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日常生活を楽しむカケラ

だいぶ日常生活を楽しめるようになっている。
精神障害を経験して以降、文字通り「全ての事」に対して見直し、負担の無く、自分にちょうど良い暮らしを築く営みを続けてきた。
これからも、この草野球的な素人哲学は続いていくだろう。

普段暮らしている中で、常に自分が大切にしていることは、言葉は変われど結局は同じこと。
ここではそのカケラたちを、示してみた。


1 同じものに、新しさを見つける

部屋の空気感を変えようと、真新しい物を買うことは滅多に無い。
むしろ、新しい物を買うお金と時間を使い、今持っている物に還元したい。
還元とはつまり、「これからも一緒に居ること」を祈ったメンテナンスで、革製品には丁寧にオイル掛けをし、一度読んだ本も、更にもう一度熟読する。
こうしてもう一度触れる習慣を重ねていくと、同じ物のはずなのに、新しい発見が、ともすれば初見の頃より多く見つかる。

2 量より質

いくら好きなもの…例えばコーヒー豆を買い込めば期限が心配になり、本を増やせばどれを読もうか迷って選択に疲弊する。
増やそうとする心理は、おそらく機会損失を気にしての事だと考えている。
しかし、同じコーヒーや書籍でも繰り返し味わうことで、自分の経験としてしっかりと染み込む気がする。
ぐらぐらした表面的な知識より、どっしりした内面的な経験を豊かにしていきたい。

3 触れる量だけを持つ

好きなものを増やしても、それと触れ合う時間を削ってまた違うものを買いに出かけると、何のために好きなものを見に行ったのか分からなくなる。
そこで、自分が一週間で触ったり、着用したり、読んだりできる量だけを持つことにした。
きっと、一週間触らなかったものは2週間や1か月先も触らないだろうと思えば、容易に手放したり、譲ったりできる。

4 朝に回す

夜に何かしたくなっても、それが朝にできるなら、その分早く寝て朝に回す。
早く起きても5時半ごろで、もう日は出ているものの、まだオレンジ色をした光を浴びながら窓に映る風景を眺め、何かをするのは、至高のひととき。
とくに朝一番の読書は、一文一文から色とりどりな発見がある。
ただ、読み過ぎると一日を通して本の思想に引っ張られすぎるため、程よい分量を読む。

5 自然に毎日触れる

ほぼ毎日、公園の中を経由して出かけ、帰宅している。
時折、自転車でも公園の中を一周し、自然の香りと風を全身で浴び、体と頭の中の空気を入れ替える。
雨の日だったり、部屋で暮らす日は、室内の自然…つまり観葉植物をよく観察し、対話をする。
自然と触れ合う瞬間を重ねていくと、結局自分は自然の中の一部でしかなく、上手くいかないことの方が多いと分かる。
結局は、今目の前にある事に注力し、楽しもうと思える。


これらのカケラはさらに研ぎ澄まされていくだろうし、また新たなカケラを見つけていくことになるだろう。
そして、それらを集めて練り上げられた暮らしは、どんな形をしているのかとても楽しみだ。

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