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感じていること

風がちょうど良い涼しさの今の時期、窓際にテーブルを移動させ、noteを書いたり、読書をしたり、パンを食べて空を見たりしている。


窓からは、町の営みが絶えず見られる。
車の往来、荷物を運ぶ作業員、神社に生える木々の揺れ、争うカラス、マンションを建築するためのクレーンの鈍い動き…が見える。

風が運んでくるのは、ほんのりとした夏の香り。
この匂いの大半を発しているのは、アベリアとかいう常緑低木のものだろう。
当の木の切れ端をちぎって匂いを嗅いで、ほぼ同じだったから間違いは無さそう。
この香りの中、幼いころは虫を探しに行き、学童保育のプールへ向かい、誰それと校区外へ出るという悪行を重ねたことが思い起こされる。
香りはやっぱり、思い出の引き金として抜群の役割を果たす。

聞こえてくるのは、町の音と自然の歌声。
近所の小学校で響く体育教師の力強い笛、ミキサー車の唸る加速音、樹木の揺れる音、小鳥たちのさえずり、そして指でキーボードを押す音。
時間をかけて、シジュウカラとゴジュウカラの鳴き方の違い、ムクドリやスズメの声色をほぼ聞き分けられるようになったのは、誰の役にも立たないとはいえ、自分の中では大きな出来事だった。

こうやってただ感じていて、それに集中している感覚が、自分にとっては「今を生きている」ことになっている。


しかし…「若い」と自称するにはまだ許される年齢にしては、もう長い事溌溂に遊ぶ気が失せてしまっているのは自分でも心配だが(実のところ、カラオケや焼き肉と聞くと気が重い)、これはエネルギーを日常生活へ向けることが出来ているからだろうか。

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