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「分割された小さな目標」の効用と副作用
超絶卑近な話をするのだが、最近腹筋ローラーを再開した。いわゆるコロコロである。僕が最初にこれに取り組んだのは10年は前のことな気がするが、近年こそサボっていたが、意外と毎日これをする生活を何年も送っていた。といっても体に負担をかけないようにするため、膝立ちでコロコロしている。膝をつけない「立ちコロ」は、できなくはないが、負荷が強すぎるので、継続重視で膝コロである。膝コロでも、したことがない人がやっ
もっとみる他者がいなければ承認されない
『他者といる技法 コミュニケーションの社会学』(奥村隆)を少し読んだ。いい本で、ゴフマンやレイン、ベイトソン、それからシュッツといった面白い(社会)学者たちのエッセンス的な部分を実践的記述の中で味わうことができる。
扠て、社会学は社会の学だから、二人以上の人が存在する中で起きるもろもろを問題にする。とりわけ「コミュニケーションの社会学」をサブタイトルに持つ本書は、社会の最小単位としての二者関係(
転生的想像力について
これはほんの思いつきを語ることに過ぎないが、可能世界的想像力というものがあるのに対し、今の世界では転生的想像力というものが軸になっているのではないか。
可能世界的想像力は素朴にいえば「こうでないこと(自分)もありえた」と考えることであり、分析哲学以外に起源を求めれば虚構に関連する様々な思考と紐づけることができるから、おそらくギリシャまで遡ることができそうだ。とはいえ、ゲームのような全ての人間
絶対にしてはいけない「頭の悪い」話し方
こういう刺激的なタイトルをつけるのもいかがなものかと思ったが、しかし、これが一番伝わりやすいと判断してこうすることにした。
1+1が難しい
日常生活において用いているからといって日本語が上手に使えているとは限らない。これは比喩が上手いとかそういうレベルの話ではなく、そもそも人は「1+1=2」レベルの計算に相当するような日本語会話でも意外とちゃんとすることができない。生活においてそうだということ