見出し画像

第14話:走る

「走る」などというタイトルはおよそ僕には不釣り合いで、運動という言葉すら最近は遠い存在になりつつあることを感じたりする。今の僕の姿を知っている人には信じられないかもしれないが、僕は走ることが割合に好きで、特に高校、大学時代には相当に走った。

高校時代には、部活動の練習自体は無論のこと、冬の早朝には狩野川の堤防を走ってみたり、休日の部活動は家から走って学校に行ってみたり、引退してからも勉強がうまくはかどらずにむしゃくしゃすると走りに出掛けたりしていた。

例えば高校時代、マラソン大会では3年間、全校900人くらいの中で、いつも1桁の順位で走っていたし、高校2年生の時のマラソン大会は前日の夜に38.5度の熱が出たが、夜、布団の中で一生懸命汗をかいて熱を下げ参加したりもした。

大学時代も練習から戻って夕食を済ませると、夜8時か9時頃に再びランニングに出掛け、多摩川の堤防を10キロほど走った後、川べりの公園めいた所で、時には2、3のアベック(今はカップルと言うそうだ)にウサンクサソウに見詰められながら、素振りとトレーニングをして下宿に帰るということを基本的な日課としていた。

ほとんど馬鹿者のように走ったのであって、当然、兄貴にはほとんどバカ呼ばわりされていたが、それはまっとうな評価だったのかもしれない。でも、「走る」ことが僕にとって生活の一部になっていた時代もあったのである。


教員になってからは当然のことながら、走ることが少なくなった。それでも若い頃は部活動の生徒と一緒に走ることも多く、3年間くらいは生徒に負けずに走っていたのだが、それ以後は次第に生徒にくっついて行くのがやっととなり、しまいには走らなくなった。

幼稚園や小学校で保護者が参加するリレーがあったりすると、気持ちだけは前に向かうのだが足がついていかず、ほとんど前のめりに転ぶ寸前の惨めで不格好な姿をさらし、「なぜだ?」と、歳なんだから諦めればいいのに諦められずに自問自答してストレスをためたりもした。

ずっと部活動でテニスの顧問をしてきたが、これも最初は練習に混じって生徒と打っていたのが、だんだん動けなくなり、ストロークやボレーの上げボールだけをするようになり、やがてそれもしなくなり、ベンチに座って口だけを動かすようになった。
たまにラケットを持ってコートに入ろうとすると生徒に「大丈夫ですか?」と気を遣われるほどになっている。

煙草ばかり吸ってきたから体の衰えはテキメンだし、走ろうという気持ちもなくなったということなのだろう。「精神的に向上心のないものはばかだ」などという声が聞こえて来そうだが、そのくせ、かつての自分にあった試合に向かうあのピリピリした緊張感や、馬鹿みたいに走って汗をかいていた自分を懐かしく思い返したりしたりもして、それが「喪失」みたいに感じられてしまったりしているのである。

人はなぜ走るのだろうか?

僕はバカだったのだろうか?

と思ってみたりするのだが、その問いは

人はなぜ懸命に生きようとするのだろうか?

という問と同義であると言えなくもない。

登山もそうかもしれない。
勉強もそうかもしれない。
仕事もそうかもしれない。

実はこの文章は20代に書いたものを掘り出して加筆修正を試みたものだが、この後の締めくくりに、20代の僕は「馬鹿みたいに汗をかこう!」と生徒に訴えていた。単純だなあと思いつつ、そんな明快さも懐かしく、没原稿にしようとも思ったが、復活させてみた。

老体に鞭打って「馬鹿みたいに汗をかこう!」と自分に言ってみたい。

(土竜のひとりごと:第14話)



■たぶん「人が懸命に生きる理由」の答えとして妥当かなあと思うものはこちらに書きました。もしよろしければ、ご覧ください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?