バイトはバイク便(片道350キロ)

2000年から、4年ほどは、バイク便で何とか生計をたてていました。
(色々なところに行ける、人間観察が出来る、多少自由がきく、発声練習や実況の練習が出来る、ほか)

声優の授業では、人間観察をするよう言われていたので、バイク便は結構面白かったです。

芸能人にも会えましたし、大手企業や、芸能プロ、官庁、大手金融機関、マスコミ、撮影所、建設現場、モデルの撮影現場、議員会館、など、

普段、一般人では

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何でも一流を見ろ

当時の石橋幸治ゼネラルマネージャーに、アナウンサーの勉強もしたいと申し出たところ、古閑なら専科からで大丈夫!と言われ、専科から受けさせていただけたのも大変助かりました。

今の、多くの現場のきっかけは、アナウンサーも出来る、という事で、仕事の幅が広がったので、今は感謝しかありません。

師匠と弟子、という関係もありですが、一流の方は、型、基礎はきっちりやりなさいと言いますが、他は、一流のものをとに

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声優の壁

2004年に、日曜洋画劇場の

「エイリアン2」

の吹き替えのお声が掛かりました。

新人は、普通最初は台詞は無いのですが、何とかテレビ朝日と言う事もあり、少しだけ台詞と、あとは 「ガヤ」という周りの声の雰囲気、あと、エイリアンに殺される叫び声、など、

100回以上は、もちろん練習して行きました。

ビデオをあらかじめいただいて、家で練習するのですが、なかなか本番ではイメージどおりにはいかない

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テレビ朝日アスク 感謝の連続

4月からは、隣の妙典駅の江戸川沿いのアパートを借りて、毎日江戸川の土手を走っていました。

テレビ朝日アスクの初期のレッスンを受けながら、3ヶ月は仕事をせずに、関東の様々なところへ行く事にし、東京タワー、新宿、渋谷、世田谷、江戸川、浅草、池袋、水戸、鎌倉、銚子、千葉から船橋まで歩いたり、埼玉、横浜、横須賀、などなど、とりあえず関東近郊を回りました。

その間、声優基礎科は、発声の基礎から、歌、体験

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死ぬこと以外、大したことない(父)

田舎者の自分が、東京の六本木のテレビ局関係の、しかもアナウンサーや
声優など、いつも声を聞いている先生にビビラずに付いて行けるだろうか?

不安はありました。

しかし、東京へ行くと決めたら行くんだと。

父は戦時中の人なので、

「死ぬこと以外、大したこと無い」
(今も座右の銘ですが)

が口癖でしたから、やるしかないと覚悟を決めて、2000年から、
テレビ朝日アスクで、声優基礎科からスタートし

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29歳、アナウンサーになれるか⁉

アナウンサーは高学歴の、大卒の方しかなれないと
思い込んでいました。

で、朗読が好きと言う事もあり、テレビやラジオのナレーター、
声優、というジャンルを片っ端から調べました。

図書館で調べたり、(当時はまだネット情報も少なく)、
声優雑誌を買いまくったり、NHKの講座を調べたり、
今ほど情報はありませんでした。

やはり、情報の中心は東京だと感じます。
(今でも感じます)

必死で探していたあ

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隣のおねえさん♪

<< 東京への決意 >>

小学時代、実はお隣のお姉さんが、RSK(山陽放送)のイブニングニュースに出ておられました。(後で聞くと、社員ではなく、フリーのような形だったかもしれませんが)

私が、一人でボール遊びをしていると、そのお姉さんが、笑顔でこんにちは~~~
と、爽やかに声をかけてくれるじゃあーりませんか(笑)

普通、憧れますよね(笑)

はい、憧れまして、アナウンサーっていいなあ、もてる

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ありがとうございます!!

経験が思わぬプラスへ

<< 20歳の頃は、スピーカーの音の検査員 >>

高校卒業後は、ONKYOの子会社の岡山オンキョーにて、
スピーカーの製造と、音の検査員を3年ほど勤めました。

ラインのスピーカーの箱詰めから、修理、音質の検査や
不良品の選別、周波数やリズム感など、行っていました。

この経験が後にアナウンスや講師に役立つとは

         夢にも思いませんでした。

水泳会場などの音量や音質なども気にし

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東京で何をするの⁉

では、東京で何をするのか、したいのか。

>>褒められた経験が・・>>
ボランティアで、良く司会や朗読は頼まれている自分がいました。

母親世代の女性からは、とっちゃん、声が良いわねえ、と褒められて
有頂天になったり、褒められて頑張っていたのはありました。

しかも、子供の頃のあがり症は、練習と共に段々軽減されたりで、
人前に出るのが、段々苦ではなくなってきていました。

流暢には読める、話せる(

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一度は何か勝負したい

しかし、30歳が近づくにつれて、だんだん東京への目標
と言うか、チャンスが無くなっていくのではないかという
不安が募ってきました。

ある意味、人に決めてもらった人生と言うか。
自分では自分で決めていたつもりだったんですけどね。
人生のどん底でした。

やはり自分の人生、一度は何か勝負したい、何か残したい、
という気持ちが沸々と湧き上がってきました。

29歳の時、意を決して、父親に小さい頃からの

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