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土竜のひとりごと

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エッセイです。日々考えること、共有したい笑い話、生徒へのメッセージなどを書き綴っています。
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#生き方

第40話:勉強って?

第40話:勉強って?

西日暑き土間の机に人向かふ垣間見しより何のあくがれ

自分の記憶に誤りがなければ、これは高安国世という歌人の歌である。
頃は夏の夕方、西陽がジリジリと照りつける中で、ある青年が土間に置かれた机に向かい一心不乱に書と向き合っている。作者はふと通り掛かってそれを見たのだろう。その光景に「この胸に起こる憧れは一体何か」と自問しながら一瞬立ちすくんで見たのである。
作者の感じたものが求めて得られなかったも

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草を取るおばあちゃん

草を取るおばあちゃん

車を走らせていると、前の車に時々「いいもの」を発見する時がある。

「これは何?」と思って信号待ちで撮ってみたのが次の写真。幼稚園にでも置くのだろうか?形は郵便ポストに似ているが、ポストのリサイクル?なのだろうか。

次は鎌倉に行く遠足のバスの前を走っていた車。高足ガニの料理に携わっている人の車か?

ちなみに内容をかいつまんでメモすると、「俺が高足ガニを語る時」と題して、俺と高足ガニとの付き合い

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定時制野球部物語:Re

定時制野球部物語:Re

日本人は野球が好きで、野球には格段の思い入れがあるようである。高校でも、今でこそその勢いはサッカーに押されつつあるが、野球部と言えば、夏の甲子園が全国放送されたり、地区予選には全校生徒を駆り出して応援に出かけたりと、非常に特別で「聖的」な匂いのする部活である。

野球部員と言えば、坊主頭に一年中真っ黒な顔をした、見るからにスポーツマンをイメージするし、その監督と言えば、やはり生徒からも一目置かれる

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つらいとき

つらいとき

僕は教員になってもう40年が過ぎました。初任から16年間は普通高校、いわゆる進学校に勤務していました。ただ自分でもよくわからないのですが、年を追うごとに「これが本当に僕のやりたいことだったのか」という疑問が強くなり、そこから10年間「放浪」してみました。

生活のために教師という身分を保っての異動なので「放浪」などと言うのはおこがましいのですが、それでも違う世界を見てみたいという思いに駆られて、特

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他人から他者へ・新しい関係:Re

他人から他者へ・新しい関係:Re

不思議なことに、カミさんは猫の気持ちを代弁する時に、それが人であれば本人と言うべきところを、なぜか本ニャンと言ったりする。

例えば、「本ニャンには本ニャンなりの考えがあるらしい」とか、「本ニャン的には相当ショックだったらしい」とか。カミさん的には、このニンとニャンの音の響きが、人と猫の間をつなぐ「絆:キズニャ」ということになるらしいのだ。一方の本ニャンは気ままで、愛情など、どこ吹く風。してほしい

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第17話:飾る

第17話:飾る

トシゴロの娘は自分をきれいに見せたいものらしく、また男の子も自分を格好よく見せたいものらしい。双方の思惑が成功すれば男女の仲というのはうまくいくはずなのだが、そうは問屋がおろさないのがまた世の中というものらしい。

僕の生まれにはそもそも「飾る」という観念が存在しなかった。片田舎の百姓家で育ち、オフクロはたまの外出の折にはそれでも口紅など付け、オバアチャンは白髪を染めていたりするくらいで、身近にい

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僕のほんとうの顔?

僕のほんとうの顔?

去る2月19日は僕の61回目の誕生日だったが、生徒がお菓子をくれたその袋に僕の似顔絵が書かれていた。

こんな感じに見えるらしい。似ているような気もするし、そうでないような気もする。若く見える?と自分では思っているのだが、最近、生徒にはジジイ呼ばわりされることが多くなった。

顔はその人を表すと言うが、それはその人の「人格」が顔に現れるということを意味するのだろう。僕らは自分がひとつの「人格」を形

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ぽつんと一軒家

日曜の夜は「ぽつんと一軒家」を観る。カミさんは「イッテQ」を観たそうなので、何となくたまに観る。大河ドラマは録画して置いて別の日に観ることになっている。

多くの同じ世代の人が結構「ぽつんと一軒家」に嵌っていると聞くのだが、確かにいい。あんな暮らしがしてみたいと思ってみたりする。何だか、ただただ忙しく毎日が過ぎていくと、やむにやまれず、ああ自然の中で原点に帰りたいと思うのかもしれない。

紫陽花が

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多様性について考えてみたこと②

多様性について考えてみたこと②


ただ、僕は、そうした考え方の広まりや営みを画期的な革新と思いながら、一方で、この「多様性」という言葉に「ひっかかり」を感じてもいる。

それは、簡潔に言えば「多様性」という言葉が聖域化して、犯してはならない禁忌のようなスローガンになりつつあるように感じられることへの生理的な抵抗感かもしれない。


具体的に言えば、ひとつには、多様性ということがどこまで広がり得るのかということへの疑問である。

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多様性について考えてみたこと①

多様性について考えてみたこと①


LGBTの問題は僕の勤務する田舎の学校にも波紋をもたらすようになってきていて、数年前に「女性の身体を持つが心は男性である」生徒を迎え入れることになった。

学校というところは、最も若い世代が住む空間であるが、世相への対応は概して遅いと言えるかもしれない。一般企業の実情を知っているわけではないが、社会の最後尾を歩いている感じがしないでもない。

保守的と言えばそうも言える。好意的に言えば、それは

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ケータイ

ケータイ

久しぶりに会った友達が「おまえでもケータイ持ってるのか?」と驚いて聞くほど僕は文明のニオイがしない人間であるらしい。

定時制に勤めていた時、生徒が「連絡が取れなくて面倒」という理由で「オレのプリペイドのやつで使ってないのがあるから、やるよ」ということになりケータイを持つことになったわけである。

便利である。ケータイはまずつながる。つながらなくても着信が残るから後で必ずつながる。連絡手段としては

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第7話:生と死について考えてみたこと

第7話:生と死について考えてみたこと

■我が家の猫

猫が陽の当たる居間で昼寝をしている。わが家の猫はサビ猫という種類で決して美しくはない。家の中で見るとそうでもないが、外で見るとコンクリート色の薄汚い貧相な猫に見える。
そう言うとカミさんは「かわいそうに」と猫をかばうのだが、そのカミさんの愛情によって結構いいキャットフードを食べているせいか、毛並みはいい。ふかふかつやつやしている。
それを撫でていると、「猫は毛物(ケモノ)なんだなあ

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第14話:走る

第14話:走る

「走る」などというタイトルはおよそ僕には不釣り合いで、運動という言葉すら最近は遠い存在になりつつあることを感じたりする。今の僕の姿を知っている人には信じられないかもしれないが、僕は走ることが割合に好きで、特に高校、大学時代には相当に走った。

高校時代には、部活動の練習自体は無論のこと、冬の早朝には狩野川の堤防を走ってみたり、休日の部活動は家から走って学校に行ってみたり、引退してからも勉強がうまく

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第41話:友人からの手紙

第41話:友人からの手紙

大学の同期に妙な奴がいて、彼は高校卒業後、就職し、5年間勤めた後に大学に入って来た。そこで僕は彼と知り合ったのだが、いつも黒いジーパンに黒のTシャツを着、不精髭にボサボサの頭をし、顔立ちも独特の風貌をしていた。

アフリカに行くのが夢だと学生時代は言い、国文科にいながらスワヒリ語と英語を勉強していた。仕送りはゼロ。泊まり込みの新聞配達のアルバイトで生活の資を得ていた。
大学卒業後もそのアルバイトで

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