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他者がいなければ承認されない
『他者といる技法 コミュニケーションの社会学』(奥村隆)を少し読んだ。いい本で、ゴフマンやレイン、ベイトソン、それからシュッツといった面白い(社会)学者たちのエッセンス的な部分を実践的記述の中で味わうことができる。
扠て、社会学は社会の学だから、二人以上の人が存在する中で起きるもろもろを問題にする。とりわけ「コミュニケーションの社会学」をサブタイトルに持つ本書は、社会の最小単位としての二者関係(
転生的想像力について
これはほんの思いつきを語ることに過ぎないが、可能世界的想像力というものがあるのに対し、今の世界では転生的想像力というものが軸になっているのではないか。
可能世界的想像力は素朴にいえば「こうでないこと(自分)もありえた」と考えることであり、分析哲学以外に起源を求めれば虚構に関連する様々な思考と紐づけることができるから、おそらくギリシャまで遡ることができそうだ。とはいえ、ゲームのような全ての人間
絶対にしてはいけない「頭の悪い」話し方
こういう刺激的なタイトルをつけるのもいかがなものかと思ったが、しかし、これが一番伝わりやすいと判断してこうすることにした。
1+1が難しい
日常生活において用いているからといって日本語が上手に使えているとは限らない。これは比喩が上手いとかそういうレベルの話ではなく、そもそも人は「1+1=2」レベルの計算に相当するような日本語会話でも意外とちゃんとすることができない。生活においてそうだということ
何もできないときに文章に向き合う意味
批評性というのは精神なので、どんな表現にも宿ります。しかし、批評をするということであれば、それは文章を書くことでなければなりません。批評とは文章のことであって、ちょっとしたコメントやトークが批評的であってもそれは批評そのものではない。批評的な作品があっても、批評の身体たる幹は文章なのであって、それも一定の分量がなくてはならない。どれくらい短い散文が(詩ではなく)批評として成立するかはわかりませんが
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