マガジンのカバー画像

記事集・K

26
川端康成関連の連載記事、および緩やかにつながる記事を集めました。
運営しているクリエイター

#小説

織物のような文章

織物のような文章

【※この記事には川端康成作『雪国』の結末についての記述があります。いわゆるネタバレになりますので、ご注意ください。】

縮む時間の流れる文章

 川端康成作『雪国』の終章の前半である、縮(ちぢみ)について書かれた部分には――「縮」だから「縮む」というわけではありませんが――縮む時間が流れています。

 この小説では、縮織は縮(ちぢみ)と書かれていますが、縮は産物であり製品です。

 たとえば、ある

もっとみる
「めずらしい人」(錯覚について・03)

「めずらしい人」(錯覚について・03)

 川端康成の掌編小説『めずらしい人』は次のように始まります。

 地の文で「めずらしい人」と括弧でくくることで読者の興味を惹いています。括弧付きなのですから、意味ありげで訳ありっぽく見えるわけです。

 めずらしい人に会うのはめずらしい出来事ではありませんが、それが度重なるとめずらしいことになります。しかも三日おきか五日おきにめずらしい人に会う人こそ、めずらしい人だと言えるでしょう。

 冒頭の数

もっとみる
「ない」文字の時代(かける、かかる・02)

「ない」文字の時代(かける、かかる・02)

 川端康成の『反橋』は次のように始ります。

 興味深いのは、この歌を覚えて帰った語り手の「私」の手によって歌が書き写され、それが切っ掛けとなって、絵や他の歌へと話がつぎつぎとつながっていく展開になることです。

 歌が架け橋になっていると言えます。

 かけはし、架け橋、掛け橋、懸け橋、梯、桟。

 当然のことながら、「書く」と「かける」と「縁」という言葉が頻出します。連想が連想を呼ぶように、さ

もっとみる
話しかける、話しかけられる(かける、かかる・01)

話しかける、話しかけられる(かける、かかる・01)

 誰なのか。

 このように作品の冒頭で話しかけられると、「誰なのだろう?」と読む人は迷うにちがいありません。

 話しているのは誰なのか、話しかけられている相手は誰なのか、と。

     *

 ものいいかける、話しかける、呼びかける、問いかける。

 肩に手をかける、相手の顔に息を吹きかける、相手の顔に唾をかける、相手に言葉をかける。

「かける」ことで相手や対象とのかかわりあいの切っ掛けを

もっとみる
わける、はかる、わかる

わける、はかる、わかる

 本記事に収録した「同一視する「自由」、同一視する「不自由」」と「「鏡・時計・文字」という迷路」は、それぞれ加筆をして「鏡、時計、文字」というタイトルで新たな記事にしました。この二つの文章は以下のリンク先でお読みください。ご面倒をおかけします。申し訳ありません。(2024/02/27記)

     *

 今回の記事は、十部構成です。それぞれの文章は独立したものです。

 どの文章も愛着のあるも

もっとみる
人が物に付く、物が人に付く

人が物に付く、物が人に付く

 今回は「付く、附く、着く、就く、即く」(広辞苑より)について書きます。人と物との関係について考えたのです。

 まず、古井由吉のエッセイで「付く」という言葉がつかってある興味深い一節があるので引用します。記事の最後では、川端康成の小説で出会った、警句のような趣の掛詞も紹介します。どちらも、物がキーワードです。

 人が物に付く、物が人に付く。

「椅子の上にも十年」
 タイトルから察せられるよう

もっとみる
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」(連想で読む・01)

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」(連想で読む・01)

 川端康成作『雪国』の冒頭の段落を引用します。


「国境」(くにざかい)と言えば、国境(こっきょう)を連想しないではいられません。私自身「くにざかい」という言葉を日常生活でつかった記憶はありません。県境(けんざかい)ならつかいます。

 たとえば、岐阜県だと飛騨と美濃の国がかつてあって、いまは飛騨地方と美濃地方と呼ばれています。

 飛騨の北には越中国(えっちゅうのくに)があり、それがいまは富

もっとみる
『雪国』終章の「のびる」時間

『雪国』終章の「のびる」時間

『雪国』の終章では二つの時間が流れています。「縮む時間」と「のびる時間」です。「縮む時間」については「伸び縮みする小説」と「織物のような文章」で詳しく書きましたので、今回は「のびる時間」に的を絞って書いてみます。

 ここからはネタバレになりますので、ご注意ください。

     *

「のびる時間」というのは、火事になった繭倉の二階から葉子が落下する瞬間が、くり返し描かれるという意味です。

 

もっとみる
ひとりで聞く音

ひとりで聞く音

 ひとりで聞く音は寂しいものです。ひとりだけに聞こえる音は不気味さをもたらします。寂しいと感じ不気味だと思うそばには他人のまなざしがあるのではないでしょうか。その他人は、おそらく最期の自分でもあるのです。

「おずれ」と「おずれ」
 川端康成の『山の音』の冒頭には、主人公の尾形信吾(おがたしんご)の家に半年ばかりいて郷里に帰った「女中」の加代の話が出てきます。

 散歩に出るために下駄を履こうとし

もっとみる
葉子を「見る」「聞く」・その1(する/される・04)

葉子を「見る」「聞く」・その1(する/される・04)

 今回は『雪国』冒頭の汽車の場面で、葉子が島村から一方的にその姿を見られ、さらには声を聞かれる部分を見てみます。

 結論から言いますと、映っている現実(うつつ)は美しいということです。現実そのものではなく、映っている現実だからこそ、美しいのです。

エスカレート
 これまでの回をお読みになっていない方のために、この連載でおこなっている見立ての図式を紹介いたします。

・『雪国』(1948年・完結

もっとみる
人というよりもヒト(する/される・03)

人というよりもヒト(する/される・03)

 川端康成の一部の作品では、一方的に見る登場人物と、一方的に見られる登場人物が出てくるという話の続きです。

「相手に知られずに相手を見る(する/される・01)」で触れた、川端康成の一部の作品に認められる傾向がエスカレートするさまを、ここで再びまとめてみます。

・『雪国』(1948年・完結本出版)
 一方的に相手を見る、一方的に相手の声を聞く。
     ↓
・『眠れる美女』(1961年・出版)

もっとみる
相手に知られずに相手を見る(する/される・01)

相手に知られずに相手を見る(する/される・01)

「する/される」という連載を始めます。「「移す」代わりに「映す・写す」」で予告したものです。

 今回は、相手に知られずに相手を見る、つまり一方的に相手を見るという行為について、川端康成の『雪国』の冒頭にある汽車の場面を読みながらお話しします。

見立て
 川端康成の書いた膨大な数の小説(掌編・短編・中編・長編・連作・連載)のうち、一部の作品に流れている傾向に目を注いでみようと思います。

 傾向

もっとみる
トイレ同盟

トイレ同盟

 この歳になって、ようやく人に言えるようになったことがあります。

 私は人と会うことがきょくたんに少ない生活を送っているので、面と向って話した経験はないのですが、こうやってネット上で書けるようになったことがあります。

 とはいえ、やっぱり恥ずかしいので間接的にお話ししますね。

トイレ同盟
     〇 

 始業式兼対面式の翌日、中嶋慶太は早めに学校に着いた。
 校内は、しーんとしている。朝

もっとみる
伸び縮みする小説

伸び縮みする小説

【※この記事には川端康成作『雪国』の結末について触れています。いわゆるネタバレになりますので、ご注意ください。】

観光案内としても読める小説
 川端康成作『雪国』の最後の章では――章といっても一行空けて区切ってあるだけですが――、冒頭で縮織(ちぢみおり)についての話が語られ、最後は火事の話で終わります。

 この小説では、縮織は一貫して「縮(ちぢみ」」と表記され、『雪国』の舞台となる地方の縮をめ

もっとみる