声に逢いにゆく。
すてきな声に出逢いました。
やさしくて爽やかで、しっかりと渋い。人が溢れる都会からすこし離れた、空が高くて緑がある場所に佇んでいるかのような、声。
note界の、ℕ.𝕆.𝕋.𝔼さんのラジオ。
第二回目の番組に参加をさせていただきました🎙️✨
日頃、読むことに没頭するあまり、文字に隠れている声や感情を見落としてしまったり、見て見ぬふりをしてしまうことがあります。
そんなときは、後からそれに気づいたり気づかなかったり。タイムリーな頃合いを逃して、ちょっと残念に感じることがあるのです。
一方、声となると、その方の人柄や想い、印象を同時に感じることができます。それは文章よりも、もっと直接的なもの。だからこそ、相性や好みが、わかり易く表れるのだと思います。
私は、ℕ.𝕆.𝕋.𝔼さんの記事はもちろん、お声、そしてお話されることが好きです。
日常であったり、そこに宿る感情であったり。素直に、綺麗に、丁寧に、綴られている。文章そのものが生活だなあ、といち読み手は感じるのです。
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ラジオの中で、直近の記事を朗読される場面がありました。
その記事について、ハッとすることがありましたので、紹介をさせてください。
喋り方について。
「共感」を覚えることが多くて、ついつい感情移入して聴いておりました。
私も、元”めちゃくちゃおっとりした喋り方をする関西人”です。「元」と付けたのは、今はそうではないから。意識的に、話し方を変えています。
時間に追われているとき、仕事で打ち合わせがあるときなどは、”ハキハキ”した人。夫や気の知れた友人と話すときは、”おっとり”した人。フォーマルでもプライベートでもないような曖昧なときは、相手や自分の気分によって切り替えます。
喋り方のおかげで、得をしたこともあれば、損をしたこともあります。一周回って、使い分けるに至りました。
「朗らかでいいね」と言ってもらえることもあって、それは嬉しいです。でも、喋り方のせいで、「アホそう」と思われたりするのが嫌で。(実際に言われたし、そういう扱いを受けた。)
話し方を変えるだけで、目に見えて周りの対応が変わるのだ、と衝撃を受けました。それが見た目にも比例して、次第に”ハキハキ”な自分が自分だと思い込む。そのまま追い込んで、ダメになる。
そして、やっと、
「こっちが自分だった」と気づくんです。
「舐められたくない」は、ずっとあります。
訓練して、練習して、ようやく手に入れた喋り方と振る舞い方。
”おっとり”な自分を嫌いになったわけじゃない。むしろ好きなのに。
葛藤も、ずっとある。
どう見られたいか。
では、ない。
損をしないための、行動。
得とか損とか。そんなのを全部ひっくるめて、
いつか
「アホな関西人なんですわ!」って言えたら、きっとつよいのだろうな。
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ℕ.𝕆.𝕋.𝔼さん、改めまして素敵なラジオと記事をありがとうございました^^✨
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