自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記22.なにをやっても中途半端
短大生だった頃のワタシは、ひとり暮らしがしたくてたまらなかった。クラスの友人や、サークルの子がひとり暮らししているのが羨ましくて仕方なかった。通学に1時間半くらいかかっていたこともあるが、とにかく母と離れたかった。
その頃、父が実家との二重生活をしていた。父の実家は農家で、祖父(つまり父の父)が亡くなってしまったので、父が後を継ぎ農業を手伝うため住み込み生活をしていたのだった。
母はとても愚痴っぽいヒトで、そんな父や父の実家のことをいつも私たちにぶつぶつ文句を言っていて、弟たちはどう思っていたかわからないが、ワタシは母の言うことを信じていて、父の実家(特に祖母。母にとっては姑)にいい感情をもっていなかった。
そんなこともあり、母の機嫌はいつもよくなくて、なにかっていうと小言を言われた。その頃のワタシはサークル活動が楽しくて、夜は遅くなりがち。ていうか、ヒトの家に泊まるのも大好きだったのでよく家に電話して「泊っていい?」と許可を得るのだが(昭和なので家電)、母からはほぼダメと返ってきた。
遅い時間に帰るのも叱られた。鍵をかけられ閉め出された日もあった。
なんで?
よその家の子は全然叱られないのに?
弟たちは遅くなっても全然何も言わないのに?
自由にさせてくれない母が、本当に嫌だった。
思うけど、親が何かを反対するのって、なんか意味があるんだろうか?
反対したって子どもは何とかして自分のしたいようにやろうとするんだよ。
ワタシはあの時、友だちの親御さんのように、ワタシを信じて「いいよ」って言ってほしかった。ちなみに親御さんにダメを出されない子ほど、泊まる率が低かったのも何か関係があるのだと思う。それだけ家が居心地のいい空間だったのだろう…皮肉な話だ。
そんなこともあり、ワタシはこの環境から一刻も早く抜け出すため、早く働きたいと思うようになっていった。なんとなく、就職すりゃあいいんでしょ、そうすりゃ文句言われなくなるんでしょって思いがあった。
いま思えば気質的に当然かもしれないが、ワタシはバイトが本当に続かなかった。学校やサークルなどの交遊関係で疲れてしまうのに、その上バイトなんてそりゃしんどいよね
といまなら思うが、その頃のワタシは自分を情けないとは思いつつも、そんなところだけは親に甘え、そしてダメと言われればキレるという、非常にダメダメ人間だった。
そう。
ワタシは、バイトもろくにできないし
勉強も大して成績良くもないし
本当にモテなくて
表面上は生活を楽しんではいたものの、相変わらず
はぁ、自分てロクでもないなぁと思っていた。
自己肯定感をあげる要素は、ずっと無いままだった。
もしよろしければサポートお願いします!! 動画制作等の資金にさせていただきます