見出し画像

つらいとき

これは生徒に「共通テストまであと120日」というタイトルで書いてみた文章です。完全に生徒向けの文章ですが、困難と向き合った時のひとつのメッセージとして書いたものです。もしよろしければお読みください。

僕は教員になってもう40年が過ぎました。初任から16年間は普通高校、いわゆる進学校に勤務していました。ただ自分でもよくわからないのですが、年を追うごとに「これが本当に僕のやりたいことだったのか」という疑問が強くなり、そこから10年間「放浪」してみました。

生活のために教師という身分を保っての異動なので「放浪」などと言うのはおこがましいのですが、それでも違う世界を見てみたいという思いに駆られて、特別支援学校(当時養護学校)3年、定時制高校3年、図書館に4年、10年間を言ってみればプチ放浪してみたことになります。

10年間のブランクは進学校に帰って来てみると厳しいものとしてのしかかってもきましたが、でも同時にこの10年間はブランクとは言えない貴重なことを僕に教えてくれました。
いま皆さんに少し養護学校と定時制で接した生徒たちのことを少し話してみたいと思います。個人的な微妙な問題もあります。善処をお願いしたいと思います。

まず養護学校で接した幾人かの生徒。

A君は知的障害。小学校までは普通の学校に通っていましたが、中学から養護学校に来ました。普通学校では能力的についていけないからですが、読み書きもでき、会話も成立します。ただ、小学校時代にかなりいじめられたようで心に大きな痛手を持っていていました。
B君は自閉症。割と軽い自閉症ですが、突如として自分を傷つける行為に及んでしまいます。大きな声をあげて自分をたたく、つねる、かじる。収まるまでしっかりと抱いてあげます。自分で言葉を発する力はありません。ただ決められた作業は正確にこなします。
Cさんも自閉症。会話は成立しません。自閉症で一番難点である他傷行為、他人に危害を与えてしまう生徒でした。僕らの手や腕にも傷が絶えませんでした。障害ゆえか我儘な行動が多く、気を引くためにわざと悪いことをしてみたりもします。
D君はダウン症。ダウン症の生徒は穏やかでにこにことしています。元気よく動き、率先して仕事をやってくれますが、時々頑固になって梃子でも動かないことがあります。
Eさんはてんかん。いつ発作が起こるか分からないのでいつもヘッドギアをつけ、常によだれが出てしまうのでエプロンをかけています。中学生なのですが小学校低学年くらいの体つきです。
F君は自閉症。家庭が壊れ施設に預けられていて愛情に過度に敏感です。決められたことは決められた通りにやり力も高いのですが、決められた通りに事が運ばないとパニックを起こしてしまいます。会話は成立しません。
G君はてんかんを持っています。障害は重く、歩行も介助なしでは難しい。排せつもコントロールできないのでおむつをつけています。会話は成り立ちませんし、視線も定まりません。

受け持ったのは1学年15人でしたが、言葉を言葉として発することのできる生徒は7人、着替えが自分でできる生徒も7人、意志疎通がうまくいかなかったり、介助がなければ生活できない生徒も多くいました。


次に定時制で出会った生徒。
僕が受け持ったクラスは24人で今の定時制としては結構多い人数で、既に20歳以上になっている生徒が半数以上でした。

Hさんは非常に優秀でした。中学時代にとても悲しい経験をしたようで普通の生徒が歩む道を歩めなくなってしまったと聞きました。ただそれが何かは語ってくれませんでしたし、こちらも聞こうとはしませんでした。
Iさんは朝の3時から新聞配達をして働いていました。苦しい家計を助けるにはそうせざるを得ず、普通高校への進学もあきらめました。彼女の指は冬になると見ていられないくらい赤切れて血が滲んでいました。
J君は高校に進学しましたが、結構な悪さをして中退、定時制に入ってきました。学校が21時に終わるとそのまま働きに行き、夜が明けるともうひとつ別な仕事に行き、一日中働いていましたから、学校ではほとんど寝ていました。起こすと「学校でしか寝られないんだ」と言っていました。
Kさんは台湾から来ました。日本に働きに来ていた母親が日本人と結婚したため日本に移住したのです。台湾では有数の高校に通う優秀な生徒だったそうですが、日本では家計が苦しく言葉も通じないため定時制に来ました。昼間はアルバイトをしていましたが、そのお金はみんな親がパチンコに使ってしまうのだと嘆いていました。
L君は引きこもりでした。7年間の引きこもりを経て、20歳になって定時制に来ました。人と接することが苦手で、殆ど一人でいましたが、1年が終わるころ一緒に飲む機会を作ってみたところ、それをきっかけに仲間を意識できるようになりました。
M君は小学校6年生から一切ことばを発していません。何か衝撃的なことがあったのかもしれません。ただ、クラスでは人望があり、彼が野球が好きだったので、クラスの連中がほとんど参加して野球部を作り、大会に出たりしました。卒業して半年くらい経って彼の家を訪れたとき、何事もないように彼が言葉を発し普通に会話してくれました。その時のうれしさは言いようもありませんでした。
N君は最年長の35歳。暴走族とか悪さもしたようですが、僕が出会った彼は礼儀正しく、社会人として自立していました。クラスの長老としてクラスをよくまとめてくれました。結婚式にも呼んでくれたので出席しましたが、同じテーブルは皆暴走族時代の仲間で困ったりしました。
O君は刺青が原因でC型肝炎になり、悪い道から足を洗う決意をして定時制に編入してきました。刺青を消す治療をしたため、ほぼ全身ケロイド状にただれ、C型肝炎が肝硬変、肝臓癌に進行するのを恐れていました。ムラも激しかったのですが、良い兄貴分としてクラスの雰囲気をよく作ってくれ、みんなの団結を強いものにしてくれました。大学に合格しましたが、結局お金が工面できず進学しませんでした。
Pさんは病気でした。血尿がおさまらず、原因も特定できず、いつまで生きられるかわからないという状況の中で必死に病気と闘っていました。でも明るく、いつもすがすがしい対応をしてくれました。

24人がそれぞれが一篇の小説になるような重いドラマを背負って必死で生きているのが定時制でした。

特別支援学校も定時制も、きれいごとでは済まない数々のこともありましたが、数々の不幸を背負いながら、言い訳の許されない状況の中で生きている彼ら彼女らの人生は敬服に値するものでした。

今、みなさんにこんなことを言って、僕は彼ら彼女らと皆さんを比較し
「君たちは恵まれている」
などと言う気はさらさらありません。
そもそも比較というのはむなしい作業です。

確かに皆さんは塾に通わせてもらったり、大学に行かせてもらえます。それを当然だと思っているかもしれませんが、自分が働いたお金をパチンコに使ってしまう親を持つ高校生からすれば確実に恵まれています。
そう言えば皆さんは親に学校に送迎して貰うことがあるかもしれませんが、それさえ比較においては恵まれた家庭にいるひとつの証拠と言えるでしょう。

あるいは障害のある子供を持つ親の事も考えてみましょう。大変な苦労をしています。自分の子が障害者であることを受け入れなければならなかったこと。日々の生活の疲れから家庭が崩壊していくケース。世間からの偏見の目にもさらされています。
障害者は100人に3人の確率で生まれると言われますが、自分が障害のある子供を持ったときのことをイメージしてみてください。「神は苦難を乗り越えられる人にしか苦難を与えない」と慰められても拭えない様々な苛立ちや不安は消えません。それでもみんな明るく強く必死で生きていました。それを考えれば皆さんは恵まれていると言えます。

ただ、不幸というのは相対的なものではありません。比較できるものでもない。例えば単純に彼ら彼女らには皆さんが感じているような受験へのプレッシャーや不安はないと言えます。

でも、その上で、こういう人生を送っている人がいることは知ってほしいと思います。それは、繰り返しになりますが、「自分ばかりが苦しんでいるのではないことも知ってほしい」からではありません。
人にはそのそれぞれが克服していかなければならない課題があって、それを乗り越えていくことが、それぞれに与えられた生を生きることだということを知ってほしいからです。
僕らは自分に与えられた自分の課題から逃れることは出来ず、自分の置かれた場所で常に最善を尽くすことが求められています。それが僕らが生きるということであるわけです。

ですから自分の置かれた場所で毎日をひたむきに生きましょう。
今、君らの置かれている状況は、これまで生きてきた中でたぶん初めての大きな困難です。ですが、自分に与えられた困難に向かい合う貴重な体験とも言えます。

結果ではありません。結果などどうでもいい。他人を見ても、偏差値と自分を比べるのもたいした意味はありません。合格した喜びも、落ちた挫折感も共に大切です。
でも「頑張った」という自分に対する信頼は、この後、70年も生きる人生の中で皆さんを支えてくれる力になります。
ひたむきに自分と向かい合う。大切なのはそれだけと言っていい。

比較は無意味と言いながら、最後に比較をしますが、ここに紹介した生徒たちとみなさんが最も違うのは、皆さんのぶつかっている苦難には出口があり、むしろ輝かしい未来につながっているのに対して、彼ら彼女らの人生には出口を見出すことがとても困難であるということです。

ぜひ頑張って「自分」を克服してほしいと思います。
頑張るだけが大切なのではありません。頑張れない時に、どう自分をうまく逃がすかも大事な勉強です。
もし、こんな話が、あなたがつらいと思った時に、ちょっと参考になればと思い書いてみました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?