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自己否定からの解放ー自分を知り荒波を乗り越えたワタシの半生記17.変わった学校、だから惹かれた

高校は、本当に行きたくて入った学校だった。のちに母が「あの時の頑張り”だけ”はホンモノだったね」と何度も嫌味を言ったほど。偏差値的には足りなくて「そこはやめとけ」と担任以下、学年の先生に反対されたがワタシは「絶対行く」と決めていた。そこは全国で初めての総合選択制高校。ワタシたちの代は2期生で、つまり、先輩は1期生しかいなかった。

なにがワタシをそんなに惹きつけたのだろうと、いま不思議で仕方ないのだが、ひょっとすると、あの学校に行ったからこそ、ワタシの「ヘンさ」が明るみになり、多少なりとも認識することができたのかもしれない。

新設で、「全国で初めて」のうたい文句。
ヒトと違ったことをしたがる、HSS型HSPの気質が表れている。
普通科の進学校なんかにうっかり行っていたら、どうなっていたかわからない。

中学の先生たちに絶対やめとけと言われ猛勉強した結果、あとから高校の担任が面談で語っていたところによるとめちゃくちゃ上位で合格していたらしく、はじめは「さぞやいい生徒だろう」と、とても期待されていたようだ。

しかし。
そう、ワタシは勉強をするためにそこに入ったのではない。新しいことがしたくて、変わったことが出来ると思って入ったのだ。ワタシは選択制をいいことに、「フルート」や「合奏」、英語の歌を歌う授業など、まったく受験に活きないような、好きな授業ばかりをとっていた。そして事あるごとに「そんなんじゃ受験できないぞ」と担任から注意を受けたが、絶対言うことを聞かなかった笑。中学生のときから変わらず、ワタシは大人、上から決めつけてくる先生が大キライだった。大変残念なことに、担任がマジでそのタイプだった。そして重ねて残念なことに、クラス替えがない学校だったため、ワタシは彼と3年間をともにする羽目になったのだった。

2年生くらいだったか、三者面談でその担任がため息交じりに「いやぁ、娘さんは頑固ですねぇ」とワタシの母に愚痴っていたのを今でも覚えている。母は平謝り笑。

3年になり、周囲が受験モード一色になりだしたころ、担任はワタシをすっかり諦めた。ワタシにはなんも言わなくなり、本当にほったらかしにされた。ワタシの両親は「女だから高卒でいいだろう」と思っていたようなのだが、周りが当然のように受験していたので「ワタシも行きたい」と駄々をこね、短大を受験することになった。

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