こにたん

生きづらい世の中で、考え事や日頃の出来事を綴ります。

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マガジン

  • フィルムでなぞる記憶

    一生の中で、一度しか来ない瞬間。

  • 暮らしのつぶやき

    そっと動いた気持ちを、まだ心が冷めない間に残します。

最近の記事

  • 固定された記事

《自己紹介》

このアプリで、思った事を憚り無く好き放題書いている割に、自分のプロフィールを隠していることが申し訳なくなってきてしまった。 <ルーツ> 佐賀県の呉服屋と医者がどこかで交わり、さらに南大阪の地主が交わった系譜にある。 趣味や学問は自分で決めてきた…というより、示してくれるロールモデルもおらず、自分の選択に反抗されるなら耳を貸さなかった。 自分を育ててくれた親に対して、その反抗の謝罪としては、少しばかり勉強の成績をよくしておいた。 <自分をラベリングする> AB型、HSS

    • 日常生活を楽しむカケラ

      だいぶ日常生活を楽しめるようになっている。 精神障害を経験して以降、文字通り「全ての事」に対して見直し、負担の無く、自分にちょうど良い暮らしを築く営みを続けてきた。 これからも、この草野球的な素人哲学は続いていくだろう。 普段暮らしている中で、常に自分が大切にしていることは、言葉は変われど結局は同じこと。 ここではそのカケラたちを、示してみた。 1 同じものに、新しさを見つける 部屋の空気感を変えようと、真新しい物を買うことは滅多に無い。 むしろ、新しい物を買うお金と時

      • 感じていること

        風がちょうど良い涼しさの今の時期、窓際にテーブルを移動させ、noteを書いたり、読書をしたり、パンを食べて空を見たりしている。 窓からは、町の営みが絶えず見られる。 車の往来、荷物を運ぶ作業員、神社に生える木々の揺れ、争うカラス、マンションを建築するためのクレーンの鈍い動き…が見える。 風が運んでくるのは、ほんのりとした夏の香り。 この匂いの大半を発しているのは、アベリアとかいう常緑低木のものだろう。 当の木の切れ端をちぎって匂いを嗅いで、ほぼ同じだったから間違いは無さそ

        • 水鳥たちの喜劇

          近くの公園の池には小さい島が浮いており、人や猫が入ってこないためか黒い鳥と白い鳥がたくさん羽を休めている。 見たところ、黒いのはおそらくカワウで、白いのはシラサギ。 ちなみにシラサギという名前の鳥はおらず、コサギやチュウサギ、ダイサギなどの白いサギを総称しているだけらしい。 彼らもしくは彼女らが、何サギか正しく判別する力を自分はまだ持ち合わせていないので、シラサギと呼んでいる。 その小島では、毎日喜劇が開かれていると思えてならない。 なぜならば、とにかく鳴き声が笑いを誘うも

        • 固定された記事

        《自己紹介》

        マガジン

        • フィルムでなぞる記憶
          5本
        • 暮らしのつぶやき
          20本

        記事

          ごみを減らすこと

          モノの量が安定してきた最近、「ゴミの量」について考えるようになった。 最近、小さなホウキとチリトリを手に入れて、それで床掃除をするようになった。 それまで、使い捨てのウェットティッシュで床を全部拭き、拭き終わったら捨てていたものの、繰り返し消耗させていくのも心に来てしまっていたからだ。 役目を終えた靴を捨てた時は悲しくなり、着なくなった服を綺麗なまま捨てるのは罪悪感の温床だった。 「掃除」は個人的に好きで、5分だけの小掃除が1時間ほどの大掃除に化けることがよくある。 自分

          ごみを減らすこと

          疲れと向き合う

          自然の中へよく行くのはきっと、「疲れ尽くす」ことが許されるからだと思う。 いつもより根を詰めてしまい、顔にまで疲れが出ている日がある。 そんな顔で人前を歩くのは忍びないが、木々に囲まれているならば、どんなひどい顔も受け入れてくれると思う。 草木は決して「何その顔?」と尋ねてくることもなければ、「頑張れよ」といった類の不親切な言葉を吹っ掛けることもない。 それどころか柔和な香りで包み込んでくれ、声を出してくるにしても、葉っぱの擦れる音に留まる。 そんな場所にしばらく居ると、自

          疲れと向き合う

          小鳥がさえずる時間軸で暮らす

          いくら楽しくても、タメになっても、そこから来るインプットが多いと疲れてしまう。 今朝は起きるなしにカラスの喋り方について調べていたが、そのインプットのみで頭の中が満たされて、疲れていることに気づいた。 しかし散歩へ出向き、個人的にちょっと怖いカラスにも可愛さを見いだせたので、結果的には良い時間だったのだが。 最近は何かとインプットが多かったので、その量を見直そうと思う。 というより、解像度を深める対象を絞る時期…つまり質に目を向ける時期に、もはや来ているのかも知れない。

          小鳥がさえずる時間軸で暮らす

          バッタはミニマリスト

          何か物を足したら、それまであった物を引く。 とくに足すことは無くても、引けるものは無いか考える。 こう考えだしてから、だいぶ身軽になったし、外にふらふらと出かけていきやすくなった。 暮らしに対する、引き算的心構えと、偏執狂ぶりはいつも隣り合わせだ。 最近は実験的に、頭と体と泡で洗うのは週1回にしている。 なので大抵の日は、お湯のみで身体を洗っている。 1か月ほどそういう実験をしてみると、不思議なことに体臭が薄くなった(身近な人に自分の体臭について尋ねても、むしろこの実験に驚

          バッタはミニマリスト

          風吹く桂の木の下で

          昨日も一段と暑い日だったが、そんな日こそ木々は輝かしいわけで、昼休みは外に出かけた。 真っ白なコンクリート製の階段ではなく、盛り土の上に立っている木の下へ腰を下ろした。 初夏の風を受けてゆらゆら葉っぱを動かしているのは、カツラの木だった。 スズメと鳩はエサをもらいに来て、ランニングをする人や、観光しにやってくる外国人の方もちらほら。 皆が各々の生活軸をもって過ごしていると、観察して思った。 人であるかどうかを問わず、それぞれの生活リズムが素晴らしいと思った。 休み時間は仕

          風吹く桂の木の下で

          「変わらないために、変わり続ける」

          「変われ」「変化しろ」と聞けば自分はアレルギー反応を起こしそうになる。 本当(これも最近では曖昧に使われる)の「自分らしさ」を求めて変わり続けようとし、身に着けるファッションや受講するスクールを次々に取り換えていく。 伝統や風習、社訓を、古臭くて停滞した価値のないモノと見ることもある。 これは単に、明文化された頑ななルールやシステムだから、文字通り全く変わらないし、そこが良い所だと思う。 では文明化された人間は、何をもって「変わった」なのか? ちらほらと目にする「変わら

          「変わらないために、変わり続ける」

          自然に近づく

          日々の自分に対するケアのため、明日も生きるために、街中にいるときでも自然との繋がりは絶やさないようにしている。 早朝、部屋の植物を見ながら体を伸ばす。 朝、遠回りにはなるけど、公園の中を経由して出発し、そして帰ってくる。 交通機関に乗る前は、植物から抽出された香料を手先に塗る。 昼の休憩時間は、自然が見られるスペースで一息つく。 花や木の名前を、普段話す言葉に織り交ぜる。 夜は、公園から聞こえるそよ風や、部屋の植物の匂いを感じながら、布団に入る。 書き出せばすぐに出来そう

          自然に近づく

          何もしない

          何もしないことって、案外難しいと思った。 つい昨日まで、『何もしない/ジェニー・オデル著』を読んでおり、ここで定義されている意味と、そこら辺で考えられている意味が全く違うことに驚いた。 曰く、「何もしない」とは、生きる中心を自分ひとりから、生態系全体を含んだ意味での他者へと視点をずらし、共生を図ることだという。 今日は何もしないよというと、ただ床の上に寝そべって干からびている(これはこれで好き)ような印象を与えがちになるが、この本ではむしろ外向的な取り組みとしてその言葉が捉

          何もしない

          エイジング

          どうやら自分は、エイジングする物が好きらしいと最近気づいた。 思い返してみると、バッグや財布は本革製で、木や机は木製、挙句の果てには紙の本まで素っ裸で出窓に立て掛けている。 共通点は、時間を経るごとに変化がみられること。 そして何よりも大事なのは、自分で触っていかない限り、劣化はするがエイジングはしないこと。 おそらく、長く使用することで自分なりの色味を出せることに、ある種の自己表現欲求を投げつけているのだろう。 トレッキングシューズを、トレッキング出来ないほどに使い倒した

          エイジング

          曙の散文

          色褪せずにそのまま言い伝えられている偉人たちの言葉が、一般人である自分たちの下に降ってきていることは、思っているより喜ばしい事なのかも知れない。 血液型、MBTI診断、何かしらの病名、会社からのボーナス、丁寧な暮らし。 全部は「宗教」として機能していると思う。 なぜなら、その存在を信じていることで心のより所になっているから。 だから自分は、宗教や思想に偏見は持たないようにしている。 知識の氾濫。 自分らしさの強制。 至近距離で、一匹のカラスが声色を変えて次々に変わった鳴

          「幸せ」より大切にしていること

          「幸せ」が最近は単なる売り物になっているように思うことが増えた。 何かの間違いでショッピングセンターへ入ると、オーガニック野菜やら、イマドキの書籍、男らしいスーツなどが綺麗に並べられており、正体が相変わらず分からない幸せを手に入れるために、手が出そうになることが多い。 ただ、幼いころから理知的な筋金入りの自制心を持っていたため、その場を何事もなくやり過ごすことは出来たとしても、「幸せ」に対してはいろいろな方向から感慨深さを抱く。 結果的に、「あの瞬間は幸せだった」と思い出す

          「幸せ」より大切にしていること

          やはり、散歩

          土曜日は晴れていたので、お馴染みのアウトドアを友人と楽しんだ。 パンを焼き、コーヒーを淹れた。 また、緑地内の「樹の道」という、木のチップが敷き詰められた散策も歩き回った。 だいたい30分程度で3500歩の道のりだったようで、歩いた効果か今のところも身体的な軽さがまだ続いている。 もっと言うと、体と心がしっかり起きており、機能しているように思える。 今日は花の手入れをした。 ロベリアという青い花を育てているが、湯水のごとく花を咲かせている。 その分花がらも多くなるので、もう

          やはり、散歩