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第17話:飾る

トシゴロの娘は自分をきれいに見せたいものらしく、また男の子も自分を格好よく見せたいものらしい。双方の思惑が成功すれば男女の仲というのはうまくいくはずなのだが、そうは問屋がおろさないのがまた世の中というものらしい。

僕の生まれにはそもそも「飾る」という観念が存在しなかった。片田舎の百姓家で育ち、オフクロはたまの外出の折にはそれでも口紅など付け、オバアチャンは白髪を染めていたりするくらいで、身近にいる誰もがほとんど化粧ともファッションとも無縁だった。そんなのと比較しないで!なんて声も聞こえて来そうだが、だから世の中はそんなものだろうと思っていたのである。

ところが大学に入り、東京に出ると、周囲の様子は一変した。
学部の女子たちはきれいに着飾り、指には指輪、爪にはマニキュア、耳にはイヤリング、目にアイシャドウ、髪にパーマ、首にネックレス、腕にブレスレット、口に口紅、頬に頬紅。喫茶室の椅子に足を組んで煙草なんかふかしていた。

そこで僕の価値観も大いに動揺することになったのだが、ただ僕はマニキュアの爪を見ても別段美しいと感ずることもなかったし、アイシャドウの目を見てもその目にひかれて思わず恋に陥るというようなこともなかった。ただ、赤く塗ったり、黒く塗ったり、女性というやつはひどく大変なんだななどと漠然と思っただけだった。
珍味と言われているフォアグラを初めて食べた時、あまりおいしさを感じなかった時のような感覚だろうか。

飾らない素朴な笑顔。
化粧は他の人に見られないように。
コーヒーカップの口紅はさりげなく拭き取る。
口紅のついた吸い殻はティッシュにでもくるんで持ち帰る・・。

♪  爪も染めずにいてくれと女があとからなけるような泣けるよな哀しい嘘のつける嘘のつける人 ♪

時は移る。
中条きよしの歌ではないが、僕は、女性にそんな「嗜み」を求めてしまう偏見の中にいたのかもしれない。これは意味深長な言葉だが、高校時分の国語の先生は「女の美は羞恥心である」と折あるごとに言っていた。今であればセクハラで吊し上げられていたかもしれない。

ところが、いつの頃からか男子の化粧も普通のことになってきて、Mattが現れた時はそれなりに衝撃も受けたが、高校生も卒業すると、即刻、髪を赤や金や紫に染め、耳に、中には鼻にもピアスの穴をあけて挨拶に来たりもする。
大学生になって夏休みに遊びに来ると、女子も「爪」が異常であったりするが、男子も「それ何?」と思うくらい髪の毛が訳のわからないことになっていたりする。

女性の化粧ということさえ美の観念として持ち得なかった僕は、男の化粧などばかばかしいくらいにしか思ってこなかったのだが、ただ、先日、鈴木紀之氏の『すごい進化』を読んでちょっと衝撃を受けた。

中央公論社のHPには次のように紹介されている。

スズメバチにうまく擬態しきれないアブ、他種のメスに求愛してしまうテントウムシのオス。一見不合理に見える生き物たちのふるまいは、進化の限界を意味しているのか。それとも、意外な合理性が隠されているのだろうか。1970年代に生物学に革新をもたらした「ハンディキャップ理論」「赤の女王仮説」から最新仮説までたっぷり紹介。わたしたちの直感を裏切る進化の秘密に迫る!

中央公論社のHP

生物の進化から「世界」を解き直ししている本である。
その中にクジャクのオスの羽が何故あんなに大きく派手なのか?ということについて書かれた部分があって、これを抜粋しながら適当な要約を試みると、

それは経済性を度外視した非常識に見える。繁殖のためにメスを惹き付ける手段だが、飛ぶにも、捕食者に狙われる点でも、生存と成長を生物の本来の目的とすれば、甚だ効率的ではない。むしろ生存の危機を招きかねない無駄だと。

だが、それは、そうではない。

生存する力の弱いオスに着飾る「余力」はなく、それができるオスはその生存能力の高さゆえに「余裕」をもって着飾るのであり、その無駄、派手な羽に現れた「余裕」が、そのオスの生存する力の強さとしてメスを惹きつけ、安心の対象として選ばれる

と言うのだ。

これを見て、僕は「あー、僕がモテない理由は、身長が170cmに満たないことではなく(それもそうかも?)、ここに在るんだ」と何だか妙に分かった気がした。
「余分」なことをする「余裕」が、生きる力、生活力の指標(すてきな人)として異性に選ばれる・・。

少し広げて考えれば、趣味で絵をかく人、俳句を作る人、山登りに出かける人、バイクに乗る人、釣りをする人、ボランティアに参加する人、世界を歩く人・・。
そういう「余分なことをしようとする余力」が魅力なのだと言われてみれば確かにそうだ。

僕はなんと真面目に、仕事だけに、ちまちま、あくせく生きてきてしまったことか。

これまでの生き方を深く反省し、夏休み中に金髪にし、鼻ピアスを付け、赤いスーツで二学期から学校に行くことにしよう。そうすれば、ちょっとは女生徒が近寄って来てくれるかもしれない・・と考えてみた。

無意味な妄想である。

(土竜のひとりごと:第17話)



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