていた(あ、だから起こってしまったのかしら!?)アクシデントがついに起こってしまい、ワタシへの業務負担が一気にドドッと押し寄せ・・・

もう、帰ってきたらすっかり疲れ果て
脳が機能停止していました。

アクシデントが起こると、それに順応するまでに
ものすごい時間を要するんです。
これでもだいぶ、切り替え早くなったかなぁとは思うけ

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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記25.母への失望

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記25.母への失望

とうとうお金を払って勉強するフェーズを終了し、カネを得るために何かをしなければならない歳になってしまった。ワタシは、当時一部上場企業だった住宅機器メーカーの支店で、営業事務の仕事をすることになった。ひょっとしたら自分で就職活動したなかで、一番納得のいってない職種かもしれなかった。都内にある本社で働きたいと思っていたワタシだが、数日前に「埼玉県の〇〇支店に配属になりました」と連絡がきて絶望していた。

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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記24.就職活動2

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記24.就職活動2

時はバブル崩壊する少し前、それでもまだまだ世間が浮かれていた頃。
大企業がこぞって就職内定者をごちそうしたり、旅行に連れて行ったりして囲おうとしていた超売り手市場な時代。

結局ワタシは、周りがとっくに就活を終えて卒業に向けての活動をはじめている9月ごろに、ようやく就職先を決めた。
ほんとに、体感的には、やっとだった。
途中(決まらないかも…)と焦るほどだった。
もっとも今思えばそんなに焦る必要は

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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記23.就職活動

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記23.就職活動

これを書くのに、当然ながら短大時代のことを回想しているのだが、あまりにも中身が薄っぺらなことに我ながら驚いている。そりゃあ2年だし、結構短大ってレポートやらなんやらで忙しいし、学校まで遠かったし、あっという間だよね、うん。

しかも2年生になったらすぐ、就職活動だもんね。

そう考えると2年って設定短くないか???

さあ、就職活動だ。どうしよう。
ワタシは悩んでいた。
学校にはどこにも大体、指定

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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記22.なにをやっても中途半端

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記22.なにをやっても中途半端

短大生だった頃のワタシは、ひとり暮らしがしたくてたまらなかった。クラスの友人や、サークルの子がひとり暮らししているのが羨ましくて仕方なかった。通学に1時間半くらいかかっていたこともあるが、とにかく母と離れたかった。

その頃、父が実家との二重生活をしていた。父の実家は農家で、祖父(つまり父の父)が亡くなってしまったので、父が後を継ぎ農業を手伝うため住み込み生活をしていたのだった。

母はとても愚痴

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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記21.矛盾してる言動

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記21.矛盾してる言動

短大での思い出に「これがあったから今の自分がある」とかそんなドラマティックなものはなかったけど、けれど、その2年が、もしかしたらワタシの視野とか度量なんかを少し成長させてくれたかもしれない、とは思う。

高校生のころ、ひたすら親友を求め、クラスの子たちとつるもうとして失敗していたワタシ。そこには常に”ネクラ”とか、今でいうと”病んでる”イメージがつきまとっていた(あくまで自己分析だけど)。

それ

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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記20.模倣で学ぶのが得意なHSS型HSP

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記20.模倣で学ぶのが得意なHSS型HSP

短大に入り、サークルに入ったワタシは”新しい自分”を発見していた。

オンナ友だちのように、オトコの前であざとく「ふわふわする~」ということはできなかったものの、
(そうか、お酒が入るってことは、自分をゆるめるチャンスなのかもしれない)
と学習したのだった。

思えばワタシは小さいころから結構「模倣」が得意だった。

小学生の頃って書写でエンピツ書きがある。書道を習っていたのに、ワタシの字はものす

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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記19.裏でアレコレができないから

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記19.裏でアレコレができないから

縁とは不思議なものである。

短大に入って、はじめてできた友だちが同じ県出身だった。4人組で4人とも、だ。
すごくない?

そのうちの一人は、入試のとき席が前後で、なんか感じがいい子だなーと思って、ひとりで来ていたワタシは勇気を出して
「お弁当一緒に食べない?」
と聞いた。

すると彼女は少し離れたところに同じ高校の友だちがいたらしく、ワタシは少しガッカリしたのだが、それでも一緒に食べようと言って

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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記18.みんながドン引きのワタシの進学

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記18.みんながドン引きのワタシの進学

書いていて改めて実感するが、中高生時代、特に高校生のころの私はどう思い返してみても



だった。

大人にはわかってもらえない

同世代に溶け込もうと必死に努力していたが、これまた理解しあえず
失望したり
勝手にいじけたり距離をおいたり

学校にいる自分はいつも、卑屈で
周りの子たちの顔色をうかがって生活してるような感じだった。

ただ、ここがHSS型HSPの気持ち悪いところというか、ある場所

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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記17.変わった学校、だから惹かれた

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記17.変わった学校、だから惹かれた

高校は、本当に行きたくて入った学校だった。のちに母が「あの時の頑張り”だけ”はホンモノだったね」と何度も嫌味を言ったほど。偏差値的には足りなくて「そこはやめとけ」と担任以下、学年の先生に反対されたがワタシは「絶対行く」と決めていた。そこは全国で初めての総合選択制高校。ワタシたちの代は2期生で、つまり、先輩は1期生しかいなかった。

なにがワタシをそんなに惹きつけたのだろうと、いま不思議で仕方ないの

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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記16.ドラマのような親友が欲しい

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記16.ドラマのような親友が欲しい

大人同様、同世代ともうまくいかないのが如実になってきたのもこの頃だ。

以前少し書いたけど、部活(吹奏楽部)でもパートの子たちにハブられていた。いつも隣のパートの子たちの会話に入ろうとするので、気持ち悪がられていた。

辛かった。
本当にしんどかった。
だけど休み方もサボり方もわからなかった。
部活に行かずに家にいたら、母に絶対「ちゃんと行け」とか言われるにきまってる。絶対無理。やだ。

”社交辞

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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記15.建前や世間体…大人がキライ

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記15.建前や世間体…大人がキライ

中学生のころ、大人が本当にキライになった。
なんていうのかな、それまで(…ひょっとしてダメなヒトたちなのかな、それともワタシの勘違いなのかな)と様子見だったのが、あ!やっぱりダメなんですね、はいわかりましたーって決まった感じ。

みんな建前しか言わない。世間体しか気にしない。
本当にこっちのことを考えて言ってない。

両親も、先生も、ホントに信じられなくて絶望してた。
両親は、小学生の頃はいつこぶ

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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記14.学校でニガテだったもの、ほんとにそうなの?

自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記14.学校でニガテだったもの、ほんとにそうなの?

中学生活も半ばになると、あの頃のワタシはどこへ!?ってくらい自信も自尊心も失っていった。

部活ではパートのメンバーに仲間はずれにされ、誰とも話せなかった。
理由は、いまとなっては全くわからない。そんなものだろう。
練習もキライだったし休みたかったけど、昭和の部活には”休む”っていう選択肢はなくて、しかもどういうわけか、「金賞ねらうぞ!」って学校だったもんでなんと、土日も朝から晩まで練習だった。夏

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